seijin (october-december)

10月 2日 守護の天使

マタイ18・1-5,10


子どものようにならなければ天の国に入ることはできないとイエスは言われます。子どもの1つの特徴は、信頼してありのままの自分を差し出すことでしょう。遊んでいるときの子どもたちは、自分の本当の心を隠したり、仲間との間にややこしい見えない壁を作ったりすることはありません。大人はどうでしょうか。いつのまにか自分自身にも本心を偽ったり、人の評価を気にして、自分のまわりに壁をつくっていないでしょうか。日常生活の中で周りの一人に対してとっている態度は、そのまま神に対する態度にもつながっていきます。
子どものような正直で、開かれた心で神の前に立つことができますように。sese
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各人が自分の守護の天使をもっていると思う理由はマタイ18:10にあるキリストの言葉から、「あなたたちは、これらの小さな子ども1人も軽んじないように気をつけなさい。あなたたちに言っておく。彼らの天使たちは、天において天におられる私の父のみ前にいつも立っているからである」。守護の天使は神の国の大使であり、神のメッセージを伝え、神の祝福を取り次いでくださるものである。


人を軽んじない人間関係を教えています。そのためにまずその人と神との関係を考えるように教えています。人に接するときにその人は神から愛されている、その人には神の計画があると考えるべきというわけです。このように人と接するとこちらの態度はかわるでしょう。もっといやなことは我慢できる、もっと愛することができるでしょう。
福者ペトロ・ファブル(イエズス会の最初の5人の一人)はヨーロッパの国々を巡って、野原を歩く時、町や村に入る時、いつも今から会わなければならない人の天使たちと話をしていたといわれます。彼は異端者、権力者など、かなり恐い人々と付き合わなければならなかったが、こうやっていつも軽い気持ち接することができた。天使たちと対話することで彼の顔は輝いていた。私たちもその模範にならってみたいと思います。
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Angeli Custodi
«Restare bambini»


Qualche giorno fa, abbiamo già parlato degli angeli, ricordando quelli più importanti tra loro (i tre arcangeli Michele, Gabriele, e Raffaele), ma è bene oggi ritornare, con gratitudine, all'immensa schiera di quegli angeli cui Dio affida la custodia di tutte le creature umane: un angelo per ogni bambino che viene al mondo. L'iconografia tradizionale ci ha abituato a pensare soprattutto ai pericoli fisici che i bambini corrono a causa della loro naturale ingenuità e sventatezza (perciò l'angelo è raffigurato accanto al bimbo che cammina sul ciglio di una strada scoscesa, o su un ponticello traballante), ma Gesù pensava piuttosto ai pericoli che essi corrono a causa dello scandalo che possono ricevere da adulti cattivi o poco protettivi. E li ammoniva severamente ricordando che i bimbi hanno «i loro angeli che vedono sempre il volto del Padre che sta nei Cieli» (Mt 18,10). Tra l'altro è interessante ricordare che anche la parabola della pecorella smarrita, di cui Gesù va in cerca, (tradizionalmente attribuita ai «peccatori») appartiene allo stesso contesto e riguarda direttamente i bambini. Si conclude, infatti, con le parole: «Così è volontà del Padre vostro che neanche uno solo di questi piccoli si perda!» (Mt 18,14). Insomma, anche l'uomo peccatore è come un fanciullo invecchiato e smarrito che si può convertire se torna bambino e ricorda d'avere accanto un angelo che lo protegge e chiede di essere ascoltato. Per questo la più caratteristica preghiera dei piccoli è anche quella che nessun adulto dovrebbe mai dimenticare: «Angelo di Dio, che sei il mio custode, illumina, custodisci, reggi e governa me che ti fui affidato dalla pietà celeste. Così sia».

Letture. «Il mio angelo camminerà davanti a te» (Es 23,20-23a); «Darà ordine ai suoi angeli di custodirti» (Sal 90/91); «I loro angeli nei cieli vedono sempre la faccia del Padre mio» (Mt 18,1-5.10).


"Un'anima non è mai senza la scorta degli angeli, questi spiriti illuminati sanno benissimo che l'anima nostra ha più valore che non tutto il mondo"

Bernardo di Chiaravalle (1090–1153)

Ángele Dei,
qui custos es mei,
me, tibi commissum pietáte supérna,
illúmina, custódi,
rege et gubérna.

