エフェソ 3.2 4

エフェソ 3.2

 
どうか父が、その栄光の豊かさに従い、御霊により、力をもって、あなたがたの内なる人を強くしてくださいますように。
そして強められるのは、外なる人ではなく「内なる人」であることに注目してください。パウロは他の個所で、「たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされます。(Ⅱコリント4:16)」と言っていますね。ここの理解がとても大切です。エペソの人たちがパウロの外なる人を見て、落胆したかもしれません。「これほど偉大な神のご計画があるのに、パウロは牢屋の中にはいっている。」と。私たちも、これほどすばらしい神の約束があるのに、どうしてこうなっているの、という問いかけを持っています。しかし、神がご自分の栄光の豊かさにしたがって、私たちを強めてくださるのは、内なる人であることをおぼえておく必要があります。私たちの周囲の状況は、さほど変わることはないかもしれません。けれども、内なる人はどんどん変えられていきます。同じ状況の中にいるのに、その中にいても喜び、平安が与えられ、愛に満たされる自分を発見します。神にゆだねることを覚えていきます。
そして、このように内なる人が強められる結果、私たちが得られるものは、キリストのご臨在です。次をごらんください。こうしてキリストが、あなたがたの信仰によって、あなたがたの心のうちに住んでいてくださいますように。
  私たちの心が神の栄光によって満たされてくると、その栄光であられるキリストが私たちのうちにおられることが、ますます現実のものとなってきます。キリストが私たちの心のうちに「住んで」くださるのです。これは、家の中の置物のようにイエスさまがじっとしておられるということではなく、私たちと奥深い会話をし、生活を共にしてくださるということです。
  このイエスさまとの生活を可能にするのは、私たちのゆだねた心です。私たちは、イエスさまが、家の中にある引き出しを開けたいと願われても、そこには鍵がかかっています。イエスさまにきれいにしていただけばよいのですが、私たちはどうしても、鍵を渡したくないと思います。これは、自分だけの場所としておきたい、と思っているからです。そうすれば、イエスさまは開けることはできません。私たちの自由意思に反してまで、私たちの心の奥底に入って来ようとは思われないからです。しかし、イエスさまは意地悪な方ではありません。愛に満ち満ちた方です。イエスさまが私たちの心のお住みになるのは、私たちがどこまで、キリストの愛に信用しているかにかかっています。
そして、愛の「広さ、長さ、高さ、深さ」について述べています。愛の広さとは、全人類に広がっているキリストの愛です。キリストは全人類のなだめの供え物となるために、死なれました。どのような人であっても、キリストがその人のためにいのちをお捨てにならなかった、ということはないのです。こう考えると、私たちは絶えず、キリストの愛の広さを自分のものとしていく必要があることを知ります。自分に気が合わない人、自分が無関心であった人、そのような人々にも、キリストの愛を見ていく必要があるわけです。キリストの愛の広さです。
  次に、キリストの愛の長さです。神の愛は永遠の愛であり、十字架の上で御子を通して成されたことは、二千年前のパウロであっても、現在の私たちであっても同じなのです。ルターは、「キリストが死なれたのは、つい昨日のことのように感じる。」というようなことを話したということを聞いたことがあります。あの時代にキリストの十字架と復活を経験した人たちと同じように、私たちもその愛を自分たちのものとすることができるのです。
  そして、キリストの愛の「高さ」です。先ほど天上にいる聖徒たちも、この祈りに含まれていることをパウロが述べましたが、キリストの愛は天よりも高くあります。天国において、ほふられたと見える神の小羊がいると、使徒ヨハネは言っています(黙示4:6)。つまり、イエスさまは、地上におられたときと同じように、その両手には釘の跡が、足にも釘の跡が、そしてわき腹が裂かれているのです。賛美にも、このような歌あります。「手足に釘がある。これが神の愛を伝えてくれる。額にはいばらが。これが、私を愛するために、どれだけのものを背負ってくださったかを知る。そして天が過ぎ去るが、それでもその傷は残っており、永遠に、どれだけ私を愛してくれているかを知らせる。」キリストの愛は、天にまで及んでいるのです。
  そして、キリストの愛の「深さ」です。キリストの愛は、それを知ったときもありますが、それで終わるものではありません。さらにさらに深く、キリストの愛は私たちに迫ります。私は、クリスチャンになったときにキリストの愛を知りました。当たり前ですが。それからは必要ではないと思いました。きよい良いクリスチャンになるのだから、と。しかし、クリスチャンになってから、自分がとてつもない罪人であることを気づかされることが起こりました。キリストは、その罪のためにも死んでくださいました。今の自分も、キリストの愛がなければ、たちまち滅ぼされているでしょう。キリストの愛は、さらに深められていきます。
  そしてパウロは、「人知をはるかに越えたキリストの愛を知ることができますように。」と祈っています。これは普通に読んだら、矛盾する言葉です。人知をはるかに越えているのに、知ることができるように、と祈っています。キリストの愛は、知性では計り知ることはできませんが、しかし、私たちの霊によってそれを体験することができます。キリストの愛がどうしても分からない、と悩んでおられる方は、- いや、すべてのクリスチャンがこのことで悩んでいるのですが、- パウロのように霊によって、キリストの愛を体験することができるよう、ますます祈っていこうではありませんか。キリストの愛は、私たちが把握して、自分の頭の中にしまっておくことができるようなちっぽけなものではありません。満たされて満たされて、それでもあふれていくような奥の深いものなのです。

エフェソ 4

「その招きにふさわしく歩みなさい。」と言っています。つまり、この招きがいかにすぐれているかを、神の召しについて知らない人が、ふさわしく歩むことはできない、ということです。救いについて、そのすばらしさを知らない人が、その救いにふさわしい歩みをすることはできません。
 エペソ人への手紙について、よく、「歩くことを学ぶ前に、座ることを覚えなければいけない。」と言われます。「神は、キリスト・イエスにおいて、…とともに天のところにすわらせてくださいました。」と2章6節に書いてありますが、私たちがキリスト・イエスにあってどのような存在であるかをまず、学ばなければいけないということです。天のところにすわっていることをまず知ってから、それからその召しにしたがって歩むことができます。赤ちゃんが成長して、歩くことができるまえに、座ることを学びますね。これと同じです。
 別のたとえを用いるならば、私たちは、海に浮かぶ氷山のようです。「氷山の一角」と言われるように、私たちが目にする氷山は、海中に広がっている何倍もの大きさの氷があるからこそ、海上から氷山を眺めることができます。私たちの歩みは氷山の一角のようであり、キリストにある自分というものが、歩みとして自然に現れてくるのが正しいのです。したがって、「招きにふさわしく歩む」ことが第一歩になります。
「からだは一つ、御霊は一つです。あなたがたが召されたとき、招きのもたらした望みが一つであったのと同じです。主は一つ、信仰は一つ、バプテスマは一つです。すべてのものの上にあり、すべてのものを貫き、すべてのもののうちにおられる、すべてのものの父なる神は一つです。」
 この個所を読んで、お気づきになられたでしょうか?三位一体の神がここに啓示されています。「御霊は一つ」「主は一つ」「父なる神は一つ」とありますね。神がひとりであられるがゆえに、その神の教会である私たちも一つでなければいけない、ということです。イエスさまは、十字架につけられる前夜に、このように父なる神に祈られました。「父よ、あなたがわたしにおられ、わたしがあなたにいるように、彼らがみな一つとなるためです。また、彼らもわたしたちにおるようになるためです。そのことによって、あなたがわたしを遣わされたことを、世が信じるためなのです。(ヨハネ17:21)」イエスさまと父なる神が一つであるように、彼らも一つになること。そして、彼らが一つになっているのを世が見て、世がキリストを信じるようになること。これが、イエスさまの祈りでした。
 もし私たちクリスチャンが、互いにいがみ合っているのであれば、クリスチャンではない人は、キリストは分割されている方なのか、というイメージを持ちます。神がばらばらになっているという印象を持たせます。しかし、三位一体の神を神としてこの世に示すために、私たちは一つになっている必要があるのです。

エフェソ 1-3

エフェソ 1

宅急便の荷物のラベル

パウロがここで賛美しているご聖霊の働きは、一言でいうと、「証印」であります。私たちが、キリストにあって、真理のことば、救いの福音を聞き、それを信じたら、聖霊によって証印を押されます、とパウロは言っています。「証印」というのは、かつて、貿易の貨物がだれのものであるかを明らかにするためのスタンプでありました。昔は、今のように紙のラベルに印刷するのではなく、蝋(ろう)があって、自分の指輪の印を、まだ柔らかい蝋に押しつけました。それが固まったのが証印であるわけです。
  この手紙を読んでいるのは、エペソにいる信徒たちでした。エペソは、当時、貿易中継都市としてもっとも栄えた都市の一つでした。東の国々から、世界の中心地であるローマに対して数多くの貨物が輸送されました。そのエペソにおいて、貿易商人たちは、自分たちが売るための商品を梱包して、それから、今話しました「証印」を押しました。これが自分たちのものであることを、こうして証明したのです。積荷された船は次に、コリントの町を通って、イタリヤのポテオリという港町に行きます。ポテオリからローマは近くにあり、この港からローマじゅうに製品がポテオリで積荷は降ろされますが、そのときに、どの荷物がだれのものか証印によって判断するのです。貿易商人は使いを送って、自分の荷物を探させます。その使いは、「あった、あった!」と言って、主人の指輪の証印と、ろうそくに型どられた印の跡と照合した荷物を持ってくるのです。
  パウロは、エペソにいる人たちがよく知っている、この出来事を用いて、神の贖いのご計画について説明しているのです。私たちは、この貿易商人の商品であります。貿易商人、つまり所有者は神でありキリストです。私たちが、救いの福音を聞いて、信じたときに、神は私たちに、私たちがキリストのものであることの証印を押してくださったのです。それは、目に見える証印ではありません。神の聖霊ご自身が、証印となってくださっているのです。
  これはとてつもない霊的祝福です。私たちは、まだすべてのものが贖われているのを見ていません。私たちのからだは、相変わらずアダムから引き継いだところの罪を宿しているし、この世界もまだキリストの支配に従っていません。キリストの血によって、すべてのものは神の支配下にあるのですが、すべての者が神に従っているわけではないのです。ダビデが油注がれて、王となったのにもかかわらず、サウルがしばらくの間、王位に着いていました。同じように、キリストは今、神の右の座に着いておられるのに、悪魔は不法に、自分の王座をこの世に置いています。しかし、すべてのものがキリストの足下に来る日が来るのです。まず、私たちのからだが変えられて、キリストに似た者になる時が来ます。そして万物が変えられて、すべてのものが、自然も、国も、経済も、政治も、文化も、教育も、家族関係も、すべてがキリストに服従する時が来ます。したがって、神は、すべてのものをご自分のものにしておられますが、その所有権をまだ行使されていないのです。
  その間、私たちも、また被造物も、自分たちが贖われるのをうめいて、待っているような状態にいるのです。しかし、私たちには、その道程にともにおられて、助け、慰めてくださる方がおられるのです。その方がパレクレトス、聖霊であります。創世記の学びをおぼえおられますか、アブラハムのしもべエリエゼルは、イサクの妻になる人を探しに行きました。リベカがいました。リベカは、エリエゼルの言い寄りに従い、彼とともにイサクのところに行くことを決めました。そこからイサクが住んでいるところまでは、かなり長い道のりです。しかし、その道すがら、エリエゼルはリベカに花婿イサクのことを話したことでしょう。彼がどのような人であるか、彼が父からどれほどの財産を受けているのかなどを話し、さまざまな言葉で彼女を励まし、慰め、助け、イサクに目を向けさせたはずです。これがご聖霊の働きなのです。聖霊は、この暗き世において、私たちを慰めてくださいます。キリストの栄光を知らせてくださり、私たちが苦しみの中にいても、希望を持つことができるようにしてくださっているのです。
  私たちはちょうど、証印を押されて、ポテオリに向かっている貨物のようであります。まだ所有者のものとなっていません。しかし、証印があるので、確かに所有者の手の中に入ります。その時が待ち遠しいです。所有者が、「これはわたしのものだ。」と言ってご自分のものとされる時が近いのです。このように、ご聖霊は、私たちが神の子どもであり、キリストによって贖われていることを確認してくださるのです。
それでは次の節に行きます。聖霊は私たちが御国を受け継ぐことの保証であられます。これは神の民の贖いのためであり、神の栄光がほめたたえられるためです。
  ここの「保証」というのは、「手付け金(てづけきん)」とか「頭金(あたまきん)」と訳すことができます。高い買物をするとき、自分が必ずそれを購入することを確かにするために、手付け金を払いますね。例えば家やマンションを買うときは、売主と買主の間で契約を結びます。そのときには、買主は購入代金の一部を売主に払います。それは、買主が、他の良い物件が見つけて、それに乗り移ってほしくないからです。買主が買うと言っているので、その間、他の人には売らないようにしておきます。けれども、途中で気が変わって、契約をキャンセルしたら、その間に本当は他の人が買ったかもしれないその機会を失ってしまいます。ですから、手付け金を受け取って、確かに買主が購入を完了させる保証としているのです。
  そして、パウロは、聖霊が、この手付け金であると言っています。神が私たちを贖ってくださるのですが、本当に贖ってくださることを保証するために、その祝福の一部を、私たちに与えてくださったのです。私たちが今得ているのは、神が与えてくださるところの祝福のごく一部です。ご聖霊によって、私たちに平安が与えられ、キリストの愛によって満たされ、言葉で言い表すことのできないほどの喜びに満たされ、私たちは、ああ、なんと祝福されているのであろうかと思います。けれども、それは頭金でしかないのです。天における祝福のほんの少しなのです。ですから、神の御国がいかに栄光に富んでいるものであるかを、知ることができるのでしょう。

