seijin (july-september)

聖人固有祝日  (7月 ~12月)
PROPRIUM DE SANCTIS


7月1日 福者ペトロ岐部司祭と187殉教者の記念日

日本のカトリック教会は、殉教者の血から生まれ、殉教者の血のうえに立てられたといっても過言ではありません。殉教者のこころや生き方に対する深い共感なしに、日本の教会のアイデンティティを理解することは困難でありましょう。
殉教者というと、ともすれば、英雄的な信仰と徳に加え、強靭な精神力によって栄冠を勝ち得た勝利者として描かれることが多くありました。このような勝利主義的、英雄的な殉教者の紹介は、現代の日本に生きる人びとの共感を得にくくなっていることは事実かもしれません。またキリシタン殉教の時代、われわれの日常とは、大きくかけ離れており、大昔に起こった出来事に過ぎないのでしょうか。現代に生きる日本の教会にとって、殉教の精神は、すでに意味を失ったのでしょうか。
今回、列福審査の対象となっている殉教者の大部分は信徒であり、キリシタン時代に禁教令や迫害がなかったら、おそらく、ごく普通の庶民として平和な生涯を送り、歴史の中に埋没していった人びとでしょう。彼らは英雄や勝利者として行動したのではありません。ただ神との間に、きわめて密接な関係を築くことができた人びとです。だから自分たちの時代背景の中で、殉教という実を結んだのです。「殉教」に通じる神との密接な関係を深めることは、時代を超えて教会に求められる基本的な生き方であります。
「ペトロ岐部と187殉教者」は、それぞれ、現代に通じるメッセージをもっていますが、その根底に流れる共通点は、神と一致した生き方を貫いたこと。言い換えれば、神の価値観を公言し、福音的でない価値観を、勇気をもって拒否したことではないでしょうか。
現代人にとって福音のメッセージは、一見すると不合理で弱々しく、説得力に欠けるように感じられるかもしれません。それどころか、社会からは受け入れられず、反発を生むかもしれない、それでもなお、勇気をもってイエスの価値観に生き、それを証していくことこそ、いま私たちに求められる霊性ではないでしょうか。

「ペトロ岐部と187殉教者」の列福調査は、ヨハネ・パウロニ世教皇来日直後、1981年に開かれた日本カトリック司教協議会総会の決定によって正式に開始されました。それから四半世紀を経た今年の5月、教皇庁列聖省の神学審査委員会は、188殉教者の列福を了承し、あとは、同省の枢機卿会議の承認と教皇の裁可を待つのみとなりました。
そこで、これらの殉教者を思い起こすことが、決して時代遅れの英雄崇拝でないことを知っていただくために、簡単なプロフィールを、このウエブサイトに掲載することにしました。
188殉教者については、すでに研究者によってたくさんの書籍や論文、記事が発表されているので、さらに詳しく知りたい方々はそれらを参照してください。
私たちの先輩たちが、一日も早く列福されるよう、お祈りくださることを切にお願いする次第です。(カトリック中央協議会 殉教者列福調査特別委員会)
http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/feature/kibe_187/mean.htm


7月3日 聖トマ使徒

ヨハネ20・24-29

イエスがラザロのところに行こうとしたとき、弟子たちはユダヤ人を恐れて反対しましたが、トマは死を覚悟して、行こうではないかと仲間を励まします(ヨハネ11・16)。勇気のある人でした。
イエスが父のもとに行くと言い出したとき、トマは、「どこに行くのかわかりません。どうしてその道がわかりましょう」とするどい質問をしました(ヨハネ14・5)。答えは、「私は道、真理、いのちである」でした。真理・知恵(グノーシス)を強調する外典がトマの名を借りて、「トマ福音書」として広まったことからも、トマは合理主義者、知性第一主義だったことが分かります。そのトマが復活の主に出会って信仰者に変わります。知ること、見ることによって信じる段階から、信じることによって見えるようになり、わかるようになる段階へという歩みがうかがえます。それが愛の出会いであり、恵みの世界です。愛の世界では、「わかる」というのは信じることから始まります。(荒)
Intelligo ut credamからcredo ut intelligamへ。
 