守護の天使への祈り
「 神の天使よ、私の守護者よ、天のはからいで、あなたに委ねられた私を、今日、照らし、守り、治め、導いてください。アーメン。」
(この祈り文については、1935年10月27日付けで、300日の部分免償が付与されたことがあります。)







10月18日 聖ルカ福音記者

ルカ10・1-9


神の国はこの世の王国や権力と異なり、兄弟たちに仕えることにおいて実現する。この神秘を弟子たちはイエスの死と復活のうちに体験する。そのために弟子たちは宣教に出かけます。派遣される弟子たちに命じられるのは祈りでした。「主が働き手を送ってくださるように祈りなさい」。それは他の人々のための祈りであると同時に、自分自身を用いてくださいと祈る奉献の祈りでもあります。
十二という数字はイスラエルの十二部族や十二使徒を象徴しますが、72は12 X 6で、全人類を象徴し、世界的規模で福音宣教が広まることを示しています。パウロの弟子ルカは、キリスト
教の信仰がエルサレムから全世界へと広まっていく初代教会の担い手であり、彼の祈りのおかげで今私たちがここにいるわけです。私たちも働き手となっていくように祈りたいと思います。(荒)
「途中でだれにも挨拶するな」と命じておられる。一見奇妙なこの命令は、当時のベドウィン的な環境での挨拶の慣行から、たとえばキャラバンに挨拶して一行に加えてもらうよなことを含んでいたことが分かると理解しやすい。この命令は身の安全のために使命の緊急性を忘れるなという意味になる。

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聖人はたくさんいます。ほとんど毎日記念されます。どの時代にもどの国にも聖人はいます。これは、神様の聖性(働き、完全性、美しさ)の豊かさを示しているといわれます。神の聖性は朝露(あさつゆ)のように、庭のすべての木々の上にまんべんなく降りてきます。バラの花の上に赤くなる。葉っぱの上に緑、百合の上に白くなります。
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聖ルカ福音書に独特な記事は幾つかあります。マリアへのお告げ(受胎告知)もその一つ。エリザベトへの訪問もそうです。おそらく、ルカは聖母マリアと特別な関係があったと思われます。クリスマスの一連の出来事を伝えているのはルカだけです。また、「放蕩息子」の物語はルカ独特のもので、神の憐み深さを表しています。「よきサマリア人」もルカにのみあるもので、ルカ福音書は「神の愛の福音書」と呼ばれれます。
さらに、今日の集会祈願にあるように、「貧しい者に対する神の愛」というのもルカ福音書の特徴をとらえています。「キリストを信じる人々が、心と思いを一つにして愛のあかしとな」る、というのは使徒言行録のメッセージから取られています。今日の福音書の72人の選びと派遣もルカだけ伝えているもので、初代教会の福音宣教の一旦を示しています。





10月28日

聖シモン 聖ユダ使徒



「その中から12人を選んで使徒と名付けられた」静かな山で夜中神に祈った後、イエスは弟子たちを呼び集め、その中から特に12人を慎重に選ばれました。その後、山から下って大勢の弟子とおびただしい民衆の中に12人を連れ出しました。そこでイエスは福音を宣べ、汚れた霊を追い出し、すべての人の病気を癒されたのです。イエスは12人に神の業を悟らせ、使徒としての使命を味合わせたかったのでしょう。
主よ、イエスの招きを受け、選びに応えた私たちが、日々イエスと共にイエスによって遣わされることの意味を理解して生きることかできますように。sese06
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シモンは、イエス・キリストの12人の弟子であり、シモン・ペトロと区別するために、熱心党というグループに属していたことから「熱心党のシモン」と呼ばれている。彼は、カナン人であり、使徒のなかでも特に信仰が深く、モーセの律法を厳格に守っていた。

ユダは、イエスを裏切ったイスカリオテのユダと区別するために「タデオと呼ばれるユダ」といわれる。彼は、新約聖書によると小ヤコブの兄弟であると記され、キリストの親類とされている。彼はキリストの昇天後、ユダヤ、シリア、小アジアなどで宣教したといわれ、64年ごろに小アジアの諸教会に書簡『ユダの手紙』を書き、信者たちが誤った教えに陥らないように警告し、祈り、神の愛にとどまるよう教えている(参照 ユダの手紙4.8)。

のちの伝承によれば、シモンとユダはペルシャで宣教し、そこで殉教したといわれている。

12人の使徒達は色々な違いを持った人々でしたね。育った環 境もそれぞれに違っていましたし、特に優れた人が一人もいなかった事が共通点で、皆、平凡な人達 でした。その12人をイエス様が選ばれたのは、やはり福音は色々な“多様性" を、違いを抱きしめ ながらその中で“調和" させなければならないことを意味していると思います。私達の共同体も同じ ことではないでしょうか。気が合わなかったりする人々がいると思いますよ。私に対しても全然気の 合わないタイプの神父だと言う人もいると思います。でもこれはしょうがないことです。しかし、こ の色々な違いをそのまま認めて、その中で“調和" を求めて行くことがなによりも必要な私達の態度 ではないでしょうか。そのために必要なものは信仰です。“多様性"を、違いを、受け止められる唯一 の力は、祈りと共に培っていく成熟された信仰でしょう。それがなかったら私達は、いつもぶつかり ばかりになると思います。 