エフェソ 2

組み合わされた建物の全体が成長し、主にある聖なる宮となるのであり、
新しいマンションの建設現場
 これは面白いですね。エルサレムのヘロデの神殿がまだ完成していませんでしたが、私たちもまだ完成しておらず、建築中であるとされています。私たちが集まるときに、相手に期待しすぎる傾向がありますね。けれども、「鉄が鉄を研ぐ」という箴言の言葉があるように、互いに成長するために存在するのです。相手の不完全さを見てもがっかりしないでください。むしろ、不完全な者どおしで、成長できることを喜びとしてください。
イスラエルは、神を礼拝するために神殿に行きましたが、なんと私たちは、その神殿そのものになっているのです。それは神の御霊が私たちのうちに生きてくださっているからです。
 このように、私たちは、遠く離れていた者たちから、神の御住まいそのものになってしまいました。また、罪の中に死んでいた者から、天にキリストとととに座する者となってしまいました。「以前のあなたと今のあなた」です。私たちはどれほど、このすばらしい恵みの豊かさに浴しているでしょうか。あたかも、だれかから請わなければいけないように、貧乏人を装っていることはないでしょうか。神は、すべての霊的祝福をもって、私たちを祝福してくださいました。キリストにあって、私たちは満ち満ちています。

エフェソ 3

神が私たちに秘められた計画を持っておられるとは、どういうことなのでしょうか。ちょっとたとえで話してみましょう。あなたが有能な大工さんで、棟梁であるとします。自分の愛する人と結婚することになりました。その人は、この女性を愛し、その愛をどのように示せばよいか考えています。そうだ、彼女のために別荘を建築してあげよう。だまって内緒でそれを建てるのだ。彼女が好きなデザイン、色彩、好みなどを考えながら建てよう。そして、あなたは、妻に隠して建築をはじめます。二年の歳月が経ちました。結婚記念日のときに、「ちょっとプレゼントがあるんだ。」と言って、彼女を別荘まで連れていきます。まさにあなたのあらゆる技能をもって出来上がった最良の別荘です。
 これがmusthrion(ムステリオン)、秘められた計画であります。神は、永遠の昔から、私たちのために計画を立てておられました。神のあらゆる知恵と思慮深さをもって、ご自分の恵みを明らかにする方法を考えられました。そしてそれを、ずっとお隠しになっていたのです。旧約時代の聖徒たちにさえ隠しておられました。おぼえていますか、ダニエルが御使いから受けた幻について、理解できずに悩んでいたときに、御使いは、「あなたは終わりの時まで、このことばを秘めておき、この書を封じておけ。(12:4)」と命じました。あの神の人ダニエルでさえ知らなかったこと、また他の偉大な預言者も知りたいと思いながら知らされていなかったこと、それを私たちは今、知らされているのです。
2C ともにあずかる者 6-7
 そして、この計画は次のとおりです。その奥義とは、福音により、キリスト・イエスにあって、異邦人もまた共同の相続者となり、ともに一つのからだに連なり、ともに約束にあずかる者となるということです。
 異邦人がユダヤ人とともに、神の相続人となること。一つのからだ、あるいは神の家族の中に入ること。そして、ユダヤ人とともに約束にあずかることです。これは実はすでに、エペソ書2章で、パウロが語っていることでした。異邦人は、神もない希望もない者たちであったけれども、キリストの十字架によって隔ての壁が壊され、二つが一つになる。新しいひとりの人に作り上げられる、とありました。
ユダヤ人でもなく異邦人でもない、まったく新しいアイデンティティーを持つことになりました。つまり、「キリストにある者」です。「だれでもキリストのうちにある者は、新しく造られた者です。古いものは過ぎ去りました。見よ、すべてが新しくされたのです。」という言葉です。

ルカ 11

ルカ  11

 「祈るときには、こう言いなさい。『父よ。御名があがめられますように。』」

 祈るときは、まず祈る相手がだれであるかを知らなければなりません。祈る相手は、「父」であります。つまり、私たちが神を父とするような親密で、個人的な関係がなければ、祈りをすることはできないということです。私たちはとかく、祈ること自体に重きを置いてしまいます。「私はクリスチャンなのだから、とにかく祈らなければいけない。」というように、儀式的に義務的になってしまいます。けれども、もし私たちが、神が父であることを知ったらどうでしょうか。自ずと祈りへと導かれるのではないでしょうか。その方と意志伝達をしたいと思うはずです。ですから、祈るときには、その相手がだれであるかを意識しなければいけません。

 「御国が来ますように。」

 祈る相手がわかったら、今度は、その方の考えておられること、願っておられること、計画されていることが実現するように願います。自分の願いや考えよりも、信頼する父が願っておられること、考えておられることが実現することほうが、もっと有益だからです。私たちが、父ご自身のなさることを自分の喜びとするとき、父は私たちにご自分の願いを置いてくださいます。そして、それを私たちが願うと、その願いはかなえられるのです。

 私たちの日ごとの程を毎日お与えください。

 今度は、実際の生活の場面で、父に生きて働いていただくようにします。日ごとに、毎日お与えくださいと、毎日願うことが強調されていますね。いつも、絶えず、父に自分の身をゆだねていかなければいけません。「ここの部分は自分でいろいろやるから、後で神さま、あの部分をやってください。」というようなものではないのです。糧とあるように、物質的なことに父が関心を持っておられることを認めます。

 私たちの罪をお赦しください。私たちも私たちに負い目のある者をみな赦します。

 今度は、実際の生活の場面でも、霊的なこと精神的なことについてです。つまり、神との関係と、人との関係について祈ります。クリスチャン生活にとって、例えば、病気になったとか、盗難にあったとか、そのような不幸は不幸に数えられません。苦しみは、しばしば神から与えられる賜物です。けれども、罪を犯すことは神との関係を崩します。すぐに関係の修復のために取り組まなければいけません。また、例えば夫婦が貧乏になっても、問題ではありません。けれども、けんかをしていれば問題です。ですから、神との関係、人間関係のために、父が働いてくださるように祈ります。

 私たちを試みに合わせないでください。

 最後に、御国の外にいる者から守られるように祈ります。使徒ヨハネは、「わたしたちは神からの者であり、全世界は、悪い者の支配下にあることを知っています。(1ヨハネ5:19)」 と言いました。私たちは、つねにこの世と接触しているので、受ける誘惑も大きいのです。ですから、私たちが誘惑に立ち向かうことができるように祈ることは大切です。


 



 

 
 


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ヨブ記 3

ヨブ記 3

 しかし、ヨブはそれをいま剥ぎ取られてしまいました。そこで彼は、もっとも基本的な問いかけを口にしたのです。それは、「なぜ自分が生まれたのか」という問いかけです。なぜ自分が生まれたのか、なぜ自分が生きているのか、自分がいま生きている意味は何なのか?という疑問です。

 私たちは、普段はこのような問いかけはしないでしょう。しかし、この疑問の答えることが実は私たちが生きている上で至上命題なのです。生まれたときにも、また死ぬときにも、私たちは裸であり、何か持ってきたわけでもないし、何か持っていくこともできません。

 しかし、私たちの人生の物差しは、主が言われた「何を食べようか、何を飲もうか、何を着ようか。」になっています。今の日本人に、自分が生きている価値を聞いたときに、この世の中で成功するための教訓は話せるかもしれませんが、なんで自分が生存しているのかという根本的な問いかけは答えることができません。けれども、これがもっとも早く見つけなければいけない解答なのです。

 それを主イエス・キリストは、「永遠のいのち」と言われています。単に肉体が生きることではありません。また、精神的に幸せな状態を保つことでもありません。なぜ自分が生きているのか、ヨブのようにすべてが剥ぎ取られたときに、それでも生きている価値があると言える霊のいのちを持っていることです。

ヨブ記 9

これは地上で起こっていることだけを見れば、現実です。正しい者も悪者も同じ災いを受けます。罪のない人が酷い目にあいます。そして裁判所では正しい裁判が行なわれません。ヨブは、「もし、神がそうするのでなければ、そうするのはだれか。」と言っています。彼は神の主権に焦点を合わせています。もちろん人の罪が、そして世の制度が、そして悪魔が不正な裁判をさせる背後に存在します。けれども、これらのものはみな神の許しあって起こっていることです。神はすぐにでも、人を、この世を、悪魔を滅ぼすことができますが、それをあえてなさいません。もちろん、これは人々が自分で神を愛する選択をすることができるようにするためのものですが、神の主権の中で起こっていることです。

人生のなやみとはそのように深く、結局神、生ける神との出会い以外に解決の道がないことを思わせられる。


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天の元后 聖マリア

天の元后 聖マリア

Inno alla Vergine - Dante Alighieri
Vergine Madre, figlia del tuo figlio,
umile e alta più che creatura,
termine fisso d'eterno consiglio,

tu se' colei che l'umana natura
nobilitasti sì, che 'l suo Fattore
non disdegnò di farsi sua fattura.

Nel ventre tuo si raccese l'amore,
per lo cui caldo ne l'eterna pace
così è germinato questo fiore.

Qui se' a noi meridiana face
di caritate; e giuso, intra i mortali,
se' di speranza fontana vivace.

Donna, se' tanto grande e tanto vali,
che qual vuol grazia e a te non ricorre,
sua disianza vuol volar sanz'ali.

La tua benignità non pur soccorre
a chi domanda, ma molte fiate
liberamente al dimandar precorre.

In te misericordia, in te pietate,
in te magnificenza, in te s'aduna
quantunque in creatura è di bontate.

Dante, Paradiso XXXIII, 1-21

マリアへの祈り

ダンテ『神曲』新訳刊行準備中のイタリア文学者・原基晶さんによる、「天国篇」第三十三歌(『神曲』最終歌)冒頭、「マリアへの祈り」の翻訳連ツイをまとめました。

「処女であり母、あなたの息子の娘、/あらゆる被造物より身を卑しくし、かつ崇高、/
永遠の御心の定まれるまと的 、/あなたこそは人類を/この上なく高貴にされた方、それゆえに創造主は/自らを人の被造物とされることを厭わなかった。

あなたの胎内で再び愛が燃え上がったのだ 。/その暖かさにより、永遠の平和のうちに/
この花はこのように双葉を開いた 。/

ここであなたは、我らへと慈愛を放つ/南中した松明 であり、下界では、必滅の者達にとり/生ける希望の泉だ。

貴婦人 よ、あなたはかくも偉大、かくもお力を持ち、/
ゆえに恩寵を望んで、なお、あなたの助けを求めぬ者の、/
その希望は翼なしに飛ぼうとしている。/
あなたの慈しみは求める者を/
救うだけでなく、寛い心で/幾度も求めに先んじられる。

あなたのうちに慈悲があり、あなたのうちに憐れみがあり、/
あなたのうちに寛い心があり、あなたのうちに、/
被造物のうちにある、あらゆる善が一つになっている。/

今、この者、宇宙の奈落の底から/ここまで、霊を備える魂を/
一人一人見ながら至り、/恩寵にかけてあなたに願う、究極の至福に向かって/
さらなる高みへと目を見開きながら昇っていけるほどの、/
大いなる力が与えられんことを。

そして我は、この者の視力のためほどには/
己の視力のために燃え上がったことはなく、/
その我が願いのすべてをあなたに捧げん、願いの至らぬことなきを願わん、
あなたの祈りにより、この者に巣食う必滅ゆえの/
あらゆるもや靄が消散し、/究極の至福がこの者にそのすべてを顕さんがため。

女王よ、あなたが望めばそれはなされるがゆえ、/
我はさらにあなたに祈る、これほどのことを見た後でも、/
この者の心が健全なままでいられることを。

原基晶 @motoakihara 2012-12-24 22:46:19




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Mythbuster Extraordinare: How Benedict Tackled False Christologies.

Mythbuster Extraordinare: How Benedict Tackled False Christologies.

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Christians sense there is something radically wrong in trying to put Christ into strange molds, where long-held Christian beliefs about Christ are attacked from all sides. As Benedict stated in his Dunwoodie address to seminarians, to see Christ’s face ” … is a discovery of the One who never fails us; the One whom we can always trust…”
 
The past century was characterized by ideologies about human nature and society, some of which are now collecting in the dustbins of history. Even in Christian circles, there were attempts to recast Christ as someone reflecting the scholarship, ideology, or mood of the times. Perhaps, this arose out of a kind of boredom with traditional depictions of Christ, perhaps from pride, or just plain delusion. In a work by Romano Guardini, entitled The Humanity of Christ: Contributions to a Psychology of Jesus (1963), Guardini stated:
Our minds, dulled by everything said and written on the subject, can no longer comprehend the passion with which for centuries the early Christians fought out the issues of Christology. 1
Guardini saw that Christological distortions would be an especial problem in his times, an attempt to revolutionize our understanding of Christ, a kind of myth-making in keeping with the ideologies at hand.  Some post-Enlightenment, Christological illusions depict Jesus as a social prophet, Jewish rabbi, movement founder, healer, revolutionary, meek friend, psychotherapist, not to mention the pre- and post- Easter Jesus, among many others. One particularly harmful depiction was the one commonly known as the “Jesus of History.” Pope Emeritus Benedict XVI made it his special mission to be a mythbuster hereto engage in a determined deconstruction of this particular false depiction of Christ.