7月22日 聖マリア(マグダラ)
「婦人よ、なぜ泣いているのか」
ヨハネ20・1、11-18

 兄ラザロが死んだとき、姉マルタは葬式や食事の準備をてきぱきとします。引込み思案の妹マリアは悲しみのため家の中に座っていて、主イエスが来られたときも立つことができません。しかし「主があなたを呼んでいる」とマルタにそっと言われたとき、マリアはすぐ立ちあがり、イエスのもとに急ぎます(ヨハネ11・29)。
女性がイエスを信じる場合、あなたとわたしという親密で恋愛感情にも似た関係が生まれます。頭で客観的に判断できなくても、心で直観的に本質を把握します。自己中心的でありながら、自分を忘れて(没我的)、献身的につくします。
十字架のもとで遺族の一人として母マリアを自分の母のようにいたわり、おおしく悲しみに耐えます。マリアにとってイエスは「わたしの主」、「わたしのいのち」でした。
女性として信じ、愛し、嘆きに沈むマリアに、イエスは近づき、「マリア」と呼ばれます。男と女の関係ではないかとかんぐる人びとの思惑を越えて、イエスはわたしたち一人ひとりを、それぞれの状況、ありのままの状態においてお呼びになります。(荒)
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ヨハネ福音書でマグダラのマリアが登場するのは、十字架の前が最初です(一九・二五)。そして、この復活の物語で主役として、もっとも重要な役割を果たします。しかし、地上のイエスの働きを伝える本体部分ではいっさい触れられていません。
 復活されたイエスは最初にマグダラのマリアに姿を現されたという伝承は、最初期の信者の間に広く流布していたようで、マルコ福音書も(後で加えられたと見られる)結びで引用しています(マルコ一六・九~一一)。その伝承によると、マリアは「以前イエスに七つの悪霊を追い出していただいた婦人」であり、その後他の女性たちと一緒に、ガリラヤを巡って神の国を宣べ伝える働きをされるイエスに付き従い、「自分の持ち物を出し合って、一行に奉仕した」女性です(ルカ八・一~三)。

 「七つの悪霊を追い出していただいた」(マルコ伝16章、ルカ伝8章)という表現は、彼女がひどい身体的・心霊的苦悩からイエスによって救い出されたことを指しているのでしょう。マリアがそのイエスを慕い愛して、イエスに付き従って行動を共にしたことは自然なことです。彼女のイエスに対する献身と奉仕が誰よりも熱く、イエスも彼女を愛して親しくされたことは、イエスの周囲の女性たちが言及されるときはいつも彼女の名が最初にあげられることからもうかがわれます。

 イエスが最後にエルサレムに上られるときには、マリアは一緒にエルサレムに行き、イエスの十字架の現場にいて目撃し、葬られた墓を確認し、安息日が明けたときは一番に墓に駆けつけて弔います。このような姿から、イエスに対するマリアの熱い思いが伝わってきます。

 このマグダラのマリアに復活されたイエスが最初に現れたという伝承は、公式の復活証言には取り入れられず、正統派の教会伝承では影が薄くなります。もっとも古い文書上の復活証言は、パウロの手紙(コリントⅠ一五・一~一一)ですが、すでにそこにはマグダラのマリアの名はありません。これは、ユダヤ教世界では女性に法廷での証人の資格が認められていなかったからだとされています。

 一方、グノーシス主義系の文書には、この伝承を伝え、マグダラのマリアをペトロたちよりもイエスに近い弟子とし、その教えにペトロ以上の権威を認めるものが多くあります。その中には「マリアの福音書」もあります。正統派の教会は、女性が聖職者として教会を指導することを認めず、マグダラのマリアを重視する伝承を退けるようになります。このような傾向の中で、ヨハネ福音書がマグダラのマリアへの復活者イエスの顕現を復活証言の中心に据えたことは、この福音書の位置を考える上で重要な事実です。「マグダラの聖マリアは、復活の喜びを伝える最初の人となる恵みを受けました」(集会祈願)。
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昔からマグダラのマリアは、売春婦であったと言われてきました。べつに根拠があったわけではありませんが、七つの悪霊を持っていたということからには、きっと売春をしていたにちがいないと考えられたからです。
 七つという数は、完全さを表しています。(「七福神」参照)。ですから、完全に悪霊に取りつかれていたか、あるいは本当に七つの悪霊にとらえられていたのでしょうか。つまり神と人間のかかわりを、あらゆる方法で壊そうとする悪の勢力のことです。
 もちろんその中に売春が入っていなかったとは言えませんが、もっと精神的な罪だった可能性もあります。本物の神を差し置いて迷信に走ったとか、偶像崇拝に走ったこと(旧約聖書では、偶像崇拝を姦淫と呼んでいます)とも考えられます。もしかしたら神に向かうべき情熱が七つの迷信、七つの偶像に向けられたのかもしれません。多神教は、それぞれ神が分業していて、商売繁盛は○○の神、縁結びは○○の神、というふうにたくさんの神仏を拝まないと、罰が当たってしまうのです。
 しかしマリアはイエス様に出会い、それを通して天の御父への愛に目覚め、七つの迷信から解放されたのです。売春婦だったというのは、長年のぬれぎぬかもしれないのです。しかしたとえ売春婦であったとしても、七つの悪霊にとりつかれていたマリアが、初代婦人会会長(!?)になれたのは、周りの人々が寛大だった「からでしょう。
 もちろん悪にたけた人が回心した場合、善に向かう力も強いものです。しかし下手すると、人にもそれを要求し、つまり自分の体験をふりかざして、超善人になってしまう危険性もあります。自分の過去に悪におしつぶされることもなく、それをひそかに誇ることもなく、また回心したことを見せびらかして、回心していない人々を裁くこともなく、つねに謙虚に会長の務めを果たすことこそ、マリアの回心の最も美しい実りであり、またもっともむずかしい課題だったのでしょう。


