ヨブ記3

こどもは好奇心の塊で、赤ちゃんのころから、何でも触ったり、口に入れて確かめたりします。おもちゃでも、それで遊ぶだけでなく、すぐに口に入れてしまいますから、注意が必要ですね。ところで、こどもは小さい時は、「あれは何?、これは何?」という質問をします。何でも知りたいという欲求があるのですね。そういう欲求によって知識を増やしていくのですが、やがて、「何?」という質問が、「どうして?」「なぜ?」に変っていきます。人は成長するにつれて、ものごとの本質について深く考えるようになるのです。そして、「なぜ?」という疑問をつきつめていくことによって、知識だけでなく、知恵を得るようになるのです。
 おとなになると、「どうして?」「なぜ?」という疑問は、人生に起こるさまざまなことに向けられていきます。ものごとが順調な時は、「なぜ?」という疑問を持つことは少ないかもしれませんが、苦しみに遭うと、かならずと言ってよいほど、私たちの心に、「どうして?」「なぜ?」という疑問が起こってきます。英語では、大変な目に遭った時、はじめに口にすることばが "Why me?" ですが、苦しみの時に「なぜ」という思いを持つのは、どこの国の人にも共通しています。ヨブも、家族と財産を一瞬にして失い、彼自身も、全身に腫(は)れ物ができて醜い姿になるという大きな災いに遭った時、やはり「なぜ」と叫んでいます。ヨブ記第三章だけでも、「8回も「なぜ」と言っています。
 どんなことにおいても「なぜ」と問わなければ、ものごとの本質が見えてきません。「なぜ」という疑問なしに、答えは得られません。それは、人生についても同じで、人は苦しみの時に「なぜ」という疑問を持ち、その疑問によって人生を深く考え、今まで見失っていた大切なものを見出すことができるようになります。順調な時には気付かなかった多くの貴重な真理を学ぶのです。ヨブ記のテーマは「人はなぜ苦しむのか」「苦しみにはどんな意義があるのか」ということですが、苦しみは、私たちに、自分の人生を再発見させるという意義があるのです。ヨブの質問に対する究極の答えは、キリストの十字直ですが、その意義を理解するために、ヨブのような行き詰まりを体験しなければならないかもしれない。

列王記上

列王記上17・7-16
今度はシドンに行きなさい、と命じられます。ひとりのやもめに養われること自体、馬鹿げています。なぜなら、やもめは福祉制度がある今日と異なり、こじきより多少ましかなっという程度の貧しい存在だからです。
 そして、もっとすごいのは、シドンという国です。まさに、イゼベルがでてきたところ、異邦人の地です。先ほどの烏といい、異邦人の地といい、主はエリヤを、イスラエルやユダヤ人の枠組みから離れたところに連れて行かれようとします。
 けれども、これは旧約聖書と新約聖書の中で、貫かれている原理です。イスラエルが悪くなったとき、そこではなく異邦人の世界の中で主が、ご自分の器を用いられます。兄たちに奴隷として売り払われたヨセフは、エジプト人のところに行きました。イスラエル人に嫌われたモーセは、ミデヤン人のところでお嫁さんをもらいました。ダビデもそうですね、サウルが神にさからって、ダビデを殺そうとしたために、彼はイスラエルとユダの地にいるのが困難になり、それでペリシテ人のところにとどまったりしています。
 そして、イエスさまご自身が、ユダヤ人の中で拒まれたために、その名は主に異邦人の中でほめたたえられるようになっていきます。主がナザレで受けいれられなかったとき、こう言われました。「わたしが言うのは真実のことです。エリヤの時代に、三年六か月の間天が閉じて、全国に大ききんが起こったとき、イスラエルにもやもめは多くいたが、エリヤはだれのところにも遣わされず、シドンのサレプタにいたやもめ女にだけ遣わされたのです。(ルカ4:25-26)」今、私たちが読んでいる出来事です。私たちの間でも、主が喜ばれないことが起こっていて、主にあって改善することがなければ、主はここにはおられなくなって、違うところでご自分の働きをされます。