The “Jesus of History

“Jesus of history” portraits are presented as factuala product of the historical-critical method of biblical exegesiswhich arose in the context of increasing archaeological and scientific discoveries in the late 18th and 19th centuries. They emphasized the historically verifiable, the reasonable, in contrast with the Jesus of living tradition, the “Jesus of faith”the latter seen as imbued with pious and comforting accretions, but with little basis in historical fact. Some early researchers in the quest for the “Jesus of history” were: Romano Guardini, The Humanity of Christ: Contributions to a Psychology of Jesus(1885-1968), whose Deism led him to reject the reality of miracles; David Friedrich Strauss (1808-1874), who asserted that the supernatural elements of the Gospels could be treated as myth; and Ernest Renan (1823-1892), who asserted that the biography of Jesus ought to be open to historical investigation just as is the biography of any other man.
In Jesus of Nazareth (2007), Benedict prefaces his critique of the historical critical method by acknowledging that it is a useful first step, which “remains  an indispensable dimension of exegetical work” because “it is of the very essence of biblical faith to be about real historical-critical events.” 2 In fact, the encyclicals Providentissimus Deus (1893), Divino Afflante Spiritu (1943), and Pontifical Biblical Commission documents had encouraged historical research. Without recognizing Christianity’s historical dimension, Benedict says, there is a danger of gnosticism, stressing personal enlightenment alone. Christianity, Benedict stresses, lies on the factum historicum, not symbolic ciphers, or concepts alone:
“Et incarnatus est”—When we say these words, we acknowledge God’s actual entry into real history. 3
That having been said, Benedict goes on to critique  the views of ”Jesus as history” scholars, such as:  Adolf von Harnack (1851-1930), Martin Dibelius (1883-1947), and Rudolf Bultmann (1884-1976). They viewed the probable and measurable as solely of value, relegating miracles to the realm of doubt or myth. 4  Benedict explains that even outstanding biblical scholars, such as Schnackenberg, can end up constrained by its methods. 5 The historical-critical method fueled hermeneutical suspicion about everything in some quarters, and sparked  ‘‘anti-Christologies,” leaving genuine seekers for Christ submerged in endless scholarly conflicts and questioning, wondering if the Gospels themselves were genuine. The shifting hypotheses of exegetes, as Avery Dulles noted, led to neglect of tradition, and historical research became “the highest doctrinal authority of the Church.” 6
Some of the damaging legacy which undermined traditional Christological portraits, can be seen in this website account:
Jesus is not the only-begotten Son of God sent to earth to die for our sins. Rather, he is one of us who, as a man, simply had an unusual degree of experiential contact with God. He says remarkably little about himself. Having found freedom himself, his only goal is to help us find it. 7
Another “Jesus of History” came from Father John Meier, professor of New Testament at Washington, D.C.’s Catholic University of America, who declared in A Marginal Jew (1991), that “on painstaking deductions from the New Testament” and “other knowledge about the Graeco-Roman cultures in which Jesus and his followers moved”that Jesus was probably married, had four brothers and sisters (not cousins), and that he was born in Nazareth not Bethlehem. 8
Most Christological portraits—especially those à la Bultmann—deconstruct Jesus to be an ordinary, first century, Jewish rabbi, about whom little can be said, except that Jesus is not the “person” the reader thought he was, that is, the Son of God, as proclaimed in Scripture and tradition for millennia. After perpetual deconstruction, Benedict notes, scholars often are then obliged to resort to novel reconstructions in order to explain how everything came about, their “sheer fantasy” based on their philosophical proclivities. 9

Obfuscating theologians

The historical-critical method thus becomes a meta-method, a broad funnel through which continual Christological deconstruction and reconstruction flows, blind to its own philosophical assumptions, breaking the memoria ecclesiae, ensnaring the innocent. Benedict interprets the passage: “Whoever causes one of these little ones who believe in me to sin, it would be better for him if a great millstone were hung around his neck and he were thrown into the sea” (Mark. 9:42), as not only referring to sexual abuse victims, but also to victims of obfuscating theologians and exegetes, who deconstruct and obscure Christ’s face. 10 Similarly, Benedict has quoted Joseph Gnilka’s view that “The devil presents himself as a theologian,” especially one involved in biblical exegesis. 11
The “crisis” Benedict referred to is that of conflicting historical-critical theories, which instead of unveiling the traditional Jesus of the Johannine, Synoptic, and Pauline Christologies, have created biblical cataracts for hapless seekers. Benedict underlines the method’s unreasonableness in highlighting the “word” (and its endless interpretations) as opposed to the unique “event” of endlessly exposing “discontinuities” of text; and insisting that “simple” accounts are original and believable, while “complex” accounts are later Hellenic, mythic impositions on earlier Semitic paradigms—the paradigms and myths selected according to the writer’s taste. The historical-critical method’s major flaw is that it is anti-historical in the sense that it is not open to revelation of a unique historic event, of God entering time, the basis of any Christology.

Deconstructing the hermeneutic of suspicion

Benedict sees the philosophical roots of historical-criticism (especially in Bultmann) in the Kantian  belief that the noumenon—the thing-in-itself—cannot be known, and only the methods of natural science can recreate Christ. This constitutes an unreasonably narrowed focus, an ostracism of metaphysics, an ontological phobia. In a skillful volte-face, Benedict applies a similar hermeneutic of suspicion to the methods of the scholars themselves, saying: “What we need might be called a criticism of criticism.” 12 Praising a doctoral dissertation by Reiner Blank, entitled: “Analysis and Criticism of the Form-Critical Works of Martin Dibelius and Rudolph Bultmann,” as a “fine example of a self-critique of the historical-critical method,” he enlists Heisenberg’s  “Uncertainty Principle” in his attack:
Now, if the natural science model is to be followed without hesitation, then the importance of the Heisenberg principle should be applied to the historical-critical method as well. Heisenberg has shown that the outcome of a given experiment is heavily influenced by the point of view of the observer. 13
Thus, in the Heisenbergian spirit, Benedict critiques the “Jesus of history” for its uncertainties! He does so  under two main headings in Jesus of Nazareth. First, he says that the historico-critical method is restricted to leaving the biblical word in the past, which contradicts the Gospel’s claim that Jesus is the eternal Logos who is not confined to time. The Scriptures reach out to all, beyond the past, the moment “a voice greater than man’s echoes in Scripture’s human words.” 14 Jesus’ revelation of God “really did explode all existing categories, and could only be understood in the light of the mystery of God.” The words and events of Christ’s “life” transcend time and “one must look at them,” Benedict says, “in light of the total movement of history, and in light of history’s central event, Jesus Christ.” 15 True, Christology requires openness to divine revelation as a fact in itself, even if one takes into account  Heisenberg’s understanding of the human predisposition to  perceive this reality in a manner suited to the knower.
Benedict describes the second major limitation of  “Jesus of History” portraits as presupposing “the uniformity of the context within which the events of history unfold,” therefore treating ”biblical words it investigates as human words.” 16 This eradicates Jesus’ supra-human claim that he came to do his Father’s will. Highlighting this in his essay on Guardini’s book, The Lord, Benedict says:
The figure and mission of Jesus are “forever beyond the reach of history’s most powerful ray” because “their ultimate explanations are to be found only in that impenetrable territory which he calls ‘my Father’s will.’” 17
Benedict goes on to say,”One simply cannot strip ’the Wholly Other,’ the mysterious, the divine, from this Individual. Without this element the very Person of Jesus himself dissolves.” 18 When, as is recounted in Jesus of Nazareth, the rabbinical scholar, Jacob Neusser, reads the Gospels with an open mind, he concludes that the dramatic, universal, plainly understood message of the New Testament is Christ himself, who is the Son of God, and who invites us into this heavenly family. Benedict, implicitly asks, if a Jewish scholar can see it, why can’t Christian exegetes?
Jesus understands himself as the Torah—the word of God in person … Harnack, and the liberal exegetes, went wrong in thinking that the Son, Christ, is not really part of the Gospel about Jesus … The truth is that he is always at the center of it … The vehicle of universalization is the new family whose only admission requirement is communion with Jesus, communion in God’s will. 19
So radical is the claim that “Jesus understands himself as the Torah“—the center and living unity of the Old and New Testaments—that the Jewish scholar is so overwhelmed that he can hardly absorb it, recognizing its extraordinary claim as one that Buddha, Mohammed, or other religious leaders never made. Benedict uses the rabbi’s fresh observations to perform myth-busting on historical deconstruction, reminding us that “humble submission to the word of the sources” dynamically unveils Jesus—and “he who sees Christ, truly sees the Father; in the visible is seen the invisible, the invisible one.” 20
The distortions of the “Jesus of History” are now, in fact, becoming “history” for Christ—not Christophobia—always arising in eloquent simplicity out of the hazy distortions, and rusting ideologies, of past and current deceptions. Christians sense there is something radically wrong in trying to put Christ into strange molds, where long-held Christian beliefs about Christ are attacked from all sides. As Benedict stated in his Dunwoodie address to seminarians, to see Christ’s face ” … is a discovery of the One who never fails us; the One whom we can always trust. In seeking truth, we come to live by belief because, ultimately, truth is a person: Jesus Christ.” 21  Re-awakening Christians from their historical-critical hypnosis, in a very clear way, has relegated the “Jesus of History” to the realm of mummified theories, unveiling Christ, who always invites our trust throughout the ages. This relentless and successful myth-busting  of a “learned” but false depiction of Christ will be one of Benedict’s most profound and lasting legacies, now, and in the time to come.
  1. Romano Guardini, The Humanity of Christ: Contributions to a Psychology of Jesus. 3rd Edition. (NY: Random House, 1964). Originally published in German as Die Menschliche Wirklichkeit Des Herrn.  in 1958 by Werkbund-Verlag, Wurzburg.
    http://www.ewtn.com/library/CHRIST/HUMAN.TXT (Retrieved 8/2/2009).
  2. Pope Benedict XVI, Jesus of Nazareth, (London: Bloomsbury, 2007), xvi.
  3. Ibid., xv.
  4. Ibid., xi-xix: 34-38. Similar points were made by Ratzinger in a previous lecture and publication. Joseph Cardinal Ratzinger, “Biblical Interpretation in Crisis: On the Question of the Foundations and Approaches of Exegesis Today,” in R. J. Neuhaus, ed., Biblical Interpretation in Crisis (Grand Rapids : William B. Eerdmans, 1989). Originally delivered as an Erasmus Lecture at St. Peter’s Lutheran Church in New York City on 27 January 1988. Also available at: http://www.catholicculture.org/library/view.cfm?recnum=5989 Retrieved 3/21/2013).
  5. Pope Benedict XVI, Jesus of Nazareth, (London: Bloomsbury, 2007), xiii.
  6. Avery Cardinal Dulles SJ, “Benedict XVI: Interpreter of Vatican II,” Laurence McGinley Lecture, Fordham University, October 25, 2005. Article also appears as: Avery Cardinal Dulles SJ, “From Ratzinger to Benedict,” First Things, October 2006. Quotation taken from website containing this article: http://www.firstthings.com/article.php3?id_article=86
  7. http://www.circleofa.org/articles/PortraitOfJesus.php (Retrieved 3/4/2012).
  8. http://query.nytimes.com/gst/fullpage.html?res=9D0CE4DA133FF930A15751C1A967958260(2/2/2011).
  9. Joseph Ratzinger, God and the World, (San Fransisco: Ignatius press, 2000), p 227.
  10.  Joseph Ratzinger, The Nature and Mission of Theology, (San Fransisco: Ignatius, 1993) p.67-68.
  11. Pope Benedict XVI, Jesus of Nazareth, (London: Bloomsbury, 2007), p.34.
  12. Erasmus Lecture: http://www.catholicculture.org/library/view.cfm?recnum=5989 .
  13. Erasmus Lecture: http://www.catholicculture.org/library/view.cfm?recnum=5989 .
    Benedict makes the same point in an article entitled On the 100th anniversary of the Pontifical Biblical Commission, Relationship Between Magisterium and Exegetes,” L’Osservatore Romano, Weekly Edition in English, July 23, 2003, p. 8, where Benedict says: “… we have also learned something new about the methods and limits of historical knowledge. Werner Heisenberg verified, in the area of the natural sciences, with his “Unsicherheitsrelation,” that our knowing never reflects only what is objective, but is always determined by the participation of the subject as well, by the perspective in which the questions are posed and by the capacity of perception.”
  14. Pope Benedict XVI, Jesus of Nazareth, (London: Bloomsbury, 2007), p xvi.
  15. Erasmus Lecture, http://www.catholicculture.org/library/view.cfm?recnum=5989 .
  16. Pope Benedict XVI, Jesus of Nazareth, (London: Bloomsbury, 2007), pxvii.
  17. Joseph Cardinal Ratzinger, “Guardini on Christ in our century.” Retrieved from: https://www.ewtn.com/library/homelibr/thelord.txt (4/10/2014).
  18. Ibid.
  19. Pope Benedict XVI, Jesus of Nazareth, (London: Bloomsbury, 2007), pp. 110, 116.
  20. Josph Ratzinger,”Jesus Christ Today,” Communio, Vol 17, 1990, p. 80.
  21. http://www.ssmi-us.org/downloads/ssmi-vocation-dunwoodie.pdf
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avatar About Dr. Wanda Skowronska, Ph.D.
Wanda Skowronska is an educational psychologist, living and working in Sydney, Australia. She has done pro-life counselling for Family Life International, and regularly writes for the Catholic journal, Annals. She completed a Ph.D. at the John Paul II Institute in Melbourne, Australia, in 2011, and is currently working on a book on Catholic involvement in early modern psychology.

