seijin (april-june)

4月25日 聖マルコ福音記者
マルコ16:15-20 


ペトロや弟子たちに目を転じたとき、彼らはイエス様の復活前は、イエス様について行くことでこの世の名誉が得られるととらえ、「あなたの右と左に座らせて下さい」と頼んだりしていたのです(マタ20:21)。だからこそ十字架を目の前にして逃げるしかなかったのです。しかしイエス様の十字架と
復活を体験した後、確かに弟子たちは変わります。それは十字架にかかってまで、「私」を救いたいイエス様の愛を心から悟り、そのゆるしを知ったからです。
もちろん弟子たちが変わったのは、イエス様が単に無力なまま終わったのでなく、いったん人間の裁きに神の力を明け渡したが、それにもかかわらずどの権力者も手に入れることのできなかった、死んでも滅びない「永遠の生命」を復活で示し、イエス様がまことに「生命の与え主」であること、また神の限りない赦しを知ったからに他なりませんが。
さて、私たちは、カトリック信者になったとはいえ、まったく普通の人間のままです。では私たち無力な信者は、今の時代にあって何をなすべきなのでしょうか。
一方的に世話をする強者、上から与える者、恵まれたもの、教え込む者として、善意を押しつけるのでなく、「私も同じ弱さと問題を持っている。どうしたらいいのか分からない。でもそんな私を受け止めてくれる神様を知っている。だから一緒に祈ろう」と共に祈るものになること。
 「マザーテレサのように自分の宗教を押しつけることなく、共に貧しく生きながら誰もしたがらないことを、着実にやり続けること」。それらのイメージではないでしょうか。
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信じる者は、イエスの名によって「悪霊を追い出し、新しい言葉を語る」ようになります。悪霊のわざとは何でしょうか。さまざまな思いや物事に囚われ、神からの恵みを見失ってしまう状態ではないでしょうか。イエスの救いは、私たちを心の底から自由にします。神の似姿として造られたありのま
まの自分を認め、愛することができるようにします。この魂の解放こそ、全世界に宣ベ伝えるように私たちに与えられた愛のことばではないでしょうか。
主よ、私たちをこの世に神の国をもたらす道具としてお使いください。一人一人が神に呼ばれている自分に気づき、その恵みと解放に与るものとなりますように。


マリア祭 (百合学園)1 maggio 1997


今日は、マリア祭ということで、マリア様のことを祝うようになりました。私たちは、教会でマリアのことを聖母マリア、つまり聖なる母親、お母さんと呼んでいます。だれの母さんかといいますと、皆さんもご存知だと思いますが、まずイエス・キリストのお母さんですね。でも、マリアは全人類、すべての民族のすべての人のお母さんとも言われています。(「恵まれた者、今から後、いつの時代の人々も、私を幸いな者と呼ぶでしょう」)。ですから、マリア様を祝うことは私たちのお母さんを祝うことになります。
皆さん、お母さんをもっていない人は一人もいないはずです。生まれる時からお母さんをもっていない方は手をあげてください。あら、みんなもっていますね。これは、どう言うことを意味するのでしょうか?みんなこの世に生まれる時はお母さんを通して生まれるわけですね。だれも、この世に来たいと思って一人でこの世に生まれることはないなんですね。つまり、生まれる時に我々は誰かにお世話にならなければならないです。いのちというものは自分で獲得するものではなくて、もらうものなんでしたね。生徒も先生も保護者の方も、皆、いのちをいただいたなんですね。百合学園を作ったシスターたちもいのちをいただきました。いのちあるものは、皆同じところ(神様)から恵みを受けています。そして、こうやって皆さんが元気に勉強して成長していくのは、各自の努力もありますが、実は大きな恵みのおかげなんですよ。
母の日の場合は、それぞれ自分のひとりだけのお母さんの祝いですが、マリア祭の場合は、みんなの共通のお母さんに感謝をあらわすことになります。
マリアはイエス・キリストを生むことによって、私たちの誕生からはじまる人生のすべてを通して、神の子となる恵み(可能性)にあずかることができるようになりました。そう思うと、マリアに深い親しみと愛を感じるようになるでしょう。マリアの受けた恵みは、神の人類に対する深い愛を示しているので、彼女ひとりではなく、私たち人間皆に大きな喜びをもたらしました。