11月 1日 諸聖人

マタイ5・1-12a




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聖人はたくさんいます。ほとんど毎日記念されます。どの時代にもどの国にも聖人はいます。これは、神様の聖性(働き、完全性、美しさ)の豊かさを示しているといわれます。神の聖性は朝露(あさつゆ)のように、庭のすべての木々の上にまんべんなく降りてきます。バラの花の上に赤くなる。葉っぱの上に緑、百合の上に白くなります。
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【諸聖人の祭日(11月1日)】カトリック教会では、天国(永遠の幸福)に召されていながら、特別な祝祭日や記念日を定めて祝っていないすべての聖人たちを、11月1日にまとめて盛大に祝います。こうして教会は、11月の初めに、天の栄光のうちにある諸聖人たちを思い起こさせ、その取り次ぎを願うことによって、永遠の命への希望のうちに生きるよう、地上で旅を続けている教会の信者たちを励まします。
今日お祝いしている聖人方も、間違いなく、私たちと同じ「人生」「この世」を歩き通しました。そしてすでに幸いを得ています。私たちはというと、まだ人生の途上にあるけれども、イエス様が示された幸いの約束を見つめて生きている者ということになるでしょう。神が幸いをお与えになりますから、約束は確実ですが、私たちにも期待されていることがあると考えるべきです。どういうことでしょうか。
聖人方は、生きておられる間、幸いな者となることを熱望して生涯を全うしました。そこで私たちも、彼らの生き方をほめたたえ、取り次ぎを願って、私たちが、幸いを熱望して生きる次の人になることです。
柔和な人は、幸いです。それなら、私たちが柔和な人になって、イエス様の幸いをいただく生き方に徹しましょう。都合の良いときばかりでなく、神経を逆なでする人を前にしても同じ生き方を貫くとき、私たちは諸聖人のあとを慕う者となることができるのです。
幸いな人になる道を今日耳にした私たちが、続けて諸聖人方のあとを慕う者となることができるように、恵みを願って引き続きミサを捧げて参りましょう。http://hanashi-no-mori.news-site.net/20031101.html
教会は列聖、列福された人はもちろんですが、その数において彼らよりはるかに多くの神に祝福された無名の人々が、涙のうちに蒔いた種で育った「果実」によって大きくなってきたのです。「諸聖人の通功」(生徒の交わり)というのは、そういったことではないのでしょうか。大聖人も小聖人も、凡人も罪人も、みんながキリストにおける父なる神の子として、ひとつの愛に結ばれている聖なる事実を指す言葉と思います。


11月 2日 死者の日

ヨハネ6・37-40
 
 
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聖者と死者のコラボレーション

「諸聖人の日」の翌日が「死者の日」。このことを不思議に感じたことはないでしょうか。「聖なるもの」と「死するもの」が自然に結びつくことなど通常ではありえないことです。そのコラボレーションを可能にするところがキリスト教「信仰」の妙なのです。
古代ローマ時代、一般的な「死」は恐れの対象であり、墓場は絶望に満ちた場所でした。ゆえに古代ローマ人は生活空間である城壁の中に墳墓を決してつくらず、城壁の外で葬りの場を設け、死と日常を切り離していました。
そんな通念をキリストの死と復活の福音がすっかり変えてしまいました。「永遠の命」の希望をもって生きた人の墓は、その人の追憶の場になると同時に、その人が生前用いた遺物をも「追憶」のしるしへと変化させました。
 特に信仰のゆえに命を賭ました殉教者への特別な思いが、
「死者」を「聖者」へと昇華させました(古代の聖者はほぼ例外なく殉教者)。「聖遺物」はやがて、その人のペルソナの宿るものとして大切にされ、そこから超自然的な力がもたらされると信じたキリスト者たちが、社を設け、その中心の祭壇の上に「聖遺物」を埋め込むようになりました。すなわち、聖堂は、「墓所」であると同時に、「聖者」のエネルギーの満ち満ちた場となったのです。聖者の葬られた場所は、この地上と神の国をむすぶ結節点でもありす。こうして、キリストの信仰をもって亡くなった「死者」は、「神」と人をむすぶ大切な役割を担うことになりました。
日本人にとって墓場は、葬られた方への生前の感謝を表し保護を願う場という意味が大きいようで、つまりは現実志向かもしれません。一方、キリスト教の墓地は、いずれ帰っていくべき「故郷」、大切な人々と再会できる未来への希望を強く感じさせます。この違いは、キリスト者の「信仰」というファクターから説明できます。
亡くなったあの人は、かならず「天国」にいて神の近くにある。だからこそ、その墓所は神の国と結びつく。永遠の命、そして復活の希望という信仰なしにはこの感覚は決して生まれないでしょう。もちろん、私たちの信仰は「死者の蘇生」を期待するものではありません。その復活がどのようなかたちで実現するか誰も知りません。ただ、二千年前、数百人に示された、「キリストの復活」の証言が私たちに、あのキリストと同じように復活すると確信させているのです。「死は終わりではない」イエス・キリストがみずからお示しになったその出来事のうちに、私たちは「死者」を尊び、「聖者」を追慕し、「またお会いしましょう」という希望のうちに、今、この瞬間を生きることができているのです。