エゼキエル 年間第19水

ケルビムの間から炭火をとってあなたの手に満たし……

                エゼキュル書10・2

エルサレム滅亡についての幻である。炭火というのは神の火であり、さばきをされる火である。さばきの火がエルサレムにまき散らされるのである。
エルサレムは、現実にはバビロンの軍隊によって壊滅に帰したわけであるが、そのエルサレム滅亡は、神が亜麻布を着た人に言った言葉が成就したのである、と示しているのである。バビロンの軍隊によって壊滅したということは、当時の王様が若かつたとか、軍隊が弱かったとか、政治家が怠慢であったとか、いろいろ考えられるだろう。しかし、それらは表面的なことであり、その奥では、不信の都エルサレムを滅びにいたらせたのは神であったのである。神殿の申でいまわしいことが行なわれ、町には神の嘆かれることが行なわれている。町はもはや神の選び、神の恩寵を受けて存在する意味がなくなっている。
だから神の意志によって神が臨まれたのである。ただ単にそのような思想を持つというのではなく、一つの歴史解釈を、上からの示しによって可能ならしめているのである。
 戦後まもなく、私たちが奪い合うようにして読んだ本に「日本の傷をいやすもの」というのがあった。矢内原忠雄先生が書いたもので、当時の青年たちがむさぼるようにして読んだものである。町にはまだ本らしい本も出ていない頃であった。矢内原先生はその本に「日本はアメリカに負けたのではないのだ、日本は神によって滅んだのだ、その滅んだ日本をいやすものは神以外にはない、本当に神に帰る以外に日本の復興はないのだ」という意味のことを書かれた。
 当時、軍隊やエ場から帰った人たちがキリスト教に目標を見いだし、神のご用に役立ちたいと献身していった。エゼキエルは、壊滅に帰したエルサレム、バビロンによって打ち負かされたエルサレムは、神によってなされたものであったことを、幻によって示されたわけである。
 神殿は、もはや神の住むべき所ではなくなったので神は去られた。あるじのいない神殿、あるじのいない教会になってしまった。
 神殿のすばらしさは外側の荘厳さにあるのではなく、そこに神が臨在しているかどうかにあるのである。教会もまた同じである。そこがどんなにみすぼらしくとも、キリストが臨在している所、すべてのものを満たしているかたが、満ち満ちている所が教会であると言われでいるが、本当に神が臨在し、神の手、神の言葉が見られたり、聞かれたりする所が教会でなければならない。
 教会は、キリストの血潮にあがない取られた所であって、キリストのいましたもう所であり、神のみ霊の満ちている所であらねばならない。そしてキリストの臨在する場として自らととのえていく努力をしなければならないと思う

榎本保朗、『旧約聖書一日一章』、主婦の友社、1977年

日本の傷を医す者 白日書院 1947

年間第15火

イザヤ書

7:2 ところが、「エフライムにアラムがとどまった。」という報告がダビデの家に告げられた。すると、王の心も民の心も、林の木々が風で揺らぐように動揺した。

 主がユダをお守りになったのに、アハズには神に対する信仰は全くありませんでした。そのため、心が大きく動揺させています。アハズはまことの神、主以外のものであれば、何でも頼ろうとする臆病な人間でした。シリヤにやられたら、その勝利を収めさせたのはダマスコの神々だということで、ダマスコの神々を寄せ集め、アッシリヤが力をふるうと、そこの神殿の祭壇の図面に基づいて、祭司にアッシリヤの宗教の祭壇を造らせました。

 主に願いを立てるということには、人格的な成熟が要求されます。単なる願い事ではなく、心と尽くして、思いを尽くして、力を尽くして主を愛するという、全人格的な付き合いが必要となるのです。一夜だけを共にする不倫関係と、何十年も一緒に暮らす夫婦関係と全然違うのと同じです。けれどもアハズは、生ける神との関係を避けて、コンビニでインスタント食品を買うように、よさそうな神々を手軽に入手して、それを拝んでいたのです。

 私たちも試練や苦しみがあると、他の安易な方法を取る誘惑が出てきますね、それです。

マタイ11・20-24

 イエスが比べておられるツロとシドンのとソドムの町は、いずれも神のさばきを受けましたが、神についてその多くを知りませんでした。けれども、コラジンとベツサイダとカペナウムは、見えない神の完全な現れであるキリストを目の当たりにしているのに、それでも悔い改めなかったのです、。これらすべての町を神はさばかれるのですが、少しだけ神のことを知らされた町と、多く知らされた町では、多く知らされた町の方が罰が重いのです。

 私たちはよく、「イエス.キリストの福音を聞いた事のない人は、死んだ後それでも地獄に行くのですか」という質問を聞きます。それに対する答えは、第一に、神は公正な方であり、神はえこひいきをなさいません。第二に、神について多くの知識を与えられたものはそのさばきは重く、少ない人はさばきは軽いと言う事です。神は私たちの知っていることのみに責任を問われるのです。ですから、そういう質問をする人には必ずこういいます。「あなたは、すでにイエス・キリストについての知識が与えられました。何も聞いたことのない人たちのことを心配するよりも、自分のことを心配されたらどうなのですか。」こうして、ご自分のことをはっきり知ったのに、それでも拒んだ町々をイエスは責められました。
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イザヤ10:5 ああ。アッシリヤ、わたしの怒りの杖。彼らの手にあるむちは、わたしの憤り。10:6 わたしはこれを神を敬わない国に送り、わたしの激しい怒りの民を襲えと、これに命じ、物を分捕らせ、獲物を奪わせ、ちまたの泥のように、これを踏みにじらせる。
 イスラエルは、アッシリヤを通して神によって裁かれましたが、ではアッシリヤ自身はどうなるのでしょうか?そのような疑問が出てくるかと思います。主は、その答えを今、与えておられます。
 一つは、主は積極的に、アッシリヤを用いられたという事実を知らなければいけません。「わたしの怒りの杖」「わたしの憤り」「わたしは、送り、襲えと命じ、わたしが略奪を命じ、踏みにじることをさせた」と、神が介入されている様子が描かれています。
10:7 しかし、彼自身はそうとは思わず、彼の心もそうは考えない。彼の心にあるのは、滅ぼすこと、多くの国々を断ち滅ぼすことだ。
 アッシリヤ自身は、自分たちが神の怒りの器として用いられているとは考えませんでした。そして、ただ滅ぼすこと、断ち滅ぼすことしか考えなかった、とあります。歴史的にアッシリヤは非常に残酷な国民として知られています。遺跡として出てくるものの中には、彼らが引き連れる奴隷の体の一部がなくなっているものが多いです。耳を引きちぎったり、鼻をもぎとったりと残酷なことをして、人々を恐怖によって従わせていました。
 聖書の中で終始一貫、教えられている真理があります。それは神がすべてのことに主権をお持ちで、全てものを動かし、神の支配から漏れるものは何一つない、ということです。もちろん神は悪を行なうような方では絶対になく、悪は罪から、そして悪魔から出ているものですが、それらをも神は後にご自分の栄光のために用いられるのです。
 私がスーパーマーケットの魚部門で働いているとき、コスト削減ということで、魚のあらゆる部分を捨てないで、加工するなりして商品にしなさい、とマネージャーが言っていましたが、神はどのようなつまらないものでも、ご自分の栄光と目的のために用いられます。
 神が唯一、ご介入されない部分があります。それは人間の自由な意思です。北イスラエルがあれだけ神をないがしろにしていたのに、神はすぐに彼らを裁かれなかったのは、彼らに自由意志があることを尊重されたからです。そしてアッシリヤがイスラエルや他の諸国の民をことごとく滅ぼすようにされたのも、アッシリヤ人の自由意志を尊重されたからです。
 だから神はいつも、私たちが自分で選択して、神を認め、神をあがめることを待っておられます。自分が神を認めなくても何も変わらないではないか、と言って、神はいないと結論づけることに対して、神は怒りを発せられます。
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イザヤ26:8 主よ。まことにあなたのさばきの道で、私たちはあなたを待ち望み、私たちのたましいは、あなたの御名、あなたの呼び名を慕います。26:9 私のたましいは、夜あなたを慕います。まことに、私の内なる霊はあなたを切に求めます。あなたのさばきが地に行なわれるとき、世界の住民は義を学んだからです。
 主がこの地上に戻って来られて裁きを行われる時に、地上の住民は義を学びます。この日が来るまで私たちはあなたを待ち望みます、という告白です。特に「夜」、つまり世がさらに罪と不義の中で暗くなっているとき、ますます主の正義が現れることを願っている、ということです。
 「義に飢え渇いている者は幸いです。その人は満ち足りるからです。(マタイ5:6)」と主は言われました。福音において、私たちは始めに自分の罪を示されます。それでへりくだり、その罪を悲しみます。それで罪の赦しを経験して、また信仰によって義と認められたことを経験した人は、今度は実際に義となる日を待ち望みます。主が戻って来られて、罪そのものを取り除いてくださり、キリストと似た者にしてくださる日を待ち望むのです。
 私たちは自分の罪を御霊に示されることを、始めは嫌がります。けれども成長するにしたがって、神様をもっと知りたいと願うにつれて、自ら自分の内に罪がないかを調べて、告白したいと願います。これが義に飢え渇くことであり、自ら自分を裁くことです。パウロは、「もし私たちが自分をさばくなら、さばかれることはありません。(1コリント11:31)」と言いました。
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イザヤ38:7 これがあなたへの主からのしるしです。主は約束されたこのことを成就されます。38:8 見よ。わたしは、アハズの日時計におりた時計の影を、十度あとに戻す。」すると、日時計におりた日が十度戻った。
 興味深い記事です。この日時計はヒゼキヤの父アハズが作ったものですが、イザヤは同じようにアハズに「しるしを求めなさい」と言いました。アハズは拒みました。主が彼に関わろうとされるのを、彼自身が拒んだのです。
 けれども、ここではヒゼキヤが積極的にしるしを求めています。ここではそれがはっきり書かれていませんが、この章の最後、また列王記第二20章を読むと彼のほうから、自分が確実に癒されて、主の宮に上れるようになるしるしを求めています。
 そして日時計の影が十度あとに戻るというのも、ヒゼキヤが積極的に求めたものです。列王記第二20章には、イザヤは十度進むか、十度戻るかという選択を与えましたが、ヒゼキヤは十度戻るほうが難しいから、という理由で戻るほうを求めています。自分の人生に主が関わるのを強く願ったヒゼキヤと、それを拒んだアハズの対比を見ることができます。
 ところでこの日時計ですが、新改訳聖書の下の説明に、直訳が「度」または「階段」であるとあります。この日時計は階段になっていたようです。みなさんは、この出来事についてどう思われるでしょうか?かつて、ヨシュアが敵を追跡しているときも日がとどまりましたが、科学的な自然現象の説明をどのようにすればよいでしょうか?
 私にはその説明が要りません。天と地をお造りになられた方ですから、日を十度戻すことも容易におできになるでしょう。神は、時間をも創造された方です。何も、地球の自転を止められるような物理的なことを行なわれなくても、タイムマシーンのように時間そのものを戻すことも容易におできになるでしょう。
神にはできないことはない(お告げ)




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列王記第二22−23章 「最後のリバイバル」

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終わりの時は、実はこのような時であります。神の歴史の中で、何度か、徹底的なさばきをもたらすことによって、初めからやり直させるということを神は行なわれました。ノアのときの大洪水、ソドムとゴモラ、イスラエルによって聖絶されることになったカナン人などです。罪が積み上がり、神が介入されなければ自ら全滅してしまうような状態になっているとき、神は一度滅ぼされて、それから建て上げるわざを行なわれます。それがイスラエルの身にも起こり、一度バビロンによって滅んで、それからエルサレムに帰還してエルサレムを再建させるという計画を立てておられたのです。

 私たちも、そのような時代に生きています。もはや修復不能というところまで来ています。しかしだからといって、私たちが何もしなくて良い、ということではありません。ヨシヤのように、心からへりくだり、心を尽くして主に仕えることができます。その中で、もう修復不能かもしれませんが、やれることはあるのです。そして何よりも、自分自身が取り上げられるまで、神のさばきは下ることはない、ということです。

列王記上 18・41−46

列王記上 18・41−46

エリアが祈ったところ、天から雨が降った (ヤコブ5・18) 

アハブは神をあまり信じないタイプ。現代人のように。

そしてまた、次にも祈りが書かれています。18:41 それから、エリヤはアハブに言った。「上って行って飲み食いしなさい。激しい大雨の音がするから。」

 先ほど、主がエリヤに雨を降らせると告げられたとおり、今、アハブに告げています。

18:42 そこで、アハブは飲み食いするために上って行った。エリヤはカルメル山の頂上に登り、地にひざまずいて自分の顔をひざの間にうずめた。18:43 それから、彼は若い者に言った。「さあ、上って行って、海のほうを見てくれ。」若い者は上って、見て来て、「何もありません。」と言った。すると、エリヤが言った。「七たびくり返しなさい。」18:44 七度目に彼は、「あれ。人の手のひらほどの小さな雲が海から上っています。」と言った。それでエリヤは言った。「上って行って、アハブに言いなさい。『大雨に閉じ込められないうちに、車を整えて下って行きなさい。』」

