病者の塗油

病者の塗油

1.聖書的由来と発展

(1)聖書的由来
 病者の塗油の秘跡は、マルコ福音書6章13節の「油を塗って多くの病人を癒した」という言葉や、ヤコブ書5章の「オリーブの油を塗り、祈ってもらいなさい」という言葉に由来しています。ヤコブ書からは、癒しのために共同体が共に祈り合うことの大切さが分かります。
(2)発展
 このような形での病者に対する塗油の習慣は、死ぬ間際の人に食事を与えるというローマの文化から影響を受けた臨終の聖体拝領の儀式と結びつき、しだいに死ぬ間際の病人に対して司祭から1回だけ行われる塗油の儀式へと発展していきました。そのため、第二バチカン公会議以前には「終油の秘跡」とも呼ばれていました。

(3)現代における実践

 現代では、病のために危険な状態にある人、医師から重態だと判断された人だけでなく、危険な手術を受ける前の人、老衰のために死が近づいていると思われる人も司祭から病者の塗油を受けることができます。回数も、1回だけには限定されておらず、必要があれば何回でも受けることができます。

2.恵み
 病者の塗油によって、次のような恵みが与えられます。
(1)聖霊による救霊のための恵み…その人の魂の救いのために、聖霊から与えられる恵みです。
(2)悪霊の誘惑や死の恐怖への抵抗力…病の床にある人は、自分が神様から愛されていないのでは ないかとか、神様が存在しないのではないかという疑問に襲われたり、死への恐怖にさいなま れたりすることがあります。病者の塗油は、そのような誘惑や恐怖と戦う力を与えてくれます 。
(3)病苦と戦う力…病気は多くの場合に苦しみを伴いますが、その苦しみと戦う力が病者の塗油に よって与えられます。
(4)救霊のために必要であれば、肉体の回復…もしその人の魂の救いのために肉体の回復が必要で あれば、肉体が病から回復する恵みが与えられます。どんな場合でも必ず肉体の回復の恵みが 与えられるわけではありません。
(5)罪のゆるし…ゆるしの秘跡を同時に受けることができない場合には、塗油によってその人の犯 したすべての罪がゆるされます。
3.病苦の意味
 病の床にある人を苦しめる最も大きな疑問の一つは、「なぜわたしがこんな目に合わなければならないのか」ということでしょう。この疑問は、自分の人生の意味への疑いや、神様の愛への疑いを生む深刻な疑問です。この疑問に対して、わたしたちはどう答えることができるのでしょうか。
 この問いに対するキリスト者の答えは、コロサイ書1章24節のパウロの言葉「キリストの苦しみの欠けたところを、身をもって充たす」に凝縮されています。この言葉を参照しながら、第2バチカン公会議の教会憲章は、病で苦しんでいる人たちに対して「すすんで自分をキリストの受難と死に合わせ、神の民の善に寄与する」(11)ように勧めています。教皇ヨハネ・パウロ2世も使徒的書簡『サルヴィフィチ・ドローリス』の中で、人間は病苦などによって苦しむとき、神秘的な形でイエスの十字架上での苦しみに結ばれると述べています。
イエスの苦しみはそれ自体として十分なものでしたが、その苦しみをイエスだけに苦しませておくのはよくありませんね。病苦を通してイエスと苦しみを共にするときに、わたしたちはイエスの受難により深く結ばれるのでしょう。イエスの受難に深く結ばれることによって、わたしたちはイエスの救いの業に協力することができ、さらにはイエスの復活にも固く結びつけられるのだと思います。
 病者の塗油は、病で苦しむ人たちに、彼らが今十字架上のイエスと共にその苦しみを苦しんでいるのだということを思い起こさせ、病苦は決して無意味なものではないと彼らに告げる秘跡だと言えるかもしれません。

《参考文献》
・『カトリック教会のカテキズム』、カトリック中央協議会、2002年。
・『第2バチカン公会議公文書全集』、サンパウロ、1986年。
・『カトリック儀式書 ゆるしの秘跡』、カトリック中央協議会、1978年。
・『カトリック儀式書 病者の塗油』、カトリック中央協議会、1980年。
・『使徒的書簡 サルヴィフィチ・ドローリス』、サンパウロ、1988年。
http://www.rokko-catholic.jp/Training/tuesdayclass/tuesdayclass-rejime-11-18.htm

ソロモンの知恵

ソロモンの知恵

知恵は、民族、人種、性別を超える普遍性を有し、同時に信仰を現実体験と結びつける。現実は多様性に富むゆえに、知恵もまた多様な姿となる。宗教とは、互いに矛盾対立する霊的体験の諸現象から成り立つものであって、理念や教義の集大成ではない。知恵がソロモン王国において大きな役割をはたしたのは、知恵の教え諭す教育性とその非民族性にある。知恵の御霊の働きは、信仰の律法化や祭儀化を克服するのである。

この意味で、ソロモン時代の知恵は、ほとんどヨーロッパ中世の神学に等しい。「主を畏れることは知恵の初め」という箴言(1・7)の言葉は、世俗の処世術から人々を主に向かわせると同時に、ヤハウェ宗教を多様な現実へと結びつける二重の働きを意味していたのである。ソロモン王国の知恵は百科辞典的な広さに及んでいる(列王記上5・9〜14)。だからそれが目指していたのは、当時のカナン文化圏全体をヤハウェの御霊によって管理すること、すなわち「カナン文化のヤハウェ化」そのものにあった。

 ソロモンの知恵の黄金時代以降、王国はふたつに分裂し、預言者たちによる弾劾が厳しさを増す。やがて捕囚体験を経て帰還したユダヤ民族が、再びかつての王権を確立することはなかった。しかし、ソロモン時代の知恵は、それ以降も受け継がれ、箴言、ヨブ記、コヘレトの言葉、知恵の書、シラ書、ダニエル書、ソロモンの詩編などの知恵文学を産み、これがイエスの時代へと受け継がれることになる。

一方、ソロモンの箴言、ソロモンの雅歌、ソロモンの○○と、ソロモンの名を冠にした箴言・雅歌・コヘレトの言葉(伝道の書)などは、自由で多彩な批判的精神あふれる知恵文学の隠れ蓑として、ソロモン王の権威が巧みに利用されています。硬直した律法主義的申命記的信仰を、多義的で重層的な陰影の深い宗教に変えています。いわばルネッサンス的役割を果たしています。
 ここが旧約聖書の面白いところです。わずか80年にも満たないダビデ・ソロモン時代が、出エジプト時代のモーセの伝承と共に旧約聖書の核心となるからです。





iPadから送信