列王記上18・20-39

くかたち
古代において行われた神判。『日本書紀』はこれを「盟神探湯」と記しているが,「くか」は,けが,けがれと同語であって,つみ (罪) というに等しく,「たち」は断 (裁) であって,決定の意であると考えられる。
罪の疑いを持たれた者に、神に潔白などを誓わせた後、釜で沸かした熱湯の中に手を入れさせ、小石や泥土(ひじ)を,当事者に素手で取り出させ、正しい者は火傷せず、罪のある者は大火傷を負うとされる。毒蛇を入れた壷に手を入れさせ、正しい者は無事である、という様式もある。あらかじめ結果を神に示した上で行為を行い、その結果によって判断するということで、うけいの一種である。
うけい(うけひ)は、古代日本で行われた占いである。宇気比、誓約、祈、誓(ちかい)などと書く。(アマテラスとスサノオの誓約)
実際に盟神探湯を実行した場合は、容疑者に恐怖感を与えて犯罪行為を自白させるための手段としての効果があったと考えられる。つまり盟神探湯の実効性を信じている者であれば、真犯人でなければ躊躇する事なく湯に手を入れようとし(その直前で制止すればよい。あるいは実際に手を入れて火傷をしてしまっても、犯人ではなかったとする)、真犯人であれば神への畏れもあり、湯に手を入れる前に自供するという事である  reign of Ahab (9th century BC),
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ここには、三つのグループがいます。主の預言者であるエリヤが一つ、バアルとアシェラの預言者が二つ目のグループ、そして一般のイスラエル人が三つ目のグループです。エリヤは一般のイスラエル人たちに、どちらかに従いなさい。なぜよろめいているのか、と聞いています。イスラエル人はヤハウェを完全に捨てたわけではなく、ヤハウェも礼拝しながら、なおかつバアルを拝んでいたからです。けれども、それは無理なことです。主は、「二人の主人に仕えることはできません」と言われました。またヤコブは手紙の中で、「二心の人たち。心を清めなさい。(4:8)」と言っています。
確かに、公に主を証ししているのはこのエリヤだけです。けれども、これが彼にとって後で致命傷になります。たった一人の女イゼベルの脅し文句で、彼の精神力は一気に崩れて、自殺願望まで出てくるほど落ち込みました。その時に言った彼の言葉が、「イスラエルの人々は、あなたの預言者たちを剣で殺し、ただ私だけが残りました。」です(1列王19:10参照)。けれども主はその答えとして、「わたしはイスラエルの中に七千人を残しておく。(19:18)」と言われています。オバデヤも、自分が百人の預言者をかくまっていることを話していました。
 確かに、たった一人でも主にあって、立ち向かうその勇気は必要です。けれども、「戦っているのは私だけだ。」という孤独感は実は禁物です。なぜなら、主は必ず残された人たちを、同じ思いを思っている人たちを置いておられて、ともに主にあって働くことを望まれているからです。自分だけが・・・と思ってはいけません。

列王記上18・41-46
 エリヤは、主のことばがあったのにも関わらず、祈りつづけました。いや、主のことばがあったからこそ、祈りました。私たちは、祈りについて二つの過ちを犯します。一つは、約束されているのだから、祈らなくても主が行なってくださるだろう、と考える過ちです。聖書のことは知っていますが、主が生きてその人には働いてくださいません。もう一つの過ちは、聖書に書かれている主のみこころをわきまえないで、ただやみくもに祈ることです。先ほど話した、空を拳で打つようなものです。
 けれどもエリヤは、主からことばをいただき、そして、一度ならず、七たびも祈りました。そして、もう一つ気づくことは、地中海のほうを見ていたであろう若者が、小さな雲だけしか見ていないのに、それをエリヤは大雨の前兆だと悟ったことです。私たちは、祈り待ち望んでいなければ、見えるものも見えなくなります。けれどもエリヤのように、祈り求めているときに、確かに約束がかなえられていることを、まだその徴候がわずかなときでも気づくことができるのです。

 エリヤは確かに、すごい人です。車に乗っているアハブと同じぐらい早く、足で走りました。こうしてアハブに対する、ヤハウェなる神の証しを立てましたが、次の章を見ると、彼はマザー・コンプレックスならず、ワイフ・コンプレックスにかかっているようで、ただ妻のイゼベルに、起こった事をすべて告げるだけでした。