5月3日(水)
聖フィリポ 聖ヤコブ使徒
ヨハネ14:6-14


 聖フィリポは、ガリラヤのベトサイダで生まれ、イエスに従った最初の弟子の一人であった。
「ヤコブ」は12使徒の中に2人いるため、福音書の中では「ゼベダイの子ヤコブ」(8月25日に祝われる使徒)、「アルファイの子ヤコブ」(5月3日に祝われる使徒)というように区別されています。
 聖ヤコブは、使徒大ヤコブと区別するために、小ヤコブとも呼ばれる。ヤコブは、イエスの親類であり、エルサレム教会の初代司教となった。
フィリポにせよ、ヤコブにせよ、新約聖書の記述や伝承からでは、その生涯を知ることは不可能です。この事実は、わたしには重要なことであると思えます。わたしたちは、すばらしい生き方をしたキリスト者の生涯を、信仰者の模範として語り伝えようとします。しかし、初代教会は、教会のいしずえとなった使徒たちの生涯を語り伝えようとはしなかったのです。それは、ペトロについても言えることです。ペトロは、福音書や使徒言行録の中にしばしば登場しますが、その出生から始まって、イエスに出会う前のことは伝えられていません。使徒たちは、「使徒」としてイエスに選ばれ、この召命に忠実にこたえて生きることをとおして、救いの計画の実現に参与したということ、初代教会が重視したことはその一点なのでしょう。

これ以後、イエスが「わたしを見た者は父を見たのだ」(14・9)とフィリポに言われたことが、弟子たちにも当てはまるようになります。弟子たちも、イエスに派遣された者として、イエスの内に深くとどまり、イエスの言葉を語り、イエスの望みを行うようになります。弟子たちを見た者は、イエスを見たのだと言えるほどまでにです。これこそ「使徒」であることの意味合いではないでしょうか。12人の使徒たちは、この「使徒性」を少しずつ理解し、身につけていったのでしょう。

 教会は、彼ら12人に続く、「使徒」としての務めを与えられた人々によって成長してきました。しかし、キリストの派遣の言葉は使徒たちだけにではなく、すべてのキリスト者に向けられています。御父とキリストとのかかわりに招き入れられ、聖霊を与えられたのは、何も使徒たちだけではないのです。わたしたち一人ひとりも、イエスに至る道、イエスを示す真理、イエスを与える命となるよう招かれているのです。この招きに少しでもこたえることができるよう、聖フィリポと聖ヤコブにならいたいと思います。
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道、真理、命である自分を通らなければ、誰も父なる神のもとに行けないとイエスは言います。日本には剣道、柔道、華道などの伝統があり、自分の身を厳しく律し、道を習い、究めてゆくことを通して達する境地が、素晴らしいものであることを日本で育った人はよりよく理解することができるのではないでしょうか。
主よ、どうか私たちが真理であり、命である「イエス」の道を最後まで歩み、永遠の命に達することができますように。


5月14日 聖マチア使徒
ヨハネ15・9-17

イエスは新しいイスラエル、教会を象徴する十二人の使徒を選びました。ユダが死んだあと、マチアが加えられ、使徒職が続けられます。十二使徒は、イエスの公生活の始まりから死に至るまで、いつも一緒にいた者です。イエスの奇跡を目撃し、そのことばを受けとめ、ご受難と復活の喜びとを体験し、その証しをすることができる者、地上で生活された人間イエスが復活の栄光に輝く神の子と同じかたであることを力強く宣言できる者でありました。その意味で、十二人の使徒は、教会の中で、一度限りの特別な存在であると言えます。しかし、十二使徒の役割は、彼らの存在本質、つまり主とともにいるということと並んで、世の終わりまで続けられます。主イエスは聖霊によって十二使徒の後継者の中に現存されるのです。(荒)
教会は受肉したことばの秘儀に照らして初めて理解できます。神のことばにまとわれた人間性が、生きた機関としてこの世に福音をのべ伝えたように、教会の社会的組織はからだのように成長し、キリストの霊に生かされながら、キリストと同じことを今現在行っているのです。教会を通してキリストは今私たちは住んでいる町を歩いておられるのです(教会憲章8参照)。