 
7月25日 聖大ヤコブ使徒 (1世紀)
マタイ20:20-28

イエスの12使徒のひとりであるヤコブは、ガリラヤの漁師の家に生まれた。福音史家ヨハネとは兄弟である。彼が、大ヤコブと呼ばれるのは、使徒の中で最初の殉教者であり、イエスのいとこにあたる小ヤコブと区別するためである。彼は、パレスチナの王ヘロデ・アグリッパのキリスト教迫害の際に捕えられ、斬首された(44年、At 12・1-2)。
 ヤコブは、スペインの守護の使徒と呼ばれているが、それは、遺体がスペインに運ばれたからだと伝えられている。数世紀にわたる迫害と民族移動によって不明となっていた墓は、813年に発見された。その場所は「コンポステラ」(星が現われて、聖人の墓の場所を示したという伝説による)と名づけられ、最も重要な巡礼地となリ、現在に至っている。
今日朗読される福音においては、「自分の命を献げる」ことと「仕えること」とは、関連付けられている。人びとに惜しみない心で仕えるすべての行いが、神への献げ物となるということは教えられています。今日この小さな行いをイエスと共に果たしていこう。
 サンティアゴ・デ・コンポステーラ、ローマ、エルサレムと並んで、キリスト教の三大巡礼地。


7月29日 聖マルタ 

ヨハネ11・19-27

「あなたはこれを信じるか」と、イエスは、マルタにするどい問いをつきつけます。人間の常識では計り知れない神秘、わたしたちを救うために神が計画された隠された奥義を、信じるか、否か、その問いは、マルタだけではなく、私たちすべてに向けられた問いでもあるのです。悲しみと苦悩、不幸とやみがどんなに深くとも、イエスにしっかりと目をそそぎ、十字架につけられて復活するイエスを信じるといいきる者には、生命への道、希望への道がひらかれていくのです。

自然災害やテロ行為、自殺や無差別殺人など、私たちの周りは悲しみで満ちている。
絶望の中でもイエスに対する信頼を失わなかったマルタに倣いたい。「あなたが神にお願いになることは何でも神はかなえてくださると、わたしは今でも承知しています。」

自分の辛い心情を訴えます。しかし、そのような悲しい心情の中でも、マルタはイエスを神から来られた方であることを信じています。

イエスの愛し方こそ神の愛し方を示すものなのです。神は、その最愛の独り子が苦難を受け、十字架上で死ぬことを望まれた、イエスを愛しておられるからこそ、人びとの救いのために、このようにふるまわれたのですから……。神はいつもこのような愛で人びとを包んで来られました。マルタに限らず、聖人と呼ばれる人たちの生涯がこのことを物語っています。彼らは、神に愛されれば愛されるほど、人びとの救いのために苦しまなければなりませんでした(殉教はその最たるものでしょう)。しかし、彼らは人びとの救いのために苦しまなければならない時、そこにこそ神の愛を感じ取っていったのです。