列王記上19・9-16
ホレブは、モーセが燃える柴の中から語りかけられる神様と出会った所であり、エジプトを脱出したイスラエルの民が神様と契約を結び、十戒を授けられたシナイ山の別名です。
エリヤは自分が主に召されたところに留まらないで、自分の好きなところに来てしまったのです。けれども主は優しい方です。このような我がままになっているエリヤに、優しく、彼が悟ることのできる形で付き合ってくださっています。これは実に面白い移行です。主は、火や風、また地震などの大きな目に見える業によって、エリヤを通して働いてくださっていました。エリヤはこれらの目覚しい主の働きをずっと見ていました。
このような働きが目によって、自分の体に入ってきて、それが刺激となって自分の内に溜まっていました。主が大きく働いてくださると、そこで見える徴を見ると、それは魂を喜ばせると同時に、その刺激が強すぎて魂を疲れさせていきます。
 けれども、主はいつまでもエリヤにそのように関わるのではありません。ここに「静かにささやく声、かすかな細い声」とあります。主がエリヤに対して、これまでのようには劇的な奇蹟によって働きだけでなく、かすかな細い声に聞き従うことによってエリヤを用いられようとしておられるのです。
主は失意のエリヤに新しい使命を与えられた。失意の中にある人を励ますのは、彼に為すべき使命が、為すべき業が与えられる時だ。
私たちが、閉じこもっている自分の心の洞穴から出て、神様のみ顔の前に立つことができるのは、何か大きな出来事、あるいは恐ろしい出来事を体験することによってではありません。私たちの心の扉の外で、どんな大風が吹いても、大地震が起っても、燃え盛る火があっても、それで私たちが心を開いて神様の前に立つことはないのです。しかし神様は、そういう仕方によってではなくて、静かな、ささやくようなみ声によって、私たちに語りかけて下さいます。静かなささやくような声ですから、私たちはなかなかそれに気付かないし、聞き流してしまうことも多いのです。しかしある時ふと、その静かなささやくようなみ声に気付き、自分も心静めてそのみ声に聞き入るようになる、そこにおいて、私たちと神様との出会いが与えられていき、そのみ声に導かれて、自分の心の扉を開いて、神様のみ前に出ることができるようになるのです。それが、ここに語られていることの第二の意味であると思います。

史料としての『新約聖書』

史料としての『新約聖書』

 

歴史書

いつ書かれた

最古の写本

ギャップ

写本数

 

 

 

 

 

 

ヘロドトス

(歴史の父)

紀元前485年頃 紀元前420

紀元後900

1300

8

トゥキディデス『戦史』

紀元前460年頃~ 紀元前395

紀元後900

1300

8

タキトゥス『年代記』『同時代史』

紀元後100

1100

1000

20

『ガリア戦記』

紀元前5850

紀元後900

950

9-10

ティトゥス・リウィウス『ローマ建国史』

紀元前59年~紀元後17

紀元後900

900

20

新約聖書

40100

130年(完全な写本350年)

30310

希語5000冊以上+

羅語1万冊+

その他9300

古事記

紀元後712

伊勢本1371-2年

650

2冊

日本書紀

紀元後720

佐佐木本 9世紀写

100

4冊

般若心経

紀元後1世紀

8世紀後半(法隆寺所蔵)

700

(仏陀入滅紀元前383?

1

法華経

紀元前後

紀元後286年(漢訳)

200

数冊


 For if one subscribes to the notion that the Gospels are essentially unhistorical, he is confronted with numerous insurmountable obstacles, not the least of which is an explanation for how this sudden micro-burst of the most extraordinary literary output the world has ever known occurred from some anonymous source –or, even more problematic, sources– containing the most uplifting and influential spiritual content ever written, in a brevity both beautiful and baffling, and in four editions, one of which is markedly distinct in its own right. In other words it truly would be a greater "miracle" for man/men to have produced the evangelium in a flash of "inspiration", than it to be, quite literally, true!