5月31日 聖母の訪問
ルカ1:39-56


今日は、「聖母の訪問」という記念日です。天使のお告げを受けてイエスを身ごもったマリアが、洗礼者ヨハネをすでに身ごもっていたエ
リサベトを訪問したことを記念します。その時、マリアの歌った歌が「マグニフイカト」です。

英語ではマグニファイ(magnify)とは拡大するという意味です。
 自分を小さくして神様に従ったマリアは神の部分を大きくする。大きくたたえる。
 神様の恵みを拡大して大きく大きく祈ったマリア。
 わたしたちは、神様を利用して神様よりも、自分を大きくしていることはあるかもしれません。
マリアのように、自分たちの生活の中で神の部分を大きくして行きたいものです。

母マリアは、いまも私たちのところに急いで来てくださり、恵みそのものであるイエスを与えてくださいます。母親は自分の子供たちは牢
獄に囚われていても、母であることを捨てず、犯罪者の子のために牢獄の中にまで行きます。その母の愛が私たちを絶望と孤独から解放します。(荒)
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「あなたは女の中で祝福された方です。」「今から後(のち)、いつの世の人もわたしを幸いな者と言うでしょう、」このことばからしますと、神はマリアを人類の模範として定めて、示してくださったことになるようです。私たちはそれを受け止めて、人々と苦しみ楽しみを分かち合い、他者の必要を気にかけて、全き神への信頼のうちに、すべてを耐え忍び、分からないことに対しては、心にとめ、時がくるのを待ちます。マリアは自分の中で行われた神の業に目を向けます。マリアに倣い、聖霊のうながしに従って自分を開け渡し、生涯が、神の栄光を表わす場となるように決意を新たにしましょう。


6月?日(金)イエスのみ心の祭日
ヨハネによる福音(19:31-37)

 祭日の日付

キリストの聖体の祭日(日本では聖霊降臨後第二の主日に祝われる)の日付を調べ、その直後の金曜日にあたります。

6月はイエスのみ心の月
 イエスのみ心に対する信心は中世に始まり、聖マルガリタ・マリ・アラコクがみ心の信心についての啓示を受けた17世紀にフランスで広まりました。そして1856年に、教皇ピオ9世によって全世界で祝うことが定められました。イエスのみ心に表される神の愛を思い起こすとともに、イエスの無限の愛のしるしであるみ心にをたたえる祭日です。

 
 キリストの聖心への信心は キリストの真の弟子として、キリストの呼びかけにこたえ、キリストを知り、愛し、従うことへの献身です。"イエスの聖心"への献身は、初代教会の教父たちの、イエスのわき腹のみ傷への信心にそのはじまりをうかがい知ることができます。このみ傷への信心は、やがて聖心への献身へとみちびかれました。そして御血と水が流れ出たこの聖なる
み傷から、教会と秘跡が生まれました。御血はご聖体を、そして水は洗礼を象徴しました。聖エンブローズが「水は私たちを洗い、御血はわたしたちをあがなう」と言ったように、これまですべての聖人と神秘家たちが、キリストの聖心から多大なるなぐさめと力を得てきました。  現代のイエスの聖心への信心は、17世紀の聖女マルガリタ・マリア・アラコクによって伝えられました。 

 聖マルガリタ・マリア・アラコクは1647年、フランスはブルゴーニュ、ロートクールで生まれました。敬虔なシスター、マルガリタは熱心な祈りと苦行を重ね、神の特別な恵みを受けました。そして、イエスの聖心への奉献と一致による恵みをわたしたちに伝えてくれました。御聖体の前で祈りをささげていたシスターマルガリタは、ある日イエズスの御出現を受けたのです。イエズスは言いました。 「わたしの神聖な聖心は、これほどまでに人々への愛に燃えている。このいつくしみの炎をもはやとどめておくことはできない。この聖心の愛の炎はあなたによって広められ、明らかにされねばならない。人類を高め、清めの恵みと彼らを破滅から引き上げるに必要な救いを。わたしはこの偉大な計画のためにあなたを選んだ。」 こうして彼女は聖心の最愛の弟子となったのです。