(川村信三・イエズス会司祭)
「聖書と典礼」より
 
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死者のためのミサの叙唱のなかに、「信じる者にとって、死は滅びではなく、新たな命への門であり、地上の生活を終わった後も、天に永遠のすみかが備えられています」ということがあります。

死は新たな命への門ですが、その門を怖がる人は多い。けれども、皆この門を一度通ったことがあるはずです。子供は「神からの預かりもの」というでしょう。だから、生まれる子供は神の世界からこの世に入った時にこの門をくぐったわけです。子供は生まれてくるとよく泣きますね。安心できる世界から、不安定な世界に入ってくるから。そして、数年たつと慣れてきて、執着心も生まれてきます。だから、この門をくぐりたくない、と。その門の向こうに新たな命がある。この世とは違う命がある。動物の中で、水の中に生きる動物と、大陸に空気を吸う動物があります。そして、「アンフィビアス」といって、両生類、両方の世界に生活できる動物がいます。人間は、アンフィビアスな動物である。時間と空間の中に生きるし、時間と空間を超えた世界、神の世界にも生きるように造られている。実際、そこから来ているし、こちら側に生きている間は、神について知り、神と親しい関係をもてます。
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御父のもとから降ってきたイエスのもとに行き、信じることが、永遠の命を得ることになるとイエスは言われます。しかしイエスと共にいた弟子でさえ、信じ抜くのは難しいことでした。今の私にとってイエスのもとに行くとはどういうことなのでしょうか。実際にイエスに出会った弟子がそうだったように、心の内に不安や恐れ、疑いを感じる時、 理解できない出来事に遭遇する時そこにはイエスがすでにいるのではないでしょうか。またイエスを否定し、心の鍵をしめてしまった時もイエスは私達の心の内に来られているのではないでしょうか。
主よ、私と共にいるイエスを感じとる恵みと、信じる心をお与えください。sese06
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永遠の命を頂けるのは遠い将来の話ではありません。神は復活の命へと、「今」招いて下さっています。今こうして生きている一瞬一瞬が神の御旨の実現ですが、私たちはそのことを受け入れようとせずに、救いを先へとのばそうとします。それではいつまでたっても神様から頂いたこの命を存分に生きることが出来ません。
今ここに来ている「神の国」を見出し、その中に生きる恵みを願います。sese05
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今日は死者の日。地上のあらゆるものは、時とともに過ぎ去り、消えていきますが、それらのものの奥にある永遠のものに思いを向けたいと思います。この信仰の基礎は、「わたしのもとに来る人を、わたしは決して追い出さない」というイエスの約束です。今日、世を去った人々のために祈り、また、私たちのためにも、御心を行う勇気と光を願います。sese04