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使徒言行録14・19-28

ところで、パウロは死んだようになってしまいました。しかし、弟子たちがパウロを取り囲んでいると、彼は立ち上がって町にはいって行った。その翌日、彼はバルナバとともにデルベに向かった。

 これはすごいことですね。けれども、クリスチャンは、この復活の力を日々、経験して生活するのです。パウロは言いました。「私たちは、四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。途方にくれていますが、行きづまることはありません。迫害されていますが、見捨てられることはありません。倒されますが、滅びません。いつでもイエスの死をこの身に帯びていますが、それは、イエスのいのちが私たちの身において明らかに示されるためです。(コリント第二4:8-10)」コリント人への第二の手紙は、この出来事の14年後に書かれたものと考えられています。12章で、パウロは、自分がパラダイスに行った経験を語っています。「私はキリストにあるひとりの人を知っています。この人は十四年前に・・肉体のままであったか、私は知りません。肉体を離れてであったか、それも知りません。神はご存じです。・・第三の天にまで引き上げられました。私はこの人が、・・それが肉体のままであったか、肉体を離れてであったかは知りません。神はご存じです。・・パラダイスに引き上げられて、人間には語ることを許されていない、口に出すことのできないことばを聞いたことを知っています。(コリント第二12:2-4)」したがって、パウロは石に打たれたとき、実は、第三の天に引き上げられたという可能性があります。このように、神は、石打ちで殺されるような目にあっても、パウロを守ってくださり、そればかりかすばらしい啓示を与えてくださったことが分かります。私たちも同じです。人生のなかで、キリストにあって苦しまなければいけないときがあっても、それにまさる神の慰めをいただくことができます。

使徒言行録13

使徒言行録13章1~12節「世界宣教へ」祈祷会
 今日から使徒言行録は、後半にはいります。12章から13章は山で例えれば分水嶺にあたります。1章から12章では、エルサレムが中心でしたが、これからはアンティオキアが中心となります。またペトロが中心的人物でしたが、これからはパウロが中心となって展開されます。そしてユダヤ人への宣教が中心であったことから、異邦人宣教が中心となっていきます。異邦人に宣教することは、今まではエルサレムにいたキリスト者がローマの迫害によって、エルサレムから離散して世界各地に行った先きで証しするというものでした。しかしこれからは、拠点となるアンティオキア教会を中心にして世界宣教がなされていきます。
 しかしこれは人間の考えから生まれたものではありません。なぜなら、2節に、アンティオキアの教会が主を礼拝し、断食していると、聖霊が告げたとあります。神が発せられた宣教命令なのです。「さあ、バルナバとサウロをわたしのために選び出しなさい。わたしが前もって二人に決めておいた仕事に当たらせるために。」今日から「神を体験する」というテキストを用いてのクラスがスタートしました。神を体験することを通して、神の御心を知って行う者に変えられることが中心的なことです。自分が神様のために何かをするというのではなく、神が既に私にもっておられるご計画を知って生きる者とされることを目指すものです。主権は神にあります。世界宣教も、神が発せられた宣教命令です。ご聖霊が告げる言葉に従うのです。
今日の御言葉には、三の主人公のことが出てきます。一つは派遣する側のアンティオキアの人々、二つ目に遣わされるバルナバとサウロ、そして三つ目に、聖霊。

使徒言行録11・9-26

ところで、アンティオキアというのは、当時の世界の三大都市の一つでした。もっとも大きかったのは、もちろんローマです。その次に、エジプトにあるアレキサンドリアが大きい町でした。そして三番目に大きかったのがアンテオケです。人口が80万にも達していたとされるアンティオキア。この町は、日本で言えば新宿の歌舞伎町のようなものと考えればよろしいでしょう。汚れと不品行にまみれた町でした。そこに主を信じるものがたくさん起こされたのです。コリント人への第一の手紙には、「また、この世の取るに足りない者や見下されている者を、神は選ばれました。すなわち、有るものをない者のようにするため、無に等しいものを選ばれたのです。(1:28)」とありますが、これは町のレベルでもそうだったのでしょう。ここでは、イエスさまを信じる人はまず起こされない、と私たちが思っているようなところで、主は、多くの人を救われます。
恵みとは、受けるに値しないものを受けることです。
  4つの段階た。語りかけること、宣べ伝えること、勧めること、そして教えることです。その結果どうなったかが、次に書かれています。
弟子たちは、アンテオケで初めて、キリスト者と呼ばれるようになった。
ですから、彼らは、神から遠く離れていた異邦人であったのが、悔い改めて、キリストのように変えられたのです。これが、教会の最終的な目的であり、クリスチャンがキリストのようになっていき、神の栄光が現われることが最終的な目的です。
 こうして、一部のユダヤ人やバルナバが、ギリシヤ人に愛をもって接し、奉仕をしたことによって、ユダヤ人と異邦人がキリストにあって一つになっていきました。