 エリヤは、主のことばがあったのにも関わらず、祈りつづけました。いや、主のことばがあったからこそ、祈りました。私たちは、祈りについて二つの過ちを犯します。一つは、約束されているのだから、祈らなくても主が行なってくださるだろう、と考える過ちです。聖書のことは知っていますが、主が生きてその人には働いてくださいません。もう一つの過ちは、聖書に書かれている主のみこころをわきまえないで、ただやみくもに祈ることです。先ほど話した、空を拳で打つようなものです。

 けれどもエリヤは、主からことばをいただき、そして、一度ならず、七たびも祈りました。そして、もう一つ気づくことは、地中海のほうを見ていたであろう若者が、小さな雲だけしか見ていないのに、それをエリヤは大雨の前兆だと悟ったことです。私たちは、祈り待ち望んでいなければ、見えるものも見えなくなります。けれどもエリヤのように、祈り求めているときに、確かに約束がかなえられていることを、まだその徴候がわずかなときでも気づくことができるのです。

18:45 しばらくすると、空は濃い雲と風で暗くなり、やがて激しい大雨となった。アハブは車に乗ってイズレエルへ行った。18:46 主の手がエリヤの上に下ったので、彼は腰をからげてイズレエルの入口までアハブの前を走って行った。

 エリヤは確かに、すごい人です。車に乗っているアハブと同じぐらい早く、足で走りました。こうしてアハブに対する、ヤハウェなる神の証しを立てましたが、次の章を見ると、彼はマザー・コンプレックスならず、ワイフ・コンプレックスにかかっているようで、ただ妻のイゼベルに、起こった事をすべて告げるだけでした。次回、その続きを読んでいきましょう。

列王記上 19・9a、11−16


自分が主に召され たところに留まらないで、自分の好きなところに来てしまったのです。そうですね、私に例えれば、 私が今の務めを放棄して、関西空港に行き、ミラノ空港まで飛行機で飛んで、子供の頃通った教会に戻ってそこで一人でこっそり祈るような感じでしょうか􏰀霊の故郷に 来たのですが、そこに神が呼ばれているのではないのです。
エリヤは、主の呼びかけや命令に応答 するのを放棄してしまっています。その代わりに、自分が熱心に主に仕えたのに、いかに人々が 主のことばに応答しなかったのか、そのことについての落胆の思いを吐露しています。そして、自 分の命を狙っているという人への恐れも明かしています。

神との対話、付き合い方
2C かすかな細い􏰂 11-18 主は優しい方です。このような我がままになっているエリヤに、優しく、彼が悟ることのできる形で付き合ってくださっています。
19:11 主は仰せられた。「外に出て、山の上で主の前に立て。」すると、そのとき、主が通り過ぎら れ、主の前で、激しい大風が山々を裂き、岩々を砕いた。しかし、風の中に主はおられなかった。 風のあとに地震が起こったが、地震の中にも主はおられなかった。19:12 地震のあとに火があっ たが、火の中にも主はおられなかった。火のあとに、かすかな細い􏰂があった。
これは実に面白い移行です。主は、火や風、また地震などの大きな目に見える業によって、エリ ヤを通して働いてくださっていました。エリヤはこれらの目覚しい主の働きをずっと見ていました。 このような働きが目によって、自分の体に入ってきて、それが刺激となって自分の内に溜まっていました。主が大きく働いてくださると、そこで見える徴を見ると、それは魂を喜ばせると同時に、そ の刺激が強すぎて魂を疲れさせていきます。
けれども、主はいつまでもエリヤにそのように関わるのではありません。ここに「かすかな細い 􏰂」とあります。主がエリヤに対して、これまでのようには劇的な奇蹟によって働きだけでなく、か すかな細い􏰂に聞き従うことによってエリヤを用いられようとしておられるのです。
19:13 エリヤはこれを聞くと、すぐに外套で顔をおおい、外に出て、ほら穴の入口に立った。する と、􏰂が聞こえてこう言った。「エリヤよ。ここで何をしているのか。」19:14 エリヤは答えた。「私は 万軍の神、主に、熱心に仕えました。しかし、イスラエルの人々はあなたの契約を捨て、あなたの 祭壇をこわし、あなたの預言者たちを剣で殺しました。ただ私だけが残りましたが、彼らは私のい のちを取ろうとねらっています。」
エリヤは、かつてのモーセと同じように、主の御姿のすべてを見ることがないように、外套で顔を おおって外に出ました。すると、その静かにささやく声は、再び「ここで何をしているのか。」という尋 ねだったのです。ここまで主が語られたにも関わらず、エリヤは再び「私だけが残りました」と同じ 事を繰り返しています。そこで主は、ご自分で答えられます。
19:15 主は彼に仰せられた。「さあ、ダマスコの荒野へ帰って行け。そこに行き、ハザエルに油を そそいで、アラムの王とせよ。19:16 また、ニムシの子エフーに油をそそいで、イスラエルの王と せよ。また、アベル・メホラの出のシャファテの子エリシャに油をそそいで、あなたに代わる預言者 とせよ。19:17 ハザエルの剣をのがれる者をエフーが殺し、エフーの剣をのがれる者をエリシャが 殺す。
主は、エリヤがここまでやって来たことを咎めることなく、次に行なわなければいけないことを教 えられました。三つあります。一つは、当時アラムあるいはシリヤが、ベン・ハダデ二世が王でした が、その家来であるハザエルがアラムの王となるので、彼に油を注ぎなさいというものです。そし て、北イスラエルの将軍エフーに油を注ぎなさいというものです。そして、エリシャという後継の預 言者を育てなさいということです。最後の三つ目はエリヤは行いましたが、初めの二つはエリシャ とエリシャのともがらが行ないました。でも、エリシャが行なったことで、間接的にそれを手助けした ということもできます。
エリヤが知らなければいけなかったのは、「あなたが受け継いだエリシャが、アハブ家の滅びを 行なうよ。」ということであります。王となったハザエルがイスラエルと戦うことによって、傷を負って イズレエルに戻ります。その時にエフーに油が注がれて王となります。そしてエフーがイゼベルを 殺し、バアル信仰をイスラエルから根絶させます。したがって、エリヤによってイスラエルが主に立 ち返ることはしなかったが、主はさらにご自分の働きは知っておられて、それを後継者で完成することを初めから知っておられたのです。ですから、エリヤがすべてを抱え込む必要はなかったので すが、それを彼は自分にすべて背負い込んでしまっていたのでした。そしてエリヤが最も見失って いたのは、次です。
私たちも決して、自分がたった独りだと思わないでください。そして肩肘(かたひじ)を張らないでください。自 分に責任を、神から与えられていない責任を背負わないでください。主は恵みの中で、着々と、少 しずつご自分の事を行なっていってくださいます。
ところでここの箇所は、パウロがローマ 11 章で引用している箇所です。ユダヤ人が福音に敵対 して、かたくなにされているけれども、実はイエスを信じるユダヤ人がいて、残された者たちがいる のだという話の中で引用されました。


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癌で亡くなった12歳の少女が『鏡の裏に託した家族へのメッセージ』に号泣 「幸せになれるかどうかは全て自分次第」など - エキサイトニュース(1/2)



癌で亡くなった12歳の少女が『鏡の裏に託した家族へのメッセージ』に号泣 「幸せになれるかどうかは全て自分次第」など

2014年6月6日 20時00分 (2014年6月7日 11時27分 更新)
生きていること、健康であることを当然のように思って、何気なく日々過ごしている人は多いのではないだろうか。そんな人達が、ハっと我に返らざるを得ない心に響くメッセージを紹介したい。癌(がん)で亡くなった12歳の少女が、鏡の裏に託した家族へのメッセージが死後に発見され、その前向きなメッセージが大きな感動を呼んでいるのである。

・癌で亡くなった少女が残したメッセージ
昨年、イギリス在住で12歳だったアテナ・オーチャードちゃんは、骨肉腫と診断され壮絶な化学療法による治療を開始した。しかし治療の甲斐もむなしく、5月28日家族に見守られるなか息を引き取った。そしてアテナちゃんの死後から数日後、父親のディーンさんが部屋に置いてあった鏡の裏に、彼女が書き連ねた数々のメッセージを発見したのである。

・死後に知った娘の想い
メッセージを読み始めたディーンさんは、あまりの驚きで呆然としてしまったという。「娘はメッセージのことを何も言っていませんでした。でもアテナらしいと思います。あまりにも辛くて、途中で読み続けるのが困難でした」と、生前には知りえなかった娘の想いに、彼は大きな感動を覚えたそうだ。

・前向きで希望に満ちた言葉の数々
弱りつつある体で受ける抗がん剤治療は、かなりの辛さだったはずである。それにもかかわらず、アテナちゃんのメッセージは前向きで希望に満ちた言葉で綴られ、12歳の女の子が書いたとは思えない人生観であふれているのだ。

以下で紹介するので、ぜひ命の尊さや一度しかない人生を後悔なく生きることの大切さを実感してほしい。

・アテナちゃんからのメッセージ
「幸せになれるかどうかは、全て自分次第」
「人生がハッピーエンドに終わるかどうかよりも、ちゃんと内容のある人生だったかが大事なの」
「人生の目的は、人生に目的をもつこと」
「幸せは目的地じゃなくて道順よ。そこを勘違いすると、平凡な人生になるか並外れた人生になるかの分かれ道になるの」
「家族がいてくれて感謝してる。信仰心を忘れず自由で幸せに、そして気を若く保ってね」
「人は私の名前を知ってても、私の人生は知らない」
「私が何をしたか知っている人も、私が何に耐えてきたかは知らない」
「愛はガラスみたいなもの。見た目は美しいけど壊れやすいから」
「愛は希少で人生は奇妙だわ。永遠に続く物なんてないし、人は変わっていく」
「どの日も特別だから最大限に生きなくちゃ。明日は不治の病になるかもしれないんだから、毎日精一杯生きてね」
「人生は、あなたが望まない限り最悪にはならない」

詩のように美しく、悟りを開いたようなアテナちゃんの人生観に胸を打たれる人は多いに違いない。
貴重な毎日を無駄にしないよう、一日一日を大事に過ごしたいものだ。

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使徒言行録 18章1−11節 コリントでの働き

使徒言行録 18章1−11節 コリントでの働き

 パウロはアテネを去ってコリントへ向かいました。前にも少し記しましたが、パウロはアテネでの活動は失敗に終わったと考えていたようで、『コリントの信徒への手紙1』2章3節で、「そちらに行ったとき、わたしは衰弱していて、恐れに取りつかれ、ひどく不安でした」と述べています。アテネでは、哲学的論議に長けた人々(エピクロス派やストア派の名前が『使徒言行録』17章18節であげられていますし、アレオパゴスでの説教の部分(17章28節)には二人の古代ギリシャの詩人、クレタ島のエピメニデス(紀元前6世紀ごろ)とストア派の詩人アラートス(紀元前3世紀)の言葉が引用されています。もちろんアレオパゴスの説教の内容は著者ルカによるものですが、パウロの活動がアテネでは受け入れられなかったことは事実でしょう)に対して、一般的な事柄から真実の神の姿を伝えようとしましたが、成果が上がらずに、話の途中で人々が中座するという屈辱などを味わい、相当な疲労感を覚えていたようです。

 だから、コリントでは、もうそのような方法はとらずに、「わたしもそちらに行ったとき、神の秘められた計画を宣べ伝えるのに優れた言葉や知恵をもちいませんでした。なぜなら、わたしはあなたがたの間で、イエス・キリスト、それも十字架につけられたキリスト以外、何も知るまいと心に決めていたからです」(コリントの信徒への手紙1 2章1−2節)とありますように、ただキリストに集中することを堅く決心していたと思われます。「十字架につけられたキリスト」というのは、罪のゆるしと人間の救いという意味です。
福音宣教には、例えば大学でレベルの高い学問を扱うことも含まれるし、街に住む人々に証をすることも含まれる。

 パウロはコリントで、コリントのユダヤ人に対して語ったのが「メシア(救い主・キリスト)はイエスである」ということだったと5節で述べられていますが、「人々が待望していたメシアはイエスである」というのは、キリスト教の最も古い信仰告白のひとつでした。

 しかし、コリントのユダヤ人たちも、改宗以前のパウロと同様、自分たちが待望していたメシアが十字架にかけられて殺されたイエスだという考えを受け入れることはできませんでした。自分たちを救う者はそのようなものではないし、そのイエスを十字架につけたのはユダヤ人でしたので、それを認めることはメシア殺しの大罪を認めることでもありましたので、彼らは憤って、パウロを罵ったのです。

 そのことに対して、パウロは「服の塵を払った」のですが、これは、もはや無関係であるということを宣言するための行為です。6節の「あなたたちの血は、あなたたちの頭に降りかかれ」というのは、自らの罪の責任を自らで負え、という意味で、ユダヤ人とは決別して異邦人の方へと活動の転換を宣言したと述べられています。


こうして、ユダヤ教の会堂では人々に口汚く罵られたりしましたが、これらの人々を中心にしてコリントでは異邦人を主流にした「家の教会」が設立されました。コリントの教会の始まりです。8節の「コリントの多くの人々も、パウロの言葉を聞いて信じ、洗礼を受けた」というのは、そうした事情を反映したものだろうと思われます。

