リジューの聖テレジアは煉獄について驚くべき言葉を書きました。



リジューの聖テレジアは煉獄について驚くべき言葉を書きました。「信頼がどれほど進むべきかを聞きなさい!それはあなたに、煉獄はあなたのためではなく、慈悲深い愛を知らなかった魂、またはその浄化の力に疑問を抱いた魂だけのものであると信じさせるべきです。この愛に応えようとする者たちとともに、イエスは「盲目」であり、「数えない」と言います。むしろ、それは「すべての過ちを覆う」慈善の火と、特に彼の永遠の犠牲の実りにだけ頼って、浄化を計るものです。はい、小さな不実にもかかわらず、あなたは天国にまっすぐ進むことを期待できます。なぜなら、善き神はあなたよりもそれをさらに望んでおり、確かにあなたがその慈悲を期待するものを与えてくれるでしょう。それはあなたの信頼と放棄であり、神の正義はあなたの脆弱性を知っており、それに達するために神聖に計られています。ただし、この保証に頼る際には、彼が愛を失わないように注意深く見守ってください。」

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死者のためのミサの叙唱

死者のためのミサの叙唱のなかに、「信じる者にとって、死は滅びではなく、新たな命への門であり、地上の生活を終わった後も、天に永遠のすみかが備えられています」ということがあります。

死は新たな命への門ですが、その門を怖がる人は多い。けれども、皆この門を一度通ったことがあるはずです。子供は「神からの預かりもの」というでしょう。だから、生まれる子供は神の世界からこの世に入った時にこの門をくぐったわけです。子供は生まれてくるとよく泣きますね。安心できる世界から、不安定な世界に入ってくるから。そして、数年たつと慣れてきて、執着心も生まれてきます。だから、この門をくぐりたくない、と。その門の向こうに新たな命がある。この世とは違う命がある。動物の中で、水の中に生きる動物と、大陸に空気を吸う動物があります。そして、「アンフィビアス」といって、両生類、両方の世界に生活できる動物がいます。人間は、アンフィビアスな動物である。時間と空間の中に生きるし、時間と空間を超えた世界、神の世界にも生きるように造られている。実際、そこから来ているし、こちら側に生きている間は、神について知り、神と親しい関係をもてます。

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