使徒言行録9・1-20

使徒言行録9章9節には、回心を体験した「サウロは三日間、目が見えず、食べも飲みもしなかった」とあります。「目が見えない」というのは、今まで当たり前のように見ていた世界が見えなくなるということ、当たり前のように理解してきた世界の意味が分からなくなるということでしょう。今まで、生きてきて、当然だと思っていたことが突然、当然でなくなるのです。それは、生きる基盤が揺らぐということです。大変な混乱です。だから、「サウロは三日間、目が見えず、食べも飲みもしなかった」のです。いや、「サウロは三日間、目が見えず、食べも飲みもできなかった」というのが、本当のところではないでしょうか。

このように、一人の人の生き方が変わるということは、とても大きな変化です。それこそ、「奇跡である」と表現しても良いかもしれません。生き方が変わったその人にとっても大変なことです。けれども、一人の人の生き方が変わるということは、周りにいる人たちの生き方も影響を受け変わるということを意味するのだと思うのです。サウロの生き方が大きく変わった時、アナニアの生き方も変わったのです。
私共は、このパウロのような劇的な体験はしていないかもしれません。確かに、これはパウロだけに与えられたものでしょう。しかし、このパウロの体験は、聖書を通して、代々の教会の財産となっていきました。何故なら、このパウロに働いて回心させ、召命を与えられた主イエスが、今も自分達の上に働いて、全てを導いて下さっていることを知らされてきたからです。パウロに働かれた生ける主が、パウロに対したのとは違うあり方で、しかし私共が同じ救いの中に生きる為に、今も働いて下さっているのです。まことにありがたいことです。このことを覚え、今、心から主をほめたたえたいと思うのです。

使徒言行録8・1ー8

ステパノがサンヘドリンにおいて、長い説教をし、そのメッセージのために、石打ちにされ殺されてしまった。この殉教をきっかけとして、エルサレムにあった教会に迫害がおこりました。使徒たち以外の者は、周りの地域に散らされました。使徒たちがエルサレムに残ることができたのは、その不思議としるしのわざによって、サドカイ派を中心とする長老たちは、彼らに手を加えるのを諦めていたからです。けれども、他の人々は激しい迫害に遭っています。この出来事は、とても悲しい事のように思えます。敬虔な人はステパノを葬って、非常に悲しみました。教会の多くの人が、次々と牢獄に入れられました。しかし、この試練は、実はイエスが最初から知っておられた事です。1節に、「みな、ユダヤとサマリヤの諸地方に散らされた。」とありますね。それでは、使徒行伝1章8節をお開きください。「しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」ですから、今まさに、イエスのみことばが実現しているのです。彼らは、聖霊の力を受けて、ユダヤとサマリヤの全土へと、イエスの証人となっていくのです。 

 神は、私たちの思いをはるかに超えて、私たちの願いをかなえて下さる方です。一見、私たちには、とても不利に思えるようなことでも、神の目からは最短距離を走っていることが実に多いのです。エルサレムの教会は、とても愛に満ちあふれた交わりがありました。彼らは、自分たちの財産を教会に分け与えて、ともに暮らしていました。日々、パンを裂き、ともに主を賛美していました。すばらしい交わりがあったのですが、イエスさまには、それ以上の祝福を用意されていました。この福音を、エルサレムだけではなく、ユダヤとサマリヤにも広げていきたいと思われていたのです。だから、今、この迫害が起こるのをお許しになって、彼らがユダヤとサマリヤに散らされました。私たちも、彼らと同じように安定を求めます。その安定がいつまでも続くことを願います。けれども、私たちは、そうした快適な領域から出ていって、神に託された使命を果たすように遣わされることがよくあるのです。

 そして、この迫害の主導者はサウロであります。気が狂ったように迫害していますが、次の章では、このサウロがイエスに出会い、回心して、地の果てにまでわたしの証人となる、というイエスのみことばが実現していきます。皮肉ですが、サウロは、この迫害によって、人々をユダヤとサマリヤの地域へ散らすことの手助けをし、また、自ら福音宣教をすることによって、地の果てまで宣べ伝えることを手伝いました。神はすべてを支配されています。