11月9日 ラテラン教会の献堂

「御父の家を商売の家としてはならない」

ヨハネ2・13-22


あいさつ:今日は全世界の教会はラテラン教会の献堂の祝日を祝っています。これは、ペトロの座(ローマ教皇)に対する一致と親愛のしるしである。神が全世界の教会を聖霊で満たし、キリストの愛のきずなで一つに結んでくださるよう、今日のミサ聖祭をささげることといたしましょう。
教会のきずなを思い、祈る祝日
「ラテラン教会は、四世紀、コンスタンティヌス大帝によるキリスト教の公認とともに、教会に寄贈された宮殿(元来はローマ貴族ラテラニ家の邸宅(ていたく))に建てられた大聖堂で、ローマ司教区の司教座聖堂とされ、教皇シルヴェステル一世によって324年11月9日に献堂されました。ローマの教会の源としてその一致の中心となった歴史的役割から11世紀以降この日が祝われるようになり、ラテラン教会は、「首都(ローマ)と地球上のすべての教会堂の母であり、頭(かしら)である」 Sacrosancta Lateranensis ecclesia omnium urbis et orbis ecclesiarum mater et caput (同教会碑銘より)として尊敬を集め、16世紀後半にはこの日は全カトリック教会の祝日となっています。ラテラン教会の献堂を祝うことは、さまざまな時代を通して、時には殉教や弾圧の苦難を経てきた神の民の歴史を思い、今各聖堂共同体から教区として共同体、そして全世界の教会へと結ばれるきずなの一致を祈ることを意味します。そのことに、きょう聖書朗読は「神殿」をキーワードとして触れていきます。これを通して、わたしたち(教会)が、キリストにおける神と全人類との一致の秘跡であるといわれる意味も照らされているのです(『教会憲章』1項参照)。」(聖書と典礼)
オリエンス宗教研究所による上記の解説は参考になりますが、一つだけ肝心なことが抜けているような気がします。ここで諸教会の横の繋がりが強調されますが、皆さんもご存知のようにパウロは教会を体に喩えています。人間の体には頭がある、そして頭につながっていない部分は死んでしまいます。半身不随の体になります。それと同様に部分教会(例えば、日本の教会)は頭を通して全体につながっていないならば、枯れてしまいます。皆さん、今日は是非日本の教会が「半身不随」にならないように祈っていただきたい。
 
祈りの家を商売の家にしてはいけない。神殿の境内におこったこの事件は旧約の預言者たちを思い出させるのです。人々は、「なんの権利があるのか、権威のしるしをしめせ」とせまります。「私は三日間で神殿を建て直します。これが答えでした。復活の出来事を体験した弟子たちは、神殿がイエスの体を意味していたことを思い出しました。(荒)イエスこそ神の家、神の恵みと人類の祈りの出会いの場です。神殿には複雑な祭司制度がありましたが、イエスはただひとり祭司、祭壇、そしてイケニエになりました。教会という時に、それは第一にタテモノではなく、キリストの体、今現在生きている人々の共同体で作られた、キリストの体を言うのです。
「あなたの家を思う熱意がわたしを食い尽くす」と、ヨハネは、イエスの生涯が、神への思いで燃え尽きていくことを示したかった。神に対する、激しくひたむきな思いが、イエスをかりたてているのです。ごまかしのない、ひたすらな神への情熱が、イエスのこころなのです。あいまいな妥協にとどまれないのです。ごまかしに目をつぶっていることができない。
イエスの「武器」、イエスの力、それは富やお金ではないのです。望めば一瞬のうちに、この世の貧しい人々に快適な生活、安らぎを与える力を持っている神でありながら、自ら貧しさの中に生活するのです。イエスの「武器」と力、それは貧しさの中で燃える神への思いです。神への純粋さを失った
世界に、もう一度偽りのない、ごまかしのない愛の炎をもたらした。イエスの存在そのものが、この地上から天に向かって神を敬い、礼拝する生きた神殿になるのです。(森)
 
11月26日

福者ヤコブ・アルベリオーネ司祭 (パウロ会の創立者)


1900年12月31日から1901年1月1日にかけての夜、当時の教皇であったレオ13世は、徹夜の聖体礼拝で新しい世紀を迎えるようにと、全世界の教会に呼びかけていました。

北イタリアにあるアルバ教区でも、カテドラルでの真夜中の荘厳ミサに続いて、聖体が顕示され、聖体礼拝が行われました。哲学科と神学科の神学生は、自由にカテドラルにとどまって祈りを捧げていました。その中に少年ヤコブ・アルべリオーネの姿もありました。彼は 4時間という長時間を聖体の前で過ごしたのでした。ここでアルべリオーネは忘れることの出来ない夜、特別の夜を体験したのです。彼は、その夜のことを「決定的な夜」と呼んでいます。

パウロ家族の創立者ヤコブ・アルべリオーネ神父は、1884年の4月4日に、貧しい農家の家庭に生まれました。少年アルべリオーネは、司祭になりたいとの志をもって、1896年にトリノ教区(北イタリア)の神学校に入学しましたが、4年後には神学校を退学してしまいました。何がその原因だったのか、詳しいことはわかっていません。アルベリオーネ神父は、ずっと後になってからこのことに触れてこう書き残しています。

「ある種の本が及ぼす悪を私は知っている……私を救ってくださったのは聖母だった」と。

仲間のだれかが教室の机の下から回した何冊かの本が、危機の元になるという影響を彼に及ぼしたのです。あの「決定的な夜」を体験することになるわずか8カ月前に、アルべリオーネは召命の歩みにおいて大きな挫折(ざせつ)を味わい、失意のうちに家に戻らざるをえなかったのです。
再び神学生となつたアルべリオーネは、その年の終わりに「決定的な夜」を体験したのでした。
「前世紀と今世紀の境をわける夜」は、少年がその生涯の使命として神から創立を託される「パウロ家族の固有の使命と独特の霊性にとって、決定的な夜であった」と53年後に彼はふり返って書いています。