 神は私たちをも愛してくださっています。問題は、私たちが神からどのように愛されることを望んでいるかということです。ついつい私たちは考えてしまいます。神は私たちを愛してくださっているのだから、私たちから苦しみを取り除いてくださるはずだと。しかし、人びとの救いのために私たちから苦しみがなくならないとすれば、実はそれこそ神が私たちを愛してくださっているしるしなのです。 私たちが、この神の愛の神秘を理解し、自分の思いどおりに行かない時にこそ神の愛を実感することができるよう、マルタの取り次ぎを願うことにしましょう。
 
8月10日(木) 聖ラウレンチオ助祭殉教者
ヨハネ12・24-26

土に捨てられた種のようにラウレンチオは、いのちをすててまでキリストと教会を愛しました。それで蒔かれた麦となって、多くの実りをもたらしました。

学生時代に一番大切と思っていたこと、結婚する前に、就職する前に、昨日まで一番大切だと思っていたことでも、ある日、もっと大切なことを見つければ、それまでの一番大切なことを捨てるのも出来るのではないでしょうか?これまでも毎日、さまざまな選択をしてきました。それはどんな基準で選んできたか、そしてその時に捨てたものは何だったか、本当に一番大切なことを選んできたか。
私の存在の源であり、完成であるイエスを一番大切にすることができますように。
 
8月24日(火) 聖バルトロマイ使徒 
ヨハネによる福音1・45-51

バルトロマイは、イエスの12使徒の1人である。別名、ナタナエルとも呼ばれ、イスラエルのカナに生まれ育った。
 友人フィリポの勧めでイエスと出会ったとき、イエスは「まことのイスラエル人だ。この人には偽りがない」(ヨハネ1.47)とバルトロマイのことを言った。この出会いをきっかけに、彼は弟子としてイエスに従った。バルトロマイはかなり偏見を持っていたよう(「ナザレからよいものが出るか」)ですが、フィリポ(共同体)の紹介で、イエスを知るようになり、イエスによって深く認めてもらった体験をしました。「まことのイスラエル人」とは、真剣に真理を求めるという意味です。「いちじくの木の下」(ミカ4:4、ゼカ3:10参照)にいるのは、まさに「まことのイスラエル人」のことです。

 伝承によると、イエスの復活後、彼はインドとアルメニアで宣教し、アルメニアで殉教した。彼の遺骸は、983年にローマに移され、聖堂に安置された。職人の守護の聖人とされている。肖像画は、皮をはがれて殉教したことから、それを象徴して腕にコートをかけているように描かれている。日本では、キリシタン時代にとても尊敬されていた聖人であり、最初のキリシタン大名大村純忠(おおむら すみただ)が洗礼を受けた際に、バルトロマイ(バルトロメオ)を守護の聖人に選んだといわれる。
日本初のキリシタン大名で長崎港を開港した人物として知られる。領民にもキリスト教信仰を「奨励」した結果、大村領内では最盛期のキリスト信者数は6万人を越え、日本全国の信者の約半数が大村領内にいた時期もあったとされる。純忠の入信についてはポルトガル船のもたらす利益目当てという見方が根強いが、記録によれば彼自身は熱心な信徒で、受洗後は妻以外の女性と関係をもたず、死にいたるまで忠実なキリスト教徒であろうと努力していたことも事実である。

「見なさい。」イエスに目を注ぐ。わたしを深く理解してくれる方に出会った喜びで満たされる。
「見た。」イエスの温かなまなざし。イエスはいつもわたしを見守ってくださると確信を持つ。
「見ることになる。」深い対話への招き。イエスを通して新たな視点で日々の生活を体験するようになる。それは「呼ばれている者の幸せ。」


8月29日   洗礼者聖ヨハネの殉教

マルコ6章17〜29節


 
 ヨハネの殉教は、「人間の罪」というものの複雑な構図(仕組み)について考えさせてくれます。ある人が善いことを望んでいるにもかかわらず、その人を取り巻く様々な状況が彼に罪を犯させるよう追い込んでしまうこともあるのです。ヘロデはヨハネを保護し、その教えに喜んで耳を傾けていました。ヘロディアの娘がヨハネの首を求めたときも、非常に心を痛めました。しかし、ヘロデは一度誓ってしまった上に、並みいる招待客(マルコは「高官や将校、ガリラヤの有力者など」と記しています)の手前、どうすることもできず、結局ヨハネを殺すよう命じざるをえませんでした。ヘロデは、ヨハネを生かそうと望んでいたにもかかわらず、それとは正反対のことを行うことになりました。自分が望んでいなかった罪を犯すことを余儀なくされたのです。