使徒言行録7

 使徒行伝には、殉教者ステパノが「天を仰いだ」ことが記されています。イエス・キリストを力強く証ししたステパノはそのために議会に連れてこられ、大祭司の審問を受けました。ステパノの弁明に人々は激しく怒りましたが、ステパノは聖霊に満たされ、天を見つめていました。するとそこにイエスが神の右に立っておられるのが見えました。ステパノは思わず「ああ、天が開けて、人の子が神の右に立っておいでになるのが見える」と言いました。聖書の他の箇所では、イエスは神の右の座に座っておられるとありますが、このときは「立っておられた」のです。それは、議会での法廷に対して、主イエスご自身がステパノの弁護人として立っていてくださるということを意味していたと思います。また、この後ステパノはエルサレムの街の外に引き出され、石打ちの刑を受けますので、主イエスが立っておられたのは、ステパノの霊を天に迎えるためだったかもしれません。ステパノは石で打たれている間、自分に石を投げつける人たちのために「主よ、どうぞ、この罪を彼らに負わせないで下さい」と祈り続けました。

 たしかに、「殉教」というのは特別なこと、殉教するほどの人は並外れてすぐれた信仰者なのかもしれません。しかし、天を仰ぐことは特別な信仰者だけのものではなく、すべての信仰者ができることです。殉教の時だけ天が開くのではなく、日常の祈りの中でも、天が開けて、神の栄光を、主イエスの栄光を見ることが許されるのです。主イエスは「求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば、見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。」(マタイ7:7)と言われました。「開けてもらえる」というのは「天の扉」のことです。真心から、また、熱心に祈る者のために天の扉は開き、その中にある神の恵みが与えられるのです。「主の祈り」を祈るとき、天を見上げ、神を仰ぎ見、心を込めて、「天にましますわれらの父よ」と呼び求めましょう。そのとき神は、わたしたちに、天におられるお方としてのご自身の栄光をわたしたちに示し、また、天の栄光を示してくださるのです。そのようにして、天がわたしたちにとってももっと身近なものになり、天を仰ぐことが喜びとなるのです。

 (祈り)

 神さま、あなたは天におられ、すべてを治めておられます。地上のものに、この世のことに思いが行きがちなわたしたちに、もっと天のことを思う思いを与えてください。そのために天からの書物、聖書に親しみ、天とのコミユニケーションである祈りに励むわたしたちとしてください。「天にまします我らの父よ」と祈るように教えてくださった、主イエスのお名前で祈ります。