「恐れることはない、私はあなた方とともにいる。ここから照らそう。罪を悔いる心を保ちなさい」。

« Famiglia Cristiana non dovrà parlare di religione cristiana ma di tutto cristianamente » (1931)

『ファミッリャ・クリスティアーナ』週刊誌  キリスト者の家庭向きの
百万部、読者3百万人。

キリスト者の生活に直接関係があり、しかもすぐに実践できるような子どもの教育、料理、あみ物、家庭医学……などをはじめとした家事のことや、経済、社会問題、小説、ニュースなど、家庭で親も子どもおもしろく読める記事を掲載した雑誌でした。
 
 
11月30日 聖アンデレ使徒

マタイ4・18-22


マタイでは、ペトロとアンデレは、いっしょに最初の弟子となっています。ヨハネでは、洗礼者ヨハネの弟子アンデレが、「見よ、神の子羊を」という証言によって、イエスの後について行きます(ヨハネ1・35-40)。イエスとの最初の会話は緊張気味です。「何を求めているのか」。「ラビ、どこに
お住まいですか」。「来て、見なさい」。マタイでは、好奇心など関係なく、イエスが一方的に命じています。「私について来なさい。あなたたちを、人をとる者にしよう」。
五千人にパンを与えたとき、奇跡のキッカケを作ったのはアンデレですが、現実的なものの見方を示しています(イエスに対する信頼は十分ではないことでしょうか)。「大麦のパン五つと魚一匹を持つ少年がいますが、こんなに大勢では、 それが何になりましょう」(ヨハネ6・9)。
ギリシア人をイエスに出会うように仲介したのはフィリポとアンデレでした(ヨハネ12・20-22)。
そのためか、アンデレは、ギリシア、小アジアの宣教者として尊敬されています。使徒職とは、人をキリストに導き、出会わせることです。そのためには、まず自分自身がキリストのあとについていき、どこに住んでいるかを見なければなりません。キリストが父なる神の愛のうちに住んでいること、
神の子であることを体験しなければなりません。(荒)
私は、この使徒の名前をいただいたものの一人としてその働きにもあやかりたいと思います。
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素朴に日々の暮らしを営んでいる中で、イエスは突然呼ばれます。安定したもの、慣れ親しんだものからも、離れることを要求されます。それは真の安定の基盤ではないのですから。イエスの招きがチャレンジのよう
に思えるとき、新しい一歩を踏み出す勇気と、神への素朴な信頼を問われます。「私について来なさい」と呼ばれた時、心を開き、ただ神に信頼して従っていくことができますように。


12月3日 聖フランシスコ・ザビエル

「前世かに行って、すべての造られたものに福音をのべ伝えなさい」

マルコ16・15-20


ザビエルの思い、新たに」

日本にキリスト教を最初に伝えた聖フランシスコ・ザビエルは、1506年にスペインで生まれました。生誕500年という記念すべき節目にあたり、聖人の遺徳(いとく)をたたえ、宣教精神を新たにする意味で日本の教会でも「ザビエル生誕500年祭」の記念行事が各地で計画されました。日本にキリスト教をもたらした聖人に新たに思いをはせ、その心を理解しようとすることが記念や祝賀以外に意味はないでしょうか。教会論、救済論、現世評価、宣教論、諸宗教の捉え方(ザビエルの時代には恐らくキリスト教以外の宗教を知るすべもなかった
と思われる)といった基本的なテーマから見れば、500年間の隔たりを感じざるを得ません。けれでも、来日したザビエルは、日本人の知的水準の高さに驚くとともに、この国民が理性を重んじることを見抜きました。そして、ヨーロッパの大学のような機関を日本につくることで諸宗教や文化との対話実現の場をもち、ヨーロッパのルネサンス・ヒューマニズムの世界観と伝統日本文化の出会いの実現にむけ壮大な計画を構想しました。ザビエル自身は数年後非業(ひごう)の死をとげましたが、その夢は無駄ではなかったと言えるでしょう。したがって、ザビエルと現代教会はどうつながるのか、現代社会に生きるキリスト者にとって光となるものは何であろうか、といった問題を考えるのは無意味ではないでしょう。「聖フランシスコ・ザビエルが皆様の国で宣教のわざを果たし、日本に初めて福音が告げ知らされた時代にキリスト教信仰の種をまいたことを神に感謝します。大胆に、勇気をもってキリストをのべ伝えなければならないことは、教会にとって変わることのない優先課題です。」(ベネディクト16世、教皇庁定期訪問中の日本司教団への講話、2007年)。