 このようなヘロデの行動を非難するのは簡単なことでしょう。ヘロデはヨハネを救うことができたのにそうしなかった、結局ヘロデはヨハネの命より保身を選んだのだ、と。しかし、問題はそう単純ではありません。少なくともヘロデにとって、それは「やむを得ない」ことだったからです。実は、程度の差こそあれ、私たちの信仰生活の中でもこのようなことはよくあるのです。たとえば日曜日のミサのことを考えてみるとよいでしょう。ミサに行かない信者の中には、本当は行きたいのに、何かやむを得ない理由があって行けないという人がたくさんいます。仕事があるから、大切な人との約束を外せないから、家族のために食事の準備をしなければいけないから、他にも様々な理由があることでしょう。こうした人を非難する人もいます。ミサと仕事のどちらが大切なのか、ミサはすべてに優先されるべきではないのか……。しかし、本人にとっては、やはり「やむを得ない」理由なのです。他にも、このようなケースはたくさんあります。信仰上あまり好ましくないことと思っていても、仕事だから、近所づきあいだからといった理由で、やむを得ず黙認してしまったりするのもよくあることでしょう。自分を取り囲む人びとや社会の思惑が複雑に絡み合い、自分としては決して望んでいないことなのに、それを行なわざるをえない状況に追い込まれてしまう。罪にはこうした側面 もあるということです。

 このような種類の罪は、一人の人の努力だけで乗り越えられるものではありません。望むと望まないとにかかわらず、人間が共同で作り上げてしまう罪の構図が存在するのです。そして、この罪の構図は放っておくと、人を殺すことまで正当化してしまう危険があるのです。洗礼者ヨハネの殉教はその一例ということができるでしょう。

 確かに、この罪の構図は私たちの力ではどうしようもないように見えます。しかし、あきらめる必要はありません。キリストはこのような罪からも私たちを解放してくださったのです。だから、このキリストに信頼して、皆が一つになれば、必ずこの罪の構図をも打ち破ることができるはずなのです。たとえ難しい歩みに思えても、日々の生活の中で罪の構図に流されるのではなく、キリストのうちに一致して何か自分たちにできることを行なうように神は招いておられるのです。

*「罪の構図」”Structura peccati”は、はじめてSollicitudo rei socialis (1987), 36 に現れる表現。



9月 8日 聖マリアの誕生

マタイ1・1-16,18-23

マリアの誕生を祝うとは、救い主の母となる方を誕生させてくださった神をたたえることであると同時に、マリアの誕生のように今も人びとの気づかないところですでに救いのわざを行なっておられる神をたたえることであり、私たちが人間的、外面 的価値判断に頼ってこの救いのわざを見落としてしまうことのないように努めることでもあると言えるでしょう。「身分の低い」(1・48)マリアを救い主の母として選んでくださった神は、きっと今も身分の低い人、注目されていない人、価値のないと思われている人を救いの中心人物として選んでおられるからです。マリアの取り次ぎによって、私たちが神の救いのわざに少しでも敏感になることができるように祈り求めることにしましょう。
(「家庭の友」98年9月号より転載)

9月14日 十字架称賛
ヨハネ3・13-17

9月14日というのは、コンスタンチヌス大帝が335年、キリストが死去されたゴルゴダの丘に十字架聖堂と復活聖堂を建て(現在は聖墳墓教会)、献堂式を行い聖十字架(ゴルゴダの丘から発掘されたキリストの釘付けられた真の十字架)を安置した日である。
「私たちを救うため、偉大な犠牲を献げられたキリストおよびその道具となった十字架に対し、私たちは大きな尊敬を示さなければならない。十字架を礼拝するのは、十字架はキリストを示すからである。私たちは十字架の木材を礼拝するのではなく、十字架を通じて示されるキリストを礼拝するのである」と、ダマスコの聖ヨハネは言った。十字架の称賛は、十字架上の死に至るまでへりくだった主イエスへの称賛にほかならない。
十字架を信仰の中心的シンボルとすることに最初はためらいがあったようです。カタコンベには信仰や救いのしるしとなる壁画が数多く見られますが、十字架のしるしはあまり見いだせないそうです。けれども十字架は、この二千年の歴史の中で、他の何物をもっても代えることのできないキリスト教信仰のしるしとなってきたのです。でもそれはなぜなのでしょう。