聖マルガリタ・マリア・アラコクのイエスの聖心への祈り
"あぁ、聖心よ、わたしの愛の唯一の目的である聖心よ、わたしはあなたを受けます。聖心はわたしの人生の御保護、救いのしるし、わたしの弱さとはかなさの救済、人生のあがない、死を迎えるときのよりどころ・・・あぁ、愛の心よ、あなたの無限の善なるもののうちにわたしはすべての信頼をおきます。わたしの中のあなたに反するすべてを消し去ってください。あなたのけがれなき愛をわたしに深く刻んでください。けっしてあなたを離れ忘れぬように。そしてわたしはあなたにこいねがいます。あなたにつかえるしもべの一人として生きかつ死ぬわたしの幸せと栄光、そのすべてであるあなたの心に、わたしの名前が刻まれますように。アーメン。"  
イエズスが、聖心の信心をする人のために聖マルガリタ・マリアにされた12の約束
1.私は彼らの生活状態のために必要なすべての恵みを与える
2.私は彼らの家庭の中に平和を確立する
3.私はすべての困難において彼らを慰める
4.彼らは生涯の間、そして特に死の時に私の聖心のうちに確実な避難所を見出す
5.彼らのすべての企ての上に豊かな祝福を注ぐ
6.罪人は私の聖心のうちに無限の憐れみの源を見出す
7.生ぬるい霊魂は熱心になる
8.熱心な霊魂は速やかに大きな完成に達する
9.私は聖心の御像や御絵を掲げ尊敬する家庭を祝福する
10.私は司祭たちに最も頑なな心を感動させる力を与える
11.この信心を広める人々は消されることなく私の聖心の中にその名前が書かれる
12.私の聖心のまったく強力な愛は九ヶ月の間続けて初金曜日に聖体拝領をするすべての人々に死のときの最後の痛悔の恵みを与える。彼らは私に嫌われて死んだり、秘蹟を受けることなく死んだりしない。私の聖心は彼らの最期において確実な避難所となる。キリストに示された神の愛がわたしたちすべてのうちに宿り、神と隣人への愛が豊かに注がれますように。

そして、マリア・アラコック修道女の指導司祭がクロード・ラ・コロンビエールというイエズス会員であったこともあり、この信心を広める使命がイエズス会に与えられることになりました。聖心女子大学を経営していることで有名な聖心会という修道会がありますが、あの修道会の名前も「イエスの聖心の信心」に由来しています。特に12番目の約束は有名で、今でも初金曜日のミサという形で残っています。多くの教会でも、毎月最初の金曜日に特別なミサをしていますが、それは「イエスの聖心の信心」に由来するものです。
6月はイエスのみ心の月
 イエスのみ心は全人類に対する神の愛の象徴としてイエスの心臓を表し、その信心はイエスのみ心に表される神の愛を思い起こし、その無限の愛のしるしであるみ心をたたえるものとして中世に始りました。特に聖マルガリタ・マリア・アラコック(1647-90)がみ心の信心についての啓示を受けて17世紀にフランスで広まりました。1675年6月16日、この聖女はご聖体を前にして、イエスの愛にこたえたいという思いに駆られました。そのときイエスは、愛情に燃えているみ心を示して、人々の間に欠けている冷淡な心を嘆かれ、イエス自身の愛に倣ってその心を尊ぶことを勧められました。
またこのようなイエスの出現が数回にも及び、ご聖体の祝日(キリストの聖体)後の金曜日をみ心を礼拝する特別な祝日として定めるようにとのお告げにより、み心の信心の内容と形式が明確にされるようになりました。
そして1856年に教皇ピオ9世によってイエスのみ心の祭日がご聖体の祝日後の金曜日に全世界で祝うことが定められました。ご聖体とみ心の主日がおおよそ6月に祝われるというこのような歴史からして、次第に6月が「イエスのみ心の月」と自然に浸透し、制定されてきたことは十分に考えられます。

み心の信心

  教皇ベネディクト十六世は、イエズス会のコルヴェンバッハ総長宛に、み心の信心を勧めたピオ十二世回勅『ハウリエティス・アクアス』(1956年5月15日)発布50周年を記念する書簡(2006年5月15日付。発表は5月23日)を送り、こう述べています。