そのことについて、さらに「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。わたしがあなたと共にいる。だからあなたを襲って危害を加える者はない。この町にはわたしの民が大勢いるからだ」というパウロへの主の語りかけの言葉として『使徒言行録』は記します。この言葉は、おそらく、初代の教会の人々を励ます神の言葉として人々の間で語り続けられた言葉でもあったでしょう。パウロはコリントに一年六カ月もの間滞在し続けました。そして、この時に、新約聖書の最古の文書となった『テサロニケの信徒への手紙』を書きました。おそらく、50−51年ごろだったと思われます。


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使徒言行録 17章22−34 アテネのアレオパゴスでのパウロの説教

使徒言行録 17章22−34 アテネのアレオパゴスでのパウロの説教


パウロは、そうした人々に神の確かさとそれがイエス・キリストの十字架と復活によって見出されることを語る必要性と困難を感じたのです。「神を知らない人々」と直面したのです。

まず、方法論としても、ここには当時のアテネの人々が行い、また信じていたものを否定するようなものは何もありません。それどころか、彼らの現状を最初に認め、さらにその奥にある真実なものを指し示そうとするのです。こうしたことは、ギリシャ哲学風な論議の開始の仕方でもありましたが、それだけではなく、今日でも、キリスト教信仰の告白とその在り方の重要な要素だろうと思います。
アテネの人々は偶像崇拝者ではあったが、少なくとも彼らは求めていた、たとえ彼らの礼拝の対象が間違っていたとしても、礼拝したいという心は正しい。
パウロのアテネでの宣教活動は失敗したと言いますが、
「人は、哲学(学問)を少しかじると無神論に傾くが、哲学(学問)を極めると宗教に行きつく」という16−17世紀のイギリスの哲学者F.ベーコンの言葉がありますが、まさに、アテネの人々の状態がそういう状態だったと言えるかもしれません。『コリントの信徒への手紙1』1章18−25節では、そうしたことをパウロ自身、「異邦人には愚かに見えるが、神の愚かさは人よりも賢い」と語ります。
そこで、パウロはアテネを離れ、西のコリントへと向かいます。この時、パウロ自身によれば、アテネでの失敗が直接の原因かどうかはわかりませんが、かなり心身ともに疲れ、衰弱していたようです。『コリントの信徒への手紙1』2章3節によれば、「そちらに行ったとき、わたしは衰弱していて、恐れに取りつかれ、ひどく不安でした」とさえ語っています。そして、そこからの立ち直りを、「わたしは十字架につけられたキリスト以外には何も知るまいと心に決めた」と語っています。

パウロは徹底してキリストにだけ目を向け続けようとします。それは言葉を変えて言えば、「キリストの十字架と復活の福音によってもたらされる自分の救いの確かさ」に目を向け続けたということです。こういうパウロの信仰者としての姿は、わたしたちが心に留めておいてもいいことでしょう。

「すべての人に対して全てのものになりました。何とかして何人かでも救うためです」1コリ9。いわゆる、宣教師だましいを学ぶことができます。
ただ、福音宣教は、利き手の賛同を勝ち取ったということだけで、判断されるべきではない。神のことばが忠実に宣教されるところには、信じる者と同時に、またあざける者もいるのです。パウロの優れた説教の技術でさえ、福音のつまづきを避けることは出来なかった。
これは、私にとって慰めとなります。


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使徒言行録 16章25−40節 フィリピの牢獄からの脱出

使徒言行録 16章25−40節 フィリピの牢獄からの脱出

突然、大きな地震が起こったと『使徒言行録』は伝えます。パウロ自身は『テサロニケの信徒への手紙1』2章2節などでもこの時のフィリピでの迫害については語りますが、大地震について語っていませんから、これは著者ルカが他の伝承を採用したか、あるいは「捕らわれ人が解放される」という神による救いと解放の象徴的な出来事として記したかのどちらかだろうと思われます。

「牢」は、この世の法による裁きと刑罰の象徴ですし、この世の仕組みを支えるものですが、「牢の土台が揺れ動いた」(26節)というのは、あたかもこの世の仕組みの堅固な姿に思える「牢の土台」だえも、確かなものではなく、神の御心と導きの前では何の意味もないということです。そして、それは、この牢の責任を負っていた看守の身にも起こったことと言えるでしょう。

牢の看守は、脱獄などが起こると、その責任を問われ死罪を免れません。一瞬にして彼の人生は崩れてしまいます。彼はローマ帝国の看守としての自己意識も責任感も強かったのでしょう。彼だけでなく彼の家族もすべてを失うことになり、汚名を着せられるよりも自ら死を選ぼうとします。すべてを失い、汚名を着せられて生きなければならない時、誇り高い人であればあるほど自ら死を選ぼうとします。彼は、ほかの看守に「明かりを持って来させる」(29節)ほどの人でしたから、おそらく、看守の中でも上役だったかもしれません。部下の責任を自らが負うという気概もあったかもしれません。彼の人生の土台は一瞬にして崩れ去ったのです。

しかし、牢が壊れても直ちに逃げ出さないでその場に留まっていたパウロは、この看守の自殺を止めます。彼は、パウロとシラスが投獄されて死を前にしても静かに賛美と祈りをしていた姿を見ていたのかもしれません。すべてを失う中でも祈りをする、そういう姿が、今、一切のものを失おうとする自分とは異なっていることを心底から(「震えながら」29節)知っていくのです。だから、「先生方、救われるためにはどうすべきでしょうか」と切実に尋ねます。牢が壊れても逃げなかったパウロたちに対する大きな信頼も起こったかもしれません。

牢が壊れても囚人たちが逃げ出さなければ彼の責任が問われることはないでしょう。すべてを一瞬にして失うこともないでしょう。力と権力を行使して再び囚人たちを押込めることもできたかもしれません。しかし、彼はそうせず、そんなものが砂上の楼閣に過ぎないことを悟り、囚人であったパウロとシラスに「真実の救い」を尋ねるのです。ここに、この人とその家族が先にキリスト者となった紫布の証人リデアと共にフィリピの教会を形成して行った源流があると言ってもいいかもしれません。

 20世紀になっても、アウシュビッツで殺されたコルベ神父やルーテル教会の牧師であり神学者であったD.ボンヘッファーがナチス・ドイツの手によって処刑された時も、彼らの深い祈りの姿に廻りの人々が深く心を動かされたことが伝えられています。夙川教会で働いた
ブスケ神父は、戦時下に大阪憲兵隊に連行され「天皇かキリストか」と迫られた。


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箕面市 聖ヨセフ修道院にて

箕面市 聖ヨセフ修道院にて

民 槍で目を刺された 戦争に負けた人たちは君主に従属させる。

「聖なる者たち」という表現は、9章13節をはじめとして多くの箇所で使われていますし(9章41節、26章10節など)、旧約聖書では「聖なる民(国民)」(『申命記』7章6節など)という表現が用いられ、新約聖書でもパウロ書簡や『ペトロの手紙1』2章9節などでもたくさん用いられる言葉で、言うまでもなく、「神に属し、神を信じる人々」を意味し、新約聖書ではキリスト者を意味するものです。

この表現が、旧約聖書の「神の民(聖なる民)」の概念の流れを受けていることは明らかですが、キリスト者が「聖なる者たち」や「聖徒」と呼ばれ、教会が「聖徒の交わり」(信仰告白』)のは、「清く立派」というのではなく、「神に属する」ということで、これは、誰かほかの人間(王や権威ある者など)や人々、世の中に属するのではなく、「ただ神にのみ属する人間である」という「キリスト者の自由」の自覚と深く関係していることだろうと思います。

中風の患者を癒す奇跡、
『ルカによる福音書』8章40−56節に記されている「イエスによるヤイロの娘の復活の出来事」を彷彿させるものでもあります。『使徒言行録』のペトロやパウロの行為は、意識的にイエスの行いと平行して記述されているのです。

いやし」は、人間のわざではなく、どこまでも「神のわざ」です。「起きよ」は、復活を意味する言葉が使われていますが、これもそういう意味でしょう。アイネアにイエスによる復活がペトロを通してもたらされたというのです。

弟子はキリストのみ名によって、父と子と聖霊のみ名によって、キリストと同じわざを行うことができる。

聖体拝領の前に司祭は、「神の小羊の食卓に招かれた者は幸い」と呼びかける。信徒は信仰告白で答える。「主よ、あなたは神の子キリスト、永遠のいのちのかて、あなたをおいて、だれのところに行きましょう」。
「なんだか芝居役者のセリフのような言葉」と言われていますが、実は
�ペトロのこの積極的な信仰告白を拝領前の信仰告白としてみんなで唱えてから拝領する。

 ですから、ペテロは、「私たちがだれのところに行きましょう。あなたの他にはないではありませんか」と言ったわけです。
多くの人がイエス様のもとを去っていきました。しかし、イエス様を離れて、どこに行ったら本当のいのちがあるでしょうか。どこで罪が赦され、平安が与えられるでしょうか。イエス様のもとにこそ、いのちがあり、いつも共にいて支えてくださる方がいるという孤独からの解放があるのです。イエス様のもとにこそ死を乗り越えた希望があるのです。
 残念ながら、イエス様のもとから離れてしまう人はいます。いろいろなつまずきや、この世の忙しさなど様々なことで去ってしまうのです。しかし、いったい、イエス様の与える救いの約束と匹敵するものを、どこに行って手に入れることが出来るでしょう。
 皆さん、人生につまずくことはあります。だからこそ、イエス様のもとに踏み留まる必要があるのです。信仰を持続すること、信仰の粘り強さをもつことは、とても大切なのです。一生涯、イエス様を食べ続け、飲み続けていきましょう。
「すねかじり」



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使徒言行録 8章26〜40

今日の第一朗読で注目すべきことは、このエピソードの主人公は誰であるのか、ということであります。ここにはフィリポ、エチオピアの宦官、名前だけなら女王カンダケ、なども出てきますが、フィリポと宦官の対話にのみ注目してしまうと思います。しかし、結論から言いますならば、この箇所は徹頭徹尾、神の見えない力によって導かれていると言える。事の発端は「主の天使はフィリポに言葉を掛けた」ことから始まっておりまして、29節で「“主の霊”」が語り掛けたのも、また偶然にもフィリポが追いかけることの出来る程度の速さで馬車が動いていたのも、宦官が声に出してイザヤ書を「朗読」していたことも、道を進んで行くうちに、水のあるところに来たことも、それは主によって準備が整えられていることを示しているのです。また洗礼を授けたフィリポが、主の霊によって連れ去ってしまうことも、このエピソードの主人公が、主であることを示しているのです。洗礼に導いたフィリポという人間の力に注目してしまうことの多い私たちですが、しかしその後すぐにフィリポは宦官との関係を絶たれてしまいます。それは決して残念なことでもなく、むしろ洗礼によってそれを受けた者は、人間同士の関係の中にではなく、神との関係性の中で生きるという事を表しているのではないでしょうか。 
 つまり私たちは、人生を歩む中で、また信仰を貫く中で、様々な障壁や障害、課題や問題に突き当たります。それはエチオピアの宦官が異邦人であることや、律法では去勢者が認められていなかったという事に示されているとおり、自分ではどうすることも出来ない外面的な障壁、束縛、人生の呪縛を抱えるのです。それは自分ではどうすることも出来ず、ただ密かに神に自らをゆだねるだけです。この宦官がたった一人でイザヤ書を読んでいたのは、このような悶々とした思いの中での神への問い掛けだったのかもしれません。
 そうであるならば、今日の箇所は全き恵みとなって私たちに答えます。それは「あなたの障壁は、キリストによって取り払われた」という救いです。人間の力を遥かに超えたところに存在する、神の力と導きが、私たちを取り囲んでいる。このことを信じて生きることき、全ての障害が、また恵みとなり、全ての困難が、主の導きへの礎となるのであります。このことを心に留めて、今日も主に導かれて歩んで生きましょう。

そこにエルサレム巡礼を終えて、国に帰るエチオピアの高官が通りかかった。彼はイザヤ書を読んでいたが、その内容がわからずにいた。聖書は解き明かしを必要とする書だ。だから、共に読むことを必要とする。
高い身分の人で謙虚に教えを乞い願う。知ったかぶりをしない。
エマオのように フィリポはキリストのようにきえる。
・彼が朗読していたのはイザヤ53章「主の僕」の記事だった。ピリポはその主の僕こそ、十字架に死なれたイエスであることを解き明かし、高官はそれを信じ、その場でバブテスマを受けた。
・何故、このエチオピア人はピリポの説明でこんなにも簡単に信じたのだろうか。彼は宦官であり、ユダヤ教では会衆からは除外されていた(申命記23:2)。その除外に対して「宦官もまた神の愛の中にある」と述べたのはイザヤであった(イザヤ書56:3-5)。だから彼はイザヤ書を熱心に読み、イザヤが指し示す預言者がキリストであることを知り、キリストを救い主として受けいれた。彼は熱心に求めたゆえに与えられたのだ。


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そして、ステファノは取り囲まれ、石を次々と投げつけられて殺されます。その時、ステファノは、「神よ、こ