ザビエルは胸をかすかに開き、そこから燃える心臓を覗かせているというふうに描かれています。胸を開くという身振りは、熱烈な魂の存在、燃える心臓の存在を示すものです。神戸市立博物館にある有名なザビエル像などには「SATIS EST DOMINE SATIS EST」というラテン語の銘文が書かれています。これはスペイン語の「Basta、Senor, basta」(十分です、主よ、もう十分です」という意味です。これはザビエルが日本からゴアに帰って中国に渡る準備をしていた1551年に、ゴアのサン・パウロ学院にいたイエズス会士が、深夜に学院の庭の小聖堂でザビエルが祈りをしていた時、心に神への愛が燃え上がるのを覚え、その熱さのあまりに、胸を開き、「主よ、もう十分です」と言ったということを伝えたことから出ている。すなわち、神が彼のなかに引き起こした愛が十分すぎるほどである(bastaには、もうやめてほしいという意味がある)ということばを発したのです。その瞬間が、胸を開く図像で表現されています。ザビエルの宣教活動の背景に神の愛の深い体験があった。


12月8日 無原罪の聖マリア(祭日)

「恵まれた方、マリア」

ルカ1・26-38



十一世紀、イギリスで、アンセルムスによって無原罪のマリアが祝われるようになり、やがてフランスのノルマンディからイタリアヘと広がり、ピオ九世は教義として宣言しました(1854)。ルルドでベルナデッタに現れたマリアは、ご自分のことを「無原罪の御宿り」と述べられました。
 神の子がお生まれになるために、マリアは身をもって待降節を体験し、準備されました。イスラエルが希望していた救いが、天使ガブリエルに対するマリアの「ハイ」という受諾によって可能になります。マリアにおいてはイスラエルの歴史全体だけではなく、人類全体の期待が現れています。
神は、キリストによる救いが、マリアに及んでいること、しかもマリアの受諾に先がけて、マリアの母親アンナの胎内に宿るのに先駆けて及ぶことを望まれました。教会は神の恵みの絶対性を、マリアの御宿りのうちに宣言したのです。
マリアにおいて、諸宗教が希望してきた救いが実現しています。そのため、マリアはキリスト教と諸宗教の対話のための、妨げではなく、よき仲介者と言えます。(荒)マリアの受けた恵みは、神の人類に対する深い愛を示しているので、彼女ひとりではなく、私たち人間皆に大きな喜びをもたらしました。
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大人と子供の違いといえば、きちんと謝ることができるかどうかです。子供はついつい、言い訳をしてしまいがちですが、きちんとした大人ならしっかりと謝ることができるはず。
第一朗読で悪いことをしたアダムは罰を恐れて、子供みたいに隠れます。見つかったときに言い訳したり、責任転嫁をしたりしています。これは、アダムの子である私たち一人一人の姿を見事に現しています。私たちはいつも何かから逃げて、他人から隠したい何かがあります。いろいろなことに対して責任を取りたくない、失敗したら恥をかくから。マリアもアダムの娘ですが、することはちょっと違います。天使のことばの前で逃げない、彼女も失敗を恐れる部分もあったのか、とまどいを示しますが、アダムと違って神に信頼する勇気があります。
今日はマリアのこの勇気を願って祈りたいと思います。私たちは隠れみのばかりして生きることは十分体験しています。そこに喜びもないし、人間として成長する道でもないということはよく知っています。ですから、マリアの美しさを仰ぎ見ながら、神の約束を信じる恵みを心から願いたいと思います。私たちも洗礼によって原罪から(部分的にですが)解放されて、キリストを宿して世間に紹介するように呼ばれています。これは大変なことです。そこから逃げないで、さまざまな恐れを克服して、答える勇気を祈りたいと思います。
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キリスト教にとって、人は皆罪人だといいます。
それでいて自分たちだけ許されたともいいます
とすると自分たち以外は許されていない罪人だということです
キリスト教者が罪と言う場合
それは世間一般的には100%言いがかりですね
要は一般人に難癖(ナンくせ)つけてるんですな


罪の意味が違います。
一般に罪という場合、
盗み、殺人、詐欺他、法律に違反することを言います、言うまでもないことですが。
聖書が言う罪とは、
不完全であること、完全さの的に達していないことです。
現在の人間は肉体の機能においても、精神的機能においても、
神が最初に創造されたときの質を保っていないということです。
機能を果たさない機械はいずれスクラップになるように、
神は現在の不完全な人類が存続し続けることをいつまでも許すことはないのです。
最初の人間は実際に神の言葉に反しましたから、反逆の罪もあったと言えますが、
その子孫である私たちは故意に反逆してきた訳ではありません。