ロマーノ グアルディーニ、『ミサ聖祭に与るための準備』(A・ボナツィ私 訳)➅

13  啓示のことば

ミサ聖祭は行為ではあるが、無言のままで行われるのではなく、することと話すこととを組み合わせたものである。様々な異なった種類の言葉を含み、それらの違いに気づき、それぞれの使われ方の区別を学ぶことは、ミサに対する理解だけではなく、典礼における効果的な参加にも助けとなるだろう。
  まず第一に、啓示[聖書]からの言葉がある。それらの言葉で神が自らの姿を示し、神がこの世をどのように見ておられるかを教える。ご自分のみ旨を示し、約束を与えてくださる。それらは聖書に含まれる言葉であり、主の記念の聖祭において我々はいたるところそれらに直面する。ミサの前半は、まさにほとんど話で構成されている。行為は、最も単純な動き、一定のジェスチャーと立ち位置、または象徴的な場所から別の場所に移動することに限られている。
  書翰と福音書の朗読箇所は、直接に聖書から取られている。前者の呼び名が示唆するように、使徒たちの書翰だけではなく、使徒言行録と旧約の諸文書から選ばれたものである。後者も、呼び名の通り、主の生涯の報告書、つまり諸福音書から取られている。聖書朗読の延長戦に説教がある。説教は、神のみ言葉を解説し、詳しくつながりを述べ、適応し、生き方に当てはめるためにある。神のみ言葉を直接にではなく、むしろ説教の担当者の個人的な意見や人間的な考え方を表している分は、説教はその本質的性格を失うだろう。
  神のみ言葉は偉大なる神秘である。み言葉を通して神ご自身は語るが、その語り方は人間達の話し言葉においてである。これとは異なる、もう一つのコミュニケーションの形態があると思われる。所謂、「純粋に神的」な形態。それで神が、話し言葉という媒介を通してではなく、内面からのみ動かす思い、音にならないが直接に把握される思いを通して、魂を照らし導く形態である。
  このようなタイプのお便りは、他人に伝達されることはない。それを受けた人だけに当てはまるのである。啓示と言われるものは、それとは異なる。啓示は、あらゆる時代のあらゆる人間のためにある。従って、人間の精神世界を成り立たせる形態、つまり話し言葉という形態をとる。啓示も、すべての話し言葉のように、思いと音との、純粋に人間的な混成物である。神の知恵が、人間コミュニケーションのこうした手段に置かれたのである。いかなる時でも、そこから取り出して吟味され得るのである。その時、神の知恵とそれを含む言葉が有機的統一物として扱う必要があある。
  単なる自然的言葉でさえ、聞こえる音から切り離して、それだけで扱うことはできない。なぜなら、霊魂は身体にしがみ付いているように、言葉もその音にしがみ付いている。
ーーーーー
訳注: 「言は肉となった」(ヨハネ1・14)参照。
ーーーーーーーー
この統一物は、今や言わば新たな「霊魂」、つまり神的なもの、の身体となる。それは、霊魂身体をすでに持った人間が恩恵で満たされるのと似ている。恩恵はその人間を新たにし、より高度な存在者にさせる。聖パウロに描かれた「新しい創造」または「霊的人」である。
ーーーーーー
原注:  一コリ2・15, エフェソ2・15。
ーーーーーーーーーーー
  神のみ言葉は、形色と音調を備えた丸ごとの言葉としてとらえる必要がある。その言葉が表す理解可能な概念にのみ注目することは愚かなことである。根のない草のような知的理論に成り下がってしまう。実は、言葉というのは驚くべき現実である。形色と内容、意義と愛、理解と心、深みのある生き生きとした丸ごとである。我々はそれを省察し、知識として受け取る不毛な情報ではない。人格のレベルで出会うべき現実である。我々は、み言葉をこの世のものとしてその性格を丸ごと受け止め、その独自のスタイルと心像をも受け止め保存しなければならない。そのようにしてみると、その力が発揮される。種まきの譬えにおいて主ご自身が、み言葉をよい土を求める種に譬えている。命を生み出し、発展させ、成長させる力を持っている。従って、我々はアイディアを把握するように知性でではなく、土が麦の粒を受けるように、受け取らなければならない。
  世界は、神の言葉によって創造されたと聖書は言う。神は言われた「…あれ」と。我々もその言葉によって創られている。啓示において神が与える言葉を聴くことのできる存在者として創られた。また、み言葉を聴くことによって新しい始まり、恩恵の新しいいのちに招かれるものとして創られた。み言葉に出会うたびに、我々は神の創造する力に出会う。み言葉を受け入れることは、可能性の聖域に入ることであり、新しい人間、新しい天と新しい地が始まろうとしている瞬間に立つことである。
  概念を受け止め、掟を理解するだけでは不十分である。彼方からやってくる他力に心もマインドも開かれる必要がある。
  神のみ言葉が、従って、知性にだけではなく、人間全体に向けられている。神のみ言葉には人間的側面があり、それは人間のマインドと血、魂と身体と生きた統一物になろうと求めている。人間が、人間全体が神のみ言葉の意義全体、形と口調全体、ぬくもりと力全体を受け入れなければならない。種まきの譬えが求めているのはそういうことである。
  聖なる言葉は、「読書される」のではなく、「読んで聞かせる」ものでなければいけない。色と形式は、話に置き換えてではなく、眼を通して我々に届くように、聖なる言葉は眼を通してではなく、耳を通して我々に届くようになっている。届き方と内容は切り離すことはできない。活字となって黙って読書される言葉は、音質をもった丸ごとの新鮮な言葉とは異なる。活字を黙って読む言葉は縮小してしまう。活字は、鳴り響く丸ごとの言葉の乏しい代行物にすぎない。典礼における聖書朗読は、読書会のようなものと考えるならば、読書会らしく参加者は皆、司祭も信徒も、同じ書物を手に持ち、黙って文書読みに没頭する。結果は、読書会の会員共同体となる。ミサの聖書朗読は、これに成り下がることは珍しいことではない。本来は、そうなってはいけない。み言葉は、朗読書から、朗読者の唇に踊り上がり、そこから辺り一面に響き渡り、注意深い耳に聞き取られ、熱心な心によって受け止められる、ということになっている。
  以上のことに対して、典礼は外国語(ラテン語)で祝われていて、そうはいかないではないかと反論されるだろう。その支障を乗り越えるために、説教の前に書翰と福音書は国語で読み直される。が、それは一時しのぎで、主日にのみなされるのが現状である。週日や多くの主日には、参列者は祈祷書を頼りにしなければならないきらいがある。み言葉はミサ聖祭の始めから、聴衆全体に同時に届くのは本来のあり方である。が、今日の典礼の事情では、それは不可能となっている。
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訳注: グアルディーニはこれを書いているのは、第二ヴァティカン公会議の25年前(1939年)で、当時のミサ典礼はラテン語であった。
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  にもかかわらず、現状を生かすように手を尽くすべきである。何よりもまず、国語で朗読される時に、注意深いマインドと受容力のある心と魂で聴く必要がある。聴く言葉は何回も聴いたことのあることは多いので、このような心構えはますます必要になって来る。耳にタコができたほどの状態なので、簡単に印象づけられることはないだろう。我々は、例えば山上の説教やイエスの譬え話やパウロの書翰についてよく知っていると確信しているので、朗読されるときは、「結構だ、結構だ、よし分かった」と、あたかもそういうようになってしまいがちである。我々は、こういう態度を乗り越えなければ、我々の魂は、無数の足や車輪が通った舗装されていない道、極めて硬くなって種の一粒たりとも受け容れることのできない道のようになってしまうのである。
  毎日変わる、季節固有または祭日固有(入祭唱、奉納唱、拝領唱)の聖書引用は、短くてその意味は受け取りにくいかもしれない。それらはより広い箇所(たいてい、詩篇からだが、聖書の他の部分からもある)から取られていて、それらを調べ、全体を黙想することがためになる。書翰と福音書もより広い箇所で読み、文脈を把握し、難解のところについて注釈を考慮に入れるべきである。聖書の箇所は聖堂で声を出して朗読されるときに、我々は極力注意深く聴くようにすべきである。口から出る言葉には、インクの言葉より力強さがある。
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付録