 そして、ステファノは取り囲まれ、石を次々と投げつけられて殺されます。その時、ステファノは、「神よ、この人たちに罪を負わせないでください」と言いながら死んでゆきます。
 これは、ルカの福音書だけが収めているイエスの死における言葉が重ね合わされています。「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」(ルカ23:34)という言葉と同じ思いが、ここでのステファノの言葉に表されています。
 ということは、著者であるルカは、このステファノの姿の中にイエスが宿っているように読めるようここを書いている上に、イエスの心を受け継ぐというのは、「自分の敵を愛すること。自分を傷つけ迫害する者のために祈ること」にその神髄があるのだ、と述べていることになります。
 迫害にあって殺されていった初代の教会の人々は、このステファノのように、イエスにならって敵を赦し、敵への愛を祈りによって表しながら死んでいったんですね。その死に様の模範として、ステファノの死は描かれています。
 そして、サウロはこのステファノの死に様を見ていた。これがサウロにとっての、最初の本格的なイエスを信じる者との出会いになった、そして、それは同時にイエス自身との出会いになったということです。
 十字架のイエスは、石打ちにされたステファノに重なり合って、そこに存在していた、と。ステファノにおいて現れていたイエスを、サウロは、その時そうは気づかなかったかもしれませんが、確かに出会っていた。そしてそれが使徒パウロと呼ばれることになる、このサウロの出発点だったのだ、とルカは主張しているわけです。


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5 Lent (2)

四旬節 第五火曜日
ヨハネ8・21-30
「わたしはある」
「わたしはある」という言葉に関して、今日はもう少し掘り下げていきたいと思います。
 ヨハネ福音書においては、モーセは実に重要な人物であり、イエス様は第二のモーセという形で登場していると言ってもよいほどです。そして、「わたしはある」という言葉は、神とモーセがシナイ山の麓で出会い、神様がイスラエルを解放する為にモーセをエジプトに遣わす場面に出てくる言葉です。その時、モーセは、そんな大それた仕事を自分が出来るわけがないと拒む。しかし、神はこう言われました。
「わたしは必ずあなたと共にいる。このことこそ、わたしがあなたを遣わすしるしである。あなたが民をエジプトから導き出したとき、あなたたちはこの山で神に仕える。」
 モーセは言います。
「わたしは、今、イスラエルの人々のところへ参ります。彼らに、『あなたたちの先祖の神が、わたしをここに遣わされたのです』と言えば、彼らは、『その名は一体何か』と問うにちがいありません。彼らに何と答えるべきでしょうか。」
 神様はこう答えられる。「わたしはある。わたしはあるという者だ」
「イスラエルの人々にこう言うがよい。『わたしはある』という方がわたしをあなたたちに遣わされたのだと。」 
 アウグスティヌスという人は、「神には現在形しかない」と言いました。過去にはいたけれど今はいないとか、今はいないけれど将来はいる。そういう方ではない。永遠に「今」存在しておられる方なのだ、と。私たちは、毎週の礼拝の中で必ず讃詠を歌います。「昔、今いまし、永久にいます主をたたえん」と。「わたしはある」とは、第一にそういう意味でしょう。しかし、永遠に存在していると言っても、どこにいるのか?それが問題です。宇宙の彼方に存在していても、私たちにとっては、それはあまり関係のないことです。
神は、言われます。「わたしは必ずあなたと共にいる。」
 神様は、必ずモーセと共にいてくださる。それが神様の約束です。どこか遠くに、永遠に存在されるのではない。モーセと共におられるのです。モーセが、今後どれほど不平不満を言おうが、その都度、神様は彼を励まし、戒め、慰めつつ、必ず彼と共にいて下さいました。神様は、真実なお方です。決して、約束を破らない。その言葉は必ず出来事となる、実現する、成就するのです。
 その出自や由来という意味では全く違いますが、モーセと同じように、神様から遣わされたイエス様はこうおっしゃっています。
「わたしをお遣わしになった方は、わたしと共にいてくださる。わたしをひとりにはしておかれない。わたしは、いつもこの方の御心に適うことを行うからである。」
 ある意味では、イエス様は十字架に上げられた時、まさに神に見捨てられたのです。神に見捨てられて死ぬ、つまり、罪が裁かれて死ぬ、罪の内に死ぬという絶望を味わわれたのです。でも、そのことが神の御心に適うことであるが故に、その最も深い次元において、主イエスと神はやはり一つの交わりの中におられたのだし、十字架のイエス様にの中に神ご自身が現れている。罪人の罪を赦し、その罪人と共に永遠に生きてくださる神ご自身が現れているのです。問題は、この神を信じるか信じないかです。
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四旬節 第五水曜日
ヨハネ8・31-42

 8:32 そして、あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。

国会図書館に刻まれたことばです。永田町の国会議事堂の隣に立つ国会図書館の二階、中央出納台の上に Η ΑΛΗΘΕΙΑ ΕΛΕΥΘΕΡΩΣΕI ΥΜΑΣ というギリシャ語が刻まれていますが、これはヨハネ8:32からとられたイエス・キリストのことば「真理はあなたがたを自由にします」なのです。聖書のことばが、日本の中枢ともいえるところに、ちゃんと刻まれているのすね。ギリシャ語のことばのとなりには、日本語で「真理が我らを自由にする」とあります。イエス・キリストのことばの「あなたがた」を「我ら」と変えてあるのは、1948年に制定された「国立国会図書館法」の前文の「真理が我らを自由にするという確信に立って、憲法の誓約する日本の民主化と世界平和とに寄与することを使命とする」という部分から取ったのでしょう。戦後の日本の復興に聖書の精神が盛り込まれていたことが良くわかります。
 1946年に「国立国会図書館法」が審議された時、 森戸辰男議員は、この言葉を条文に入れることについて、次のように言っています。「民主主義は何よりもまず人間の理性、道理と真実に基礎をおく政治でなければならない。国会が真実を尊重し、真理に聴従するところとなり、衆愚の政治の府ではなく、 衆智の政治の府となり、かくて、新議会の品位を高め、新政治に科学性を加え、もって平和と文化と人道を目指す民主主義を樹立しなければならない。国会図書館はこうした民主主義を樹立し、文化国家を建設する為の極めて大切な基礎条件の一つである。何よりも真実をつかみ、真理をとらえようとする態度が大切であり、真の自由はそうした中から得られるものである。」なかなか格調の高い演説ですね。このような精神を保ち続けることができたら素晴らしいことと思いますが、なかなかですね。

こんな話があります。昔、あるところに、とても腕の良い鍛冶屋(かじや)がいました。この鍛冶屋は、何かのことで領主の怒りを買い、鎖につながれ、牢屋に入れられてしまいました。彼は、鍛冶屋だけあって、どんな鎖につながれても、その鎖の弱い部分を見つけてそれを壊す自信がありました。牢獄の錠前を開けることなど、朝飯前でした。それで彼は、自分をつないでいる鎖を調べはじめましたが、調べているうちに、顔がみるみる青ざめていきました。そしてこう言いました。「だめだ、この鎖は壊すことができない。この鎖は完全につくられている。これはわしの作った鎖だ。」罪を犯すものはこのように、自分の作った罪の鎖に縛られて、そこから逃れられなくなるのです。

しかし、イエス・キリストは私たちを罪から解放してくださいます。どのようにしてでしょうか。それは、「真理はあなたがたを自由にします。」と言われているように、私たちに真理を知らせ、真理に直面させることによってです。では、私たちが知らなければならない真理とは何でしょうか。それは第一に、私たちが罪の奴隷であるという事実です。自分が罪に縛られていて、そこから解放される必要があるという真理を受け入れない限り、私たちは自由になることはできません。病気の人が「自分は健康だ。」と言っている間は、決して良くならないのと同じです。自分の病気を認めることから、治療がはじまるように、自分が罪に縛られているということを認めることから、罪からの救いと解放がはじまるのです。

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http://www2.tbb.t-com.ne.jp/nakashibuya/yohane/j060080217.html
 イエス様を信じたユダヤ人たちは、しかし、イエス様が何をおっしゃっているか、全く理解出来ません。
「わたしたちはアブラハムの子孫です。今までだれかの奴隷になったことはありません。『あなたたちは自由になる』とどうして言われるのですか。」
 アブラハムに始まるイスラエルの民は、ご承知のようにエジプトの奴隷であったことがあるし、バビロンに捕囚されたこともあるし、それ以後、独立国家を持っているわけではなく、この時だってローマ帝国の支配下にいるのですから、彼らが一体どういう意味で、こんなことを言っているのかよく分かりません。ひょっとすると目に見える形では、奴隷であったとしても心においては神を信じる信仰を保っており、尊厳をもって生きているのだということであるかもしれません。しかし、少なくともバビロン捕囚の原因は、イスラエルの民が異教の神々に心を奪われてしまったことにあるのです。ですから、彼らが何をもってこんなことを言っているのか、実はよく分からない。ただ、はっきり分かることは、自分たちが「罪の奴隷」であることを彼らが全く自覚していないということです。
イエスは、御自分を信じたユダヤ人たちに言われた。
「私たちはユダヤ人ではないから、ここで詰問されているのは私たちではない」と呑気に聞いていてよい話ではありません。イエス様を「信じた」という意味では、ここにいる私たちと同じなのです。「私たちも「信仰の父はアブラハムだ」と思い、「自分は信仰に生きている」と思っていても、実は違うところに父を持っている、そしてその父に従っているのかもしれない、いや実際に従っているのではないか?!そういう厳しい問いの前に立たされているのです。

日本語で「信じた」と言う場合、それは過去のある時点に信じたことなのか、過去に信じたことがある程度持続したのか、現在まで持続しているのか、今ひとつよく分かりません。三〇節で「イエスを信じた」という場合は、過去のある時点で「イエスを信じた」ことを表します。そして、三一節の「御自分を信じたユダヤ人たち」
とは、その時点で信じているユダヤ人たちのことを表していますけれども、その信仰が未来永劫続くかどうかの保証はありません。明日、どうなっているのか分からないのです。よく結婚式の披露宴のケーキカットの場面などで、司会者が場を盛り上げようとして、「今二人は永遠の愛を誓いました」とか言ったりするのですが、私はそういう言葉を聞くと逆に盛り下がってしまうので披露宴とかに出るのは基本的に好きではありません。また「永遠」とか「愛を誓う」という言葉を簡単に使う人は信用できないと、私は思っています。人間と永遠なんて、最も似つかわしくない言葉だと思うのです。そして、愛とか信仰という言葉も、実は人間には似つかわしくはないと思います。罪の中に生きる人間に、永遠も愛も信仰もあり得ないからです。
「信じないならば、自分の罪のうちに死ぬことになる」という言葉からも分かりますように、イエス様にとっての「罪」とは、いわゆる悪事だとか犯罪だとか、そういうことではありません。イエス様を信じないこと。その不信仰が罪なのです。そして、その罪の中に生きている限り、そこに待っているのは罪の内に死ぬことだけ。だから、イエス様は「信じなさい」とおっしゃるのです。
「わたしの言葉にとどまるならば、あなたたちは本当にわたしの弟子である。あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする。」
 本当の弟子、つまり本当のキリスト者とは、イエス様の言葉にとどまる者なのだ。そうおっしゃっている。弟子とは、師匠の身近にいて寝食を共にし、師匠の真似をしつつ、少しでも師匠の域 Waza に近づきたいと追い求め続ける者です。師匠がたいしたことのない人物で、数年で乗り越えることが出来る人物であれば、弟子であることは過去のことになって当然なのですが、偉大であればあるほど弟子であり続けるのだし、そうであることがその弟子の成長だし、そのこと自体が喜びであるはずです。
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四旬節 第五木曜日
「私はアブラハム以前からある」
ヨハネ8・51-59

「わたしの言葉を守るなら、その人は決して死なない」と主イエスはおっしゃいます。
神戸のプロテスタント教会はその言葉をほぼそのまま題として教会正面の看板にも掲げています。道行く人の中には、その看板を見ながら通り過ぎる人もいますし、たまに立ち止まってじっと見ている人もいるのですけれど、そういう人たちは、この言葉を見て一体どんなことを思うのだろうか?
教会の正面には、お葬式がある時には、誰それの葬儀式場であるとの看板も立ちますから、教会に集う信者も死ぬことは明らかです。ですから、しばしばこの道を通る人は、教会というところは正常な人が集うところなのか?と疑問に思っても仕方がないとも思います。
一時はイエス様を「信じた」とされるユダヤ人も、この言葉を聞いて「あなたが悪霊に取りつかれていることが、今はっきりした」と言っていますが、これは余りにも当然の反応ではないかと思うのです。
アブラハムが地上に生きた時代は、イエス様の時代よりも少なくとも二千年も前のことなのですから、ユダヤ人にとっては、これもまた理解不能な現実をイエス様はお語りになっているということです。しかし、イエス様はここで再び「はっきり言っておく〈アーメン、アーメン、あなたがたに言う〉アブラハムが生まれる前から、『わたしはある』」とおっしゃいました。これは決定的な言葉です。イエス様はここで、ヨハネ福音書の冒頭の言葉、「はじめに言があった。言は神と共にあった。言は神であった」という現実が、ご自身の現実であることをお語りになっているからです。だから、イエス様はアブラハムを見たことがある。ある神学者は「イエスとアブラハムは同時代人なのである」とも言います。しかし、その「時代」を含む「歴史の中」にイエス様と比べる存在はいないのです。歴史の中で、アブラハムとモーセは比べることは出来ます。両者を並べて、それぞれの特色を語ることは出来ます。しかし、アブラハムとイエス様を比較することは出来ないし、モーセだってそれは同じです。アブラハムやモーセ、彼らは「歴史の中に」生きた存在であり、「歴史を越えた」存在ではありません。しかし、彼らは、その歴史の中に生きながら、それもイエス様が肉体をもって歴史の中に登場する前に既に死んでいるのに、イエス様の「日を見るのを楽しみにし」、また「それを見て、喜んだ」と言われる。これは一体、どういうことか。
アブラハムは「見るのを楽しみにしていた」し、「見て、喜んだのだ」とおっしゃっている。
アブラハムはその信仰を生きた人だ、とイエス様はおっしゃっている。それなのに、アブラハムを父とするあなたがたは、その信仰に生きていないではないか、とおっしゃっている。彼らは、神を信じるとはどういうことかを現実に知らないのです。神を信じるとは、無から有を生み出すことが出来る神を信じるということだし、その意味で、望み得ない時になお望みをもって生きることだし、まだ目にしてない約束の実現を、はるかに望み見て、既に喜びの声をあげつつ生きることなのです。私たちは、その信仰を今生きているでしょうか。
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四旬節 第五金曜日
ヨハネ10・31-42