別の観点で言えば、
自分には罪があるとは思わないと言っても無駄なことです。
あなたが交通法規を定めたわけではないでしょう。
信号を無視してどこが悪いか、と息巻いて(いきまいて)も
法の執行者はあなたを裁くでしょう。
それで、自分は神に対して罪人であるつもりはないとか、
不完全であるつもりもないとか言っても、
神が神の法の執行者としておられる以上、全く無駄なのです。
もし、あなたが、そもそも神などいないと言うのであれば、
我々キリスト教徒の言うことは気に留めるほどのことではない、ということになります。
また、聖書的に、罪が許されているとは、現在のところ、
将来に、完全さへ回復させられる、そういう希望を持てるようになったということです。
この希望を人類にはじめてもたらしたのはマリアです。


12月26日(月) 聖ステファノ殉教者

マタイ10.17-22

 
「話すのはあなたではなく、あなたがたの父の霊である」ステファノは反対と迫害を受けましたが、それはかつてイエスが弟子たちに予告されたことでした。そして、「最後まで耐え忍ぶものは救われる」ことを確信したステファノの最後は、イエスの十字架上の姿と二重写しでした。神の霊に満たされ、神が語る言葉を授けられたのです。
主よ、あなたの霊に生かされて、迫害する者のためにゆるしを願い求め、イエスの永遠の命に与ることができますように。
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この世の価値観と逆行して生きるとき、私達はしばしば孤独におちいります。そのような時、父の霊が私の内に注がれていることに信頼し、さまざまな困難に惑わされないように心を鎮め、忍耐のうちに授けられる力に身をゆだねて生きるようにとイエスは諭して下さいます。何事も待つことができず、世俗的知恵を巡らして、何とか自分の力で生きて行こうとしがちな私達に「待つこと」、「ゆうだねること」の大切さが身に浸みます。
主よ、あなただけを頼りにして生きてゆく勇気と忍耐をお与え下さい。
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いのちが一番大切だと思っていたころ生きるのが苦しかったいのちより大切なものがあると知った日生きているのが嬉しかった

(星野富弘、『鈴の鳴る道〈花の詩画集〉』)


12月27日 聖ヨハネ使徒福音記者

ヨハネ20.2-
8

ペトロより速く走って、先に墓に着いた弟子。そして、「イエスの頭を包んでいた覆い」の場所の違いを、「見て、信じた」とあります。
私たちも、日常の中で起こる出来事を、先入観なく、事実をそのまま受け入れて、神の働きを素直に信じることができますように。
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日常生活の中で、時として、思いもよらない出来事が起こり、全く新しい目で物事を見るように招かれる時があります。今まで持っていた価値観、こだわり、執着を捨て、新しい目で見ることが出来たとき、はじめて、その中に隠された真実を見つけることができます。
この信仰の眼を通して受ける宝は、すでに私達の心の奥深くに与えられていたのではないでしょうか。
主は今も生きて私達の生活に関わってくださっているという現実に心の目を開かせ、主をより深く信じることが出来ますように導いてください。
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ヨハネは神の子の受肉、上からのキリスト論を述べましたが、同時に、イエスの人間性、肉であること、すなわち下からのキリスト論を強調しています。私たち人間が神になるという神化(theosis)の思想は、アレキサンドリア(エジプト)をはじめ、小アジアのアンティオキア(今のトルコ)に影響を与えました。イエスの栄光は、この地上ではベールに覆われていました。父のもとにのぼり、栄光を受けられる復活では、もはやベールは必要でなくな
ります。巻かれているベールを見て弟子は復活の神秘を信じたのです。(荒)


12月28日 幼子殉教者

マタイ2.13-18
 

一人の権力者の罪によって幼子たちが殺害され、母親たちの嘆きと声なき幼子たちの叫びが、聞こえてきます。
命を与え尽くして信仰の賛歌を捧げている人々を思い起こし、私たちの行いの中に信仰を表す恵みを願います。
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人生には、「こんな筈ではなかった」という思いにかられながら、当然の権利も主張できずに耐え忍ばなければならない時期があります。そのような時、なぜこのような苦しい目に会わなければならないのか、不当な扱いを受けなければならないのか、などと思い勝ちです。
しかし、何か目に見えない力に身を任せることができて、その時期を何とか通り過ぎることができたとき、イエスが共にいてくださったこと、確かに自分は守られていて、自分の人生で救いの業が成し遂げられたことを感謝の内に感じるときがあります。
人の思いをはるかに超えた幸せにあずかることを約束してくださった主よ、不条理と思える苦しみをもあなたと共に乗り越える力をお与えください。

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