「槍で刺し貫かれたイエスの脇腹(ヨハネ19・34参照)を礼拝しながら観想することにより、わたしたちは、人びとを救おうとする神のみ旨を感じることができるようになります。・・・・『槍で刺し貫かれた脇腹』の内に神の限りない救いのみ旨が輝いています。ですから、この脇腹を仰ぎ見ること(み心の信心)を、過去の礼拝ないし信心の形と考えてはなりません。刺し貫かれた心という象徴に歴史的な信心の表現を見いだした神の愛の礼拝は、神との生きた関係にとって不可欠なものであり続けます」。

 み心の信心は、教会において基礎となるものであり、キリスト教の中心といえるものでありますから、イエスのみ心の限りない愛に対して、できる限りの愛をもってこたえるというみ心の信心の目的をしっかりともちながら特にこの月を過ごしていきたいものです。
一体なぜ心臓に象徴されるイエスの心を特別扱いして崇敬するのでしょうか。あの血を流したイエスの心臓の像や絵は、どうも日本人にはなじみにくいような気もします。

 この信心も、自己表現についての考察から理解することができます。まず、人間の体は魂の表現だという前提から出発します。体に現れた表現を見て、わたしたちは魂がどのようなものなのかを知るからです。しかし、体のすべての部分が同じように魂を表しているとは考えられません。足よりは手が、手よりは顔が、よりその人の魂を表すでしょう。そのように考えたときに、人間の魂をもっともよく表すのは、その人の心だと考えられます。17世紀のヨーロッパ人たちは、心が心臓に宿ると考えていましたので、心臓に象徴される人間の心こそ、その人の魂を最もよく表すものだと考えました。

 そうだとすれば、イエスの魂、神の愛そのものであるイエスの魂を最もよく表すイエスの体の部分は、イエスの心の座としての心臓だということになります。イエスの心臓、すなわちイエスの心に触れることで、人間は神の愛に触れることができるのです。もしイエスに心がなければ、わたしたちは神の愛に触れることができなかったはずです。イエスの心があったからこそ、わたしたちは神の愛に触れ、神が「愛の神」であると知ることができたのです。この大きな恵みへの感謝を示しているのが「イエスの聖心の信心」だと考えれば、わたしたち日本人にもなじみが湧くのではないでしょうか。今度もしどこかで心臓が描かれたイエスの絵や彫刻を見たら、このことを思い出しながら祈ってみてください。
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アイ・ラブ・ニューヨーク(I ♥ NY、I Love New York)は世界的に有名な判じ絵ロゴマークである。
1977年にニューヨーク市のグラフィックデザイナー、ミルトン・グレイザ- (Milton Glaser) によって制作された。ハートのシンボル「♥」で"Love"を表現している。 このロゴがプリントされたグッズ(Tシャツやマグカップ、キャップなど)はニューヨークみやげの定番。マンハッタンにある商店では買物の際のレジ袋にもこのロゴ(の模造品)が描かれていることがある。ニューヨーク州観光局の登録商標であるが、パロディとして多数の模造デザインが生まれた。
イエスのみ心も、それと似たような宣言、「アイ・ラブ・人間」!と。


聖母のみ心   (イエスのみ心の祭日の翌日)
ルカによる福音書 2章41~51節
「両親にはイエスの言葉の意味が分からなかった」


“聖母のみ心”の記念日は、1944年にピオ12世教皇によって定められました。神に自らの心を開いてささげた聖母マリアは、すべてのキリスト者の模範です。マリアの心が聖霊のふさわしい住まいとされたように、わたしたちの心も聖霊の神殿となることを祈る日です。
教会は、「神の最も聖なる母マリア」を特別な心で崇敬しています。教皇パウロ6世は、聖マリアへの信心についての使徒的勧告を出されたとき、「私は聖なるおとめマリアへの信心が盛んになっていくことを願ってやみません」と序文に記しています。
教会カレンダーには、マリアを祝い、記念し、祈る日が数々ありますが、それらはすべて、キリストの救いの業をたたえるために、最適の日が選ばれています。キリストの神秘を祝い、祈る典礼暦年の循環に併せて、キリストの母マリアを記念できるようになっています。
イエスは「どうしてわたしを捜したのですか……」と答えます。
大天使ガブリエルからイエスがだれであるかを告げられていたマリアですが、イエスのこの言葉が理解できなかったと福音書は記しています。そして、「母はこれらのことをすべて心に納めていた」と。
時が来るまで、マリアはこの出来事を心に抱き続けるのです。こうすることがイエスを知ることにつながるからです。
 このマリアの心は、いつの時代も私たちキリスト者の模範です。こうしてさまざまなイエスとの出来事、体験をとおして、マリアはイエスの理解を深めていくのです。母の心は十字架のもとにまで立たせるのです。イエスと生涯を共にされたマリアの心はどのようであったでしょうか。
今日は、マリアの思いと心を観想しながら、過ごす一日でありたいものです。