及川 信       ヨハネによる福音書 10章31節~42節
古代社会では絶対的権力者は何らかの意味で神格化されました。王様は神の化身であったり、神の子であったり、神そのものであったのです。自らそう宣言し、人々をそのように信じ込ませることでその権力を保持していたのです。日本などは、つい最近まで「現人神」と神格化された絶対君主がいたわけですから、近代社会の中に古代の精神構造が色濃く残っていると言うべきなのもかもしれません。しかし、古代社会において、唯一の神と出会い、神の民として生きるべく選ばれたユダヤ人は、如何なる意味でも一人の人間を神格化することはありませんでした。王たちも当時の大帝国の王のような権力は持ち得ませんでしたし、神様の御心に背けば裁かれたのです。神は神であって人間ではなく、人間は人間であって如何なる意味でも神ではない。それは彼らユダヤ人(イスラエルの民)にとっては些かも揺るぐことの無い確信だったのです。
 ユダヤ人の困惑
私は前々から考えたことがあります。神学の言葉で言うと、父・子・聖霊なる三つの神はしかし一体であり、神の独り子であるキリストは真に神であると同時に真の人である(キリストの両性)というキリスト教信仰の根幹的な事柄を、ヨハネ福音書は真正面から、しかし、極めて象徴的、暗示的に書いている、いや証言しているのだ。そう思うのです。
 しかし、そのことを当時のユダヤ人が理解出来ないこともまた当然です。しかし、理解は信じることによって得ることが出来るのであって、理解したから信じるのではありません。これは当時に限らず、いつの世でも同じことです。
しかし、その信仰は「鰯の頭も信心から」という類のものではないわけで、事実の証言として書かれ、語られた言葉を信じることです。
そこで問題になるのは、34節以下のイエス様の弁明です。イエス様はここで神を冒涜した罪人としてご自分を裁こうとしているユダヤ人に対して弁明をしています。少なくとも一見するとそう見えます。しかし、実際はどうなのか?
今日の箇所では、ユダヤ人たちがイエス様を冒涜罪で裁こうとしています。石打の刑で殺そうとしているのです。イエス様が自分を神としたからです。しかし、イエス様にしてみれば「人間なのに、自分を神としている」のではなく、「神なのに父から聖なる者として遣わされて」父の業を行いつつ神を示しているのです。そのことを通して神の裁きを実現しているのです。どちらが裁いているのか? 裁いているのはイエス様。
皆さんは私のような伝道者ではないのですから、口を開けば、「イエス様は神の子です。信じなさい」などと言う必要はないし、伝道のためにもそんなことは言わない方がよいでしょう。しかし、私たちがイエス様の御業を信じて生活をするという時、そこには自ずと信じていなかった時とは違う香り、今風の言葉で言えばオーラが出てくるはずです。イエス様を信じる者は世の光、地の塩なのですから。信じなければ、闇に飲み込まれ、味を失った塩として意味をなさなくなりますが、信じて生きていれば、そこには喜びがあり、必ず罪の赦しと新しい命を与えてくださるイエス・キリストを証しする場面は出てくるのです。愛する家族、知人、友人、同僚、その誰か一人にでもキリストを伝えたいという思いが与えられますし、そのための祈りが与えられますし、必ず証しをする機会も与えられるのです。そして、信じていれば、何時か必ず、生きておられるキリストご自身がその業を示してくださいます。

病者の塗油

病者の塗油

1.聖書的由来と発展

(1)聖書的由来
 病者の塗油の秘跡は、マルコ福音書6章13節の「油を塗って多くの病人を癒した」という言葉や、ヤコブ書5章の「オリーブの油を塗り、祈ってもらいなさい」という言葉に由来しています。ヤコブ書からは、癒しのために共同体が共に祈り合うことの大切さが分かります。
(2)発展
 このような形での病者に対する塗油の習慣は、死ぬ間際の人に食事を与えるというローマの文化から影響を受けた臨終の聖体拝領の儀式と結びつき、しだいに死ぬ間際の病人に対して司祭から1回だけ行われる塗油の儀式へと発展していきました。そのため、第二バチカン公会議以前には「終油の秘跡」とも呼ばれていました。

(3)現代における実践

 現代では、病のために危険な状態にある人、医師から重態だと判断された人だけでなく、危険な手術を受ける前の人、老衰のために死が近づいていると思われる人も司祭から病者の塗油を受けることができます。回数も、1回だけには限定されておらず、必要があれば何回でも受けることができます。

2.恵み
 病者の塗油によって、次のような恵みが与えられます。
(1)聖霊による救霊のための恵み…その人の魂の救いのために、聖霊から与えられる恵みです。
(2)悪霊の誘惑や死の恐怖への抵抗力…病の床にある人は、自分が神様から愛されていないのでは ないかとか、神様が存在しないのではないかという疑問に襲われたり、死への恐怖にさいなま れたりすることがあります。病者の塗油は、そのような誘惑や恐怖と戦う力を与えてくれます 。
(3)病苦と戦う力…病気は多くの場合に苦しみを伴いますが、その苦しみと戦う力が病者の塗油に よって与えられます。
(4)救霊のために必要であれば、肉体の回復…もしその人の魂の救いのために肉体の回復が必要で あれば、肉体が病から回復する恵みが与えられます。どんな場合でも必ず肉体の回復の恵みが 与えられるわけではありません。
(5)罪のゆるし…ゆるしの秘跡を同時に受けることができない場合には、塗油によってその人の犯 したすべての罪がゆるされます。
3.病苦の意味
 病の床にある人を苦しめる最も大きな疑問の一つは、「なぜわたしがこんな目に合わなければならないのか」ということでしょう。この疑問は、自分の人生の意味への疑いや、神様の愛への疑いを生む深刻な疑問です。この疑問に対して、わたしたちはどう答えることができるのでしょうか。
 この問いに対するキリスト者の答えは、コロサイ書1章24節のパウロの言葉「キリストの苦しみの欠けたところを、身をもって充たす」に凝縮されています。この言葉を参照しながら、第2バチカン公会議の教会憲章は、病で苦しんでいる人たちに対して「すすんで自分をキリストの受難と死に合わせ、神の民の善に寄与する」(11)ように勧めています。教皇ヨハネ・パウロ2世も使徒的書簡『サルヴィフィチ・ドローリス』の中で、人間は病苦などによって苦しむとき、神秘的な形でイエスの十字架上での苦しみに結ばれると述べています。
イエスの苦しみはそれ自体として十分なものでしたが、その苦しみをイエスだけに苦しませておくのはよくありませんね。病苦を通してイエスと苦しみを共にするときに、わたしたちはイエスの受難により深く結ばれるのでしょう。イエスの受難に深く結ばれることによって、わたしたちはイエスの救いの業に協力することができ、さらにはイエスの復活にも固く結びつけられるのだと思います。
 病者の塗油は、病で苦しむ人たちに、彼らが今十字架上のイエスと共にその苦しみを苦しんでいるのだということを思い起こさせ、病苦は決して無意味なものではないと彼らに告げる秘跡だと言えるかもしれません。

《参考文献》
・『カトリック教会のカテキズム』、カトリック中央協議会、2002年。
・『第2バチカン公会議公文書全集』、サンパウロ、1986年。
・『カトリック儀式書 ゆるしの秘跡』、カトリック中央協議会、1978年。
・『カトリック儀式書 病者の塗油』、カトリック中央協議会、1980年。
・『使徒的書簡 サルヴィフィチ・ドローリス』、サンパウロ、1988年。
http://www.rokko-catholic.jp/Training/tuesdayclass/tuesdayclass-rejime-11-18.htm

ソロモンの知恵

ソロモンの知恵

知恵は、民族、人種、性別を超える普遍性を有し、同時に信仰を現実体験と結びつける。現実は多様性に富むゆえに、知恵もまた多様な姿となる。宗教とは、互いに矛盾対立する霊的体験の諸現象から成り立つものであって、理念や教義の集大成ではない。知恵がソロモン王国において大きな役割をはたしたのは、知恵の教え諭す教育性とその非民族性にある。知恵の御霊の働きは、信仰の律法化や祭儀化を克服するのである。

この意味で、ソロモン時代の知恵は、ほとんどヨーロッパ中世の神学に等しい。「主を畏れることは知恵の初め」という箴言(1・7)の言葉は、世俗の処世術から人々を主に向かわせると同時に、ヤハウェ宗教を多様な現実へと結びつける二重の働きを意味していたのである。ソロモン王国の知恵は百科辞典的な広さに及んでいる(列王記上5・9〜14)。だからそれが目指していたのは、当時のカナン文化圏全体をヤハウェの御霊によって管理すること、すなわち「カナン文化のヤハウェ化」そのものにあった。

 ソロモンの知恵の黄金時代以降、王国はふたつに分裂し、預言者たちによる弾劾が厳しさを増す。やがて捕囚体験を経て帰還したユダヤ民族が、再びかつての王権を確立することはなかった。しかし、ソロモン時代の知恵は、それ以降も受け継がれ、箴言、ヨブ記、コヘレトの言葉、知恵の書、シラ書、ダニエル書、ソロモンの詩編などの知恵文学を産み、これがイエスの時代へと受け継がれることになる。

一方、ソロモンの箴言、ソロモンの雅歌、ソロモンの○○と、ソロモンの名を冠にした箴言・雅歌・コヘレトの言葉(伝道の書)などは、自由で多彩な批判的精神あふれる知恵文学の隠れ蓑として、ソロモン王の権威が巧みに利用されています。硬直した律法主義的申命記的信仰を、多義的で重層的な陰影の深い宗教に変えています。いわばルネッサンス的役割を果たしています。
 ここが旧約聖書の面白いところです。わずか80年にも満たないダビデ・ソロモン時代が、出エジプト時代のモーセの伝承と共に旧約聖書の核心となるからです。





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パウロの回心と情報理論

パウロの回心を情報理論の観点から捉えてみたい。

情報とは何か。情報にはいくつかの特徴があります。何かを情報といえるためには新しさがなければならない。明日の新聞には今日の新聞と同じ情報であれば、誰も読まないでしょう。価値がない。
また、情報は同時に「冗長性」(じょうちょうせい redundancy)がなければならいといわれます。規則だたしさといったら分かりやすいかもしれない。繰り返される部分がなければならない。ですから、明日の朝日新聞はいきなり韓国語になったら、ついていけない人は多いでしょう。
あるいは、ニュートンの法則、F=ma 力は質量にかける加速度に等しいと言われても、慣れていないひとはちょっと待ってよ、というでしょう。その人にとって新しすぎる情報となります。

遺伝子にはたくさんの情報が詰まっています。遺伝子は体の形を伝えています。毎日体の細胞は遺伝子の情報に従って変わっていきます。変わらない細胞は死んでしまいます。毎日変わらない生き物は死んでしまいます。だから、毎日体は新しくなりますが、ここにも冗長性、繰り返される部分がなければならない。ネズミの実験で、鼻をつくる遺伝子を操作(そうさ)して、足に鼻を作らせた実験があります。やはり、体は唐突的に変わるものではない、少しずつ変わるが、突然全部新しくならない。

「あいうえおかきくけこ」50音表、あるいはabcdefgアルファベットには、決まった順序があって、いつも変わらない冗長性、繰り返される部分、規則正しさがある。けれども、アルファベットを繰り返すだけで情報を伝えることはすくない。やはり、順序を崩して、様々な言葉を作ります。文字を並べ替えて言葉と《話を作ります。

パウロは若い時から、ガマリエルという先生から聖書のことを熱心に学んだ。聖書のことをアルファベットのように、ひらがなのようによく知っていたからこそ、そこにイエス・キリストのようなメシアが入る余地がなかった。だから、初代教会を迫害した。パウロにとっては、「あいうえおかきくけこ」でないとおかしい。
パウロの回心は唐突、ドラマティックに描かれていますが、パウロの持っていた情報は全部ひっくり返されたわけでないでしょう。イエス・キリストの復活という新しい情報を入れて、聖書全体について少し新しい情報が加えられた。情報を並べ替えたというふうにもとることができます。凝り固まっていた認識が柔らかくなった。

アルベリオネ神父は、パウロのよう突然な回心を体験していないかもしれない。けれども、彼は教区司祭として、決まったレールに乗って、司牧活動をするのではなく、アルファベットを繰り返すのではなく、並々ならぬ活動を選んだ。新しいメディアで規則正しさのある信仰という情報を伝える。
メディアが新しくても、メディアを使うパウロ家族は古いまま、凝り固まった認識のまま、新しい情報は伝わらない。

「回心」と言われると、四旬節のときのように、まさに自分が嫌がる嫌なことをしなければならないという反応を起こすことは多いではないでしょうか。あるいは、罪悪感を持たせるだけで、あとはなにも変わらない。