(森一浩、『神のやさしさの中で』, 女子パウロ会、1985年、27ページ以下)

霊的成長

霊的成長とは?

 

Ⅰ、無力さの中での神との出会い

・自分の無力さ(限界)に気づいた。「すべてを自分でしなければならない」「わたしが頑張ればなんとかなる」という考えが自分を行き詰まらせていたことを知った。

・自分を超えたもの(神)に心を向けた。「神」「永遠」「目に見えないもの」とのつながりを感じた。それでもなお自分を生かしているものに気づくことができた。神の愛を体験的に知ることになった。

 

Ⅱ、自分についての新しい見方

・自分のすばらしさを知った。「よいものすべてが失われたわけではない」ということに気づいた。自分を大切にするとはどういうことかが分かってきた。

・人との比較の中で自分を見ることをやめ、自分との比較の中で人を見ることをやめた。わたしは自分の価値を確認するために他人を利用する必要がない。

 

Ⅲ、人との新しいかかわり方

・わたしは、自分の人生の主人になった。自分の人生を人のせいにすることがなくなった。神の前に立つ者として周囲に振り回されない生き方を見いだした。

・人とのつながりを再発見した。いかに人から愛されてきたかということを発見したし、どう人に向かっていけばよいかが分かってきた。

 

Ⅳ、困難の中で前向きに生きる

・現実をありのままに見つめ、受け入れている。現実がどんなに悲惨なものであっても、希望を失わず、前向きに生きることができる。

・死に直面してなお、いのちのすばらしさを信じている。この世のものをいとおしみ、かつこの世のものに縛られないと感じている。

 

Ⅴ、祈り奉仕に生きる

・祈りの中でいつも自分を見つめ、神のみ旨を見つめている。神のみ旨の実現と自分の霊的成長を何よりも大切に考えるようになった。みことばと聖体によって生かされるということの意味を知った。

・わたしは神に遣わされたものだと感じるようになった。日々の生活が輝きに満ち、愛と奉仕に生きる喜びを感じている。

 

(2008.05.10 koda)