 
6月11日  聖バルナバ使徒
「平和を祈りなさい」
マタイ10・7-13

バルナバ(慰めの子)はキプロス島で生まれたが、エルサレム教会の初期のキリスト教徒であった。また、バルナバはパウロをエルサレムの教会に紹介し、パウロと異邦人宣教の第一歩を踏み出した使徒ですが、マルコのことをめぐって、パウロと仲たがいをしています。平和をもたらすべき使徒たちが意見の違いで喧嘩したことを、初代教会の宣教の歴史は隠さずに述べています。
「平和を祈りなさい」と平和が強調されているのは、ローマ軍によるエルサレム全滅を体験したユダヤ人キリスト者にとって容易なことではなかったからでしょう。人間的な感情、反感を超えて、キリストの平和をもたらすところに、キリストの非暴力、敵への愛の教えが響いています。
使徒伝(4・36)によると、キプロス島に生まれた彼は、レビ族の人で、使徒から「慰めの子」という意味の、バルナバという名で呼ばれた。彼も自分の土地を売って、代金を使徒たちのもとにもってきたと記録されています。
ステファノ事件のあとの迫害で、エルサレムを追放された(ギリシャ語を話す)ヘレニストたちは、それぞれの都市に散らされます。
シリヤのアンティオキアでも、ギリシャ語を話す異邦人たちに福音が告げ知らされて、異邦人が混在した教会が出来たので、指導のためにエルサレムからバルナバが派遣されます。

また、49年頃に開かれたエルサレムの使徒会議(使徒言行録15章参照)にも参加した。
キプロスに帰って福音宣教に従事し、同地で亡くなったと伝えられている。
教会に大きな問題が生じてきました。異邦人がキリスト教徒になるために先にユダヤ教徒になる必要があるかという議論がありました。特に割礼を受けなければならないかどうかという問題がありました。この問題に応じるために教会史では最初の公会議が行われました。エルサレムでは49年に12人の使徒たちと聖パウロと聖バルナバが集まって結論を出しました。聖パウロと聖バルナバの立場が勝ち、異邦人が割礼を受けなくてもいいということになりました。もちろん、聖パウロの勝利は聖バルナバの調停をする能力のおかげでした。
 