その一つの理由は、十字架つまり苦しみと死の問題が、この地上に生きる私たち人間に共通の最大関心事であるからなのだと思います。予期せぬ苦しみ・死に遭遇するとき、人は心の底から、「なぜ」と問います。この「なぜ」は切実であると同時に、決して自分を納得させる答などないことをその人は知っています。それでも人は「なぜ?」と問い続けます。十字架は人間に共通の人生の大問題なのです。この私たちの十字架をキリストはご自分のものとして担われたのです。キリストは、ゲッセマネの園で、十字架の無意味さと不条理にたじろぎ、「この杯をわたしから取りのけてください」(マルコ 14:36)と祈り、ご受難の道行きにおいてあらゆる人々の悪意や弱さ・不純さからくる仕打ちをその身に追い続けられました。そして「なぜわたしをお見捨てになったのですか」(14:34)との切実な叫びをもって息絶えられたのです。第二朗読が「自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました」「死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした」と言っている通りです。
http://www.ignatius.gr.jp/fukuin/2003/03-09-14.html

9月15日

「悲しみの聖母」 記念日、
聖母の苦しみ、ルカ2・33-35


人間的な目で見ますと、マリア様はこの言葉のとおり、本当に不幸な人間としてこの世に来て、不幸そのままに帰られた方かもしれません。しかし、彼女が示してくださったことは、彼女はあせったこともなければ、自分が呪われたと思ったこともありませんでした。み旨を伝えられた時、ただ心に留めて黙想する姿だけを見せてくださいました。母親にとって一番辛いことは、自分より先に息子を逝かせることだそうです。その痛みさえ、受け入れなければならなかったマリア様の心を考えてみますと、やはり私たちが感じている痛みは贅沢なものなのだ、という気がします。
今日の福音(ルカ2・33‐35)で、シメオン預言者によって「あなた自身も剣で心を刺し貫かれます。」と預言されています。それは、刺し貫かれるくらいの痛みを感じます、という意味です。そしてイエス様には「この子は、反対を受けるしるしとして定められています。」と預言しています。この預言者から聞かされた話では、マリア様は最後まで、人間的に不幸に生きるしか方法がない、となります。「反対を受けるしるし」とは、どういう意味でしょうか。死ぬ時まで、敵として反対される人生を過ごさなければならない、ということです。そのような息子を見る母の心は、剣で心を刺し貫かれるような痛みをいただくだろう、ということです。

皆様、イエス様が見せてくださった真理はただ一つです。「あなたが本当に救われるためには、あなたに与えられたその痛みを抱きしめて乗り越えなさい。」という言葉です。誰でも嫌なことを抱きしめたくはありません。できるだけ自分にはよいことをしながら、人からは、「よい人だ」と言われたいのが、私たちの一番本能的な傾きかもしれません。しかし、本当にまじめで真実な生き方をした人々の人生は、いつも苦痛との戦いでした。乗り越えようとしても乗り越えられないかもしれないし、そのまま終わるかもしれません。しかし、クリスチャンである私たちにとっては、必ず乗り越えようとする自分との戦いがなければ、今日の福音の意味、そしてマリア様の痛みや悲しみの意味を理解するのが出来なくなると思います。
皆様、いろいろ疲れることもあるのでしょう。しかし、それを恵みだと思ってください。罪がたくさんあるところに恵みがある、という使徒パウロの言葉は、ただ言葉だけのものではありません。痛みを意識しながら、痛みを乗り越えられる希望を持つこと、それがよい方法であることを覚えましょう。

9月21日 聖マタイ使徒・福音記者
マタイ9・9-13

 マタイが自分のことを福音書では「マタイ」と書き記し、マルコとルカはマタイのことを「レビ」と書いている。実はここに、重要なメッセージがある。
 本当は「レビ」というのが本名(ほんみょう)です。レビというのはユダヤ人によくある名前です。そして「マタイ」というのは、レビの外国で通じる名前なのです。なぜレビがマタイという外国の名前を持っていたかというと、レビ(つまりマタイ)が、徴税人だったからです。徴税人は、ローマ帝国の徴税請負人です。だから外国名を持っていたのです。すると、自分の福音書の中でマタイは「レビ」という、自分のユダヤ人としての名前を使わずに、「マタイ」という取税人としての外国名を使っている。
 そのときのマタイの思いはどういうものであるのかというと、それは、「自分はユダヤ人でありながらユダヤ人を裏切った、守銭奴(しゅせんど)で、罪人である。だから『レビ』というユダヤ名で呼ばれる資格が自分にはない」‥‥ということかもしれない。「自分は、イエスさまの仲間になる資格がない者だ。レビという栄光あるイスラエルの子の名前で呼ばれる資格がない者だ。そんな、ひどい罪人の自分なのに、主イエスは、自分を招いて下さった」‥‥そういうことをマタイは言いたいのです。
 「それにもかかわらず、主イエス様はありのままの私を受け入れて下さった。ありのままの私を、弟子にして下さった。」‥‥そのようなマタイの感謝と驚きの気持ちが、「マタイ」という取税人としての外国名を自分で使っていることに、あらわれていると思うのです。足を洗ってからでないと弟子にしない、というのではないのです。まずありのまま、罪人のままのマタイを招かれる。ありのままでいいのです。まずイエスの後についていくことが先なのです。その驚きが、「マタイ」という言葉に込められています。
‥マルコやルカは多分、「マタイはまぎれもなく、われわれの仲間である」と言いたいのです。

 「わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」
 さて、罪人ではない人というのが、この世の中にいるのでしょうか。そんな人は一人もいません。すべての人は神に対して罪を犯しているからです。しかしこのファリサイ派の人々は、「自分たちは罪人ではない。義人である。正しい人である」と思っていました。もちろんファリサイ派の人々も神様の目から見れば罪人です。にもかかわらず、自分たちは罪人ではない、正しい人だ、と思っていた
。だからイエスさまに反発した。イエスさまの招きの声が聞こえないのです。「罪人を招くために来た」という主の言葉が、自分たちに語られた言葉には聞こえなかった。
 「わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」この主の言葉を、私たちはどう聞くでしょうか? 自分以外の、誰かに語られた言葉として聞くのでしょうか? それとも、ありのままのマタイを主イエスが招かれた言葉のように、イエスさまが私に語って下さっている言葉として聞くのでしょうか。
 主は私たちにも、同じように呼びかけておられるのです。「わたしに従いなさい。私の後についてきなさい。」「あなたといっしょに行きたいのだ」と。

9月28日
聖トマス西と15人の殉教者


聖トマス西と15人の殉教者は、1633年から1637年に殉教したドミニコ会の司祭、修道者、および彼らとかかわりのあった信徒たちです。9名の日本人のほかには、スペイン人、イタリア人、フランス人、フィリピン人がいます。殉教した経緯や年代、場所もさまざまです。

ドミニコ会が、アジア宣教に力を入れ始めたのは、16世紀の終わりごろからです。1587年に、フィリピンにロザリオ管区を設立し、マニラを拠点として宣教を始めます。ドミニコ会による日本での宣教は、1602年、鹿児島から始まりました。数年後には、九州各地に広まり、京都や大阪にも修道院が建てられました。しかし、ちょうどこのころ、各地でキリスト教に対する迫害がひどくなっていきます。

宣教師の渡航は、1614年に追放令が出された後も、しばらくはマニラとの交易船を利用して行われていましたが、日本国内で大規模な殉教が行われ、1623年にはマニラとの交易が禁止されるに及んで、困難を極めるようになります。貿易再開を望んだマニラ当局も、宣教師の日本渡航を厳しく禁じました。しかし、現実的には入国が不可能と思える状況の中にあっても、日本の教会の窮状を前にした、ドミニコ会は(ほかの修道会もそうでしたが)さまざまな方法を用いて、しかも優秀な宣教師を送る努力を続けたのです。多くの場合、このような人たちは日本に行き着くことができなかったり、たとえ日本に到着しても、上陸できなかったり、その場で捕らえられ、殺されたりしました。それでも、彼らは、日本の教会が表面的に壊滅するまで(実際には、潜伏キリシタンが信仰を保ち続けるのですが)、この努力を続けたのです。

その典型的な例が、16人のうちで最後に殉教したロレンソ・ルイスを含む6名と言えるでしょう。彼らは、アントニオ・ゴンサレス神父を責任者として、自前の船を造り、日本への密航を模索します。結局は、1637年に入国するも、その時点で6名とも捕らえられ、厳しい拷問を受け、棄教と情報提供を迫られます。拷問は、水責め(たらいの水を何倍も飲ませたうえで、腹部に重石を強く乗せて、水と血を目・鼻・耳などから一気に噴き出させるというもの)、指と爪の間に焼き串を差し込む責めなどが行われました。このころは殺すことよりも、情報を密告させることに主眼が置かれていたため、拷問は延々と続けられました。最後には数日間、穴づり(頭を下にして上から紐で穴の中につるす責め)にされたうえで、彼らは神にいのちをささげました。