6月24日 洗礼者聖ヨハネの誕生
「その子の名はヨハネ」
ルカ1・57-66、80

 預言者は神の霊にみたされて、神の計画、御旨を告げます。旧約時代の最大の預言はメシアの到来についてのものでした。洗礼者ヨハネはメシアであるイエスを指し示したために、最大の預言者、旧約最後の預言者と言われます。メシアの到来によって、その預言者としての役割は終わります。メシアの到来によって、すべてのキリスト者が聖霊を受け、預言の賜物(カリスマ)によって、神のことば、神の計画を理解することができます。
 洗礼老ヨハネの偉大さは、後に来られるかたを指し示し、光そのものであるイエスを証しし、「かれは栄え、わたしは衰えなければならない」(ョハネ3・30)ということを自覚していた点です。この意味でヨハネはすべての宣教師の模範となります。宣教を志す者は、自分の栄えを求めていたら挫折するでしょう。自分が衰えてでも、キリストの栄光を示していれば、その使命を全うすることになります。
 預言の賜物は教会の宣教において、司祭、信徒を問わず与えられており、未知なること、すなわち人間の常識を超える神の愛について、ことばによって、無言のうちになされる愛のわざによって告げられていきます。宣教は預言の賜物の目に見えるしるしなのです。(荒)
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慣習に従って誰もがこの子にザカリアと名付けようとした時、「いいえ、名はヨハネとしなければなりません」と言ったエリサベトを見つめるなら、そこには神への信頼が貫かれていることが感じられます。イエスに従うことは世俗の大きな流れに逆らって天の父の声を最優先にして
生きることでしょう。今までの慣習に流されることなく、ひたすら神の呼びかけに耳を澄ませ、従っていく勇気を主よ、お与えください。(sese)
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◇とても有名な仏教のお坊さんがこんな話をしたそうです。「自分にどうしても受け入れられないことがある。それは自分の弟子さんが、自分より有名になって、尊敬されていくことだ」と。実際人間は自分の後継者には自分より劣る人を選びがちだそうです。そうすれば前の人はよかったといつまでも言われる。こうしてだんだん後継者は小粒になっていく。これが企業にしろ国家にしろだんだん時を経るにつれ、衰えている原因と言われています。
 律法学者やファリサイ派たちも、自分たちのプライドにこだわり、イエス様の名声が上がり、皆がイエスにつき従っていったら、自分たちの権威がなくなると思い、徹底的にイエス様を陥れ、攻撃することになったのでした。
 洗礼者ヨハネは違いました。「自分がイエス様に洗礼を授けたんだ」と自慢することもありませんでした。ヨハネの偉いところは、このような謙虚さにこそあるのです。
◇このヨハネ。最期にはヘロデに殺されることになります。ヘロデ自身「正しい聖なる人であることを知って、彼を恐れ、保護し、また、その教えを聞いて非常に当惑しながらも、なお喜んで耳を傾けていた」(マコ6:20)のでしたが、宴会の客に約束した手前、引くに引けなくなってしまいました。
 殉教と言うには、殺されたきっかけはつまらないことでした。イエス様のことを証したというよりは、じょうずに踊った娘サロメへのほうびに、首がほしいと言われて、殺された。ただそれだけのことです。有名で、正しく、誰からも尊敬されていた人が、ただの踊りのご褒美として殺された。残念な、しかし謙そんに生きた洗礼者ヨハネらしい死に方だとも言えます。
 正しい人が、だからこそ、無意味なことで、生け贄のように死んでいく。その理由は神様しか分かりません。しかし確かにあることです。死によって、私たちは命のありがたさを知ることができます。その死は、本当に悲しく、尊ばれるからこそ、神様によってとてもあたたかく迎え入れられるものなのです。 池田小学校(2001年)でたくさんの小学生、幼い命が奪われました。死にたいものが、生きたいものを殺したからこそ、命のありがたさは際立ちます。正しいもの、罪のないものが理由なく死んでいくからこそ、不正なものはむなしくなり、愛すること、命の大切さが輝きます。
◇そしてイエス様も、洗礼者ヨハネ以上に、謙そんに生き、死にました。神の子なのに、人間から生まれ、人間にすぎないヨハネから洗礼を受け、人間の裁きに従って死にました。だからこそ神様から喜ばれて、死を打ち破り、天国への扉を開くことができました。
 洗礼者ヨハネ、そしてイエス様。共に謙そんに生き、死んでいった先触れです。多くの聖人も歩んだ道です。私たちは、それら聖人が一番証したかったこと。「永遠の命があること。それに比べれば、この世の名誉も、反対にこの世の苦しみも一時的なものでしかないこと。その神様により約束された復活の希望」を強く宣べ伝えなければなりません。


6月29日 使徒聖ペトロ 使徒聖パウロ 祭日


教会の歴史、救いの歴史の中で特別な位置を占めているこの両使徒が教会で共に祝われていたという記録は、3世紀半ばにさかのぼります。
早い時代からペトロ、パウロは一緒に描かれてきました。古い教会堂では必ずと言っていいほど両使徒が同じ絵に、あるいは同じ場に共に掲げられています。ペトロは十字架、杖、鍵、パウロは剣、書物と巻物など彼らがもっているものは、二人の生涯を象徴しているシンボルです。
教会の信仰の礎となったペトロ、世界に福音を宣べ伝えたパウロを、世紀の流れをとおして教会は両使徒を身近な人として祝ってきました。この二人はお互いにまったく違っていますが、なんとよく補い合っているのでしょうか。教会の歴史においてこの点でも学ぶことが多いと思います。実に教会は両使徒の土台の上