このような殉教者たちの生涯を見つめるとき、わたしたちには、いくつかの疑問がわくのをおさえることができません。なぜ、神はこのような状況をそのままにしておかれるのか。なぜ、神は信者の側に立って、その全能の力をもって戦ってくださらないのか。日本の信者を助けるために、宣教師たちは苦労して日本に渡航したのに、上陸もできずに捕らえられ、殺されてしまったのでは、当初の目的がまったく果たされていないではないか。彼らの行為は無駄だったのか。……疑問は尽きることがありません。

その意味で、ヨハネ福音書12章24−26節(この日を荘厳に祝うときのために定められた福音個所)は、わたしたちに答えを与えてくれるように思います。「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のまま残る。だが、死ねば、多くの実を結ぶ」(24節)。一粒の麦は小さなものです。麦を一粒食べたからといって、人は腹を満たすことはできません。しかし、この種が「死ねば」(つまり、死んで、地中に埋められれば)、あれだけ小さかった粒から、芽が出て成長し、多くの実を結びます。このような自然の神秘を、イエスは人のいのちにも当てはめます。自分のいのちを愛し、自分のためだけにとっておこうとするとき、人はいのちの持つ輝きを生かすことはできません(いのちを「失う」)。しかし、神のため、ほかの人のために自分のいのちを捨てる人は、永遠のいのちを実現するのです。

この比ゆは、まずイエスご自身に当てはめられたものです。イエスは、神のみ心にしたがい、人々のために、十字架上でみずからのいのちを捨てます。それは、これ以上は考えられないような屈辱、苦難をもたらします。敵対者が勝利したように思われます。これまでのイエスの宣教活動が無駄に終わったように感じられます。しかし、神にとっては、それは永遠の勝利であり、真の救いでした。これを信じる者にとっては、神のため、人のためにいのちをささげる「十字架」の生き方こそ、神の力であり、永遠の実りをもたらすものなのです。

あの17世紀の日本で、この神秘を受け入れ、信じていたのは、実際に殉教者たちだけではありません。彼らのまわりには、多くの信徒たちがいて、彼らを助け、支えていました。そもそも16人の殉教者たちの記録が残っているという事実が、迫害下の危険を冒してまでも、このことを報告した人たち(あるいは、彼ら自身の手紙を持っていった人たち)がいたことを示しています。キリスト者は、「殉教」の神秘、「十字架」の神秘にかけがえのない価値を見いだし、それぞれの場で、これを受け入れ、生きていったのです。

わたしたちは、現代の社会の中で、ともすると「実利的」な価値判断に影響されているのかもしれません。目に見える形での実りを成功と考え、そうでないときに失敗と考えてしまう価値観です。このような価値観の中では、十字架や殉教、それに基づく生き方は意味がないように感じられます。殉教者の模範、それは、わたしたちが表面的な成功を求めるのでなく、たとえ実りがないように見えても、神のため、他人のために自分をささげて生きることこそ、救いであると信じ、そのように証しするよう招いているのだと思います。

9月29日 聖ミカエル 聖ガブリエル 聖ラファエル大天使

ヨハネ1・47-51

"Chi vuol guardare bene la terra deve tenersi alla distanza necessaria" (Italo Calvino)
「天が開け、神の御使いたちが人の子の上に昇り降りする」というのは、明らかに創世記二八章(一〇節以下)のヤコブの夢の物語を下敷きにしています。ヤコブは夢で、「先端が天にまで達する階段(または梯子)が地に向かって伸びており、神の御使いがそれを上り下りしている」のを見たとされています。ヨハネ福音書は、「人の子」であるイエスこそ、天と地をつなぐ階段であり、神と人との結びつきそのものであると告知しているのです。
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ナザレから良いものがでるだろうか、と疑ったナタナエルが、イエスにすべてを見抜かれ、「ラビ、あなたは神の子です。イスラエルの王です。」と告白します。イエスは天と地を結び、支配する
「人の子」であることを私たちに告げます。人間的思いを超える神に触れていただき、信じる恵みを願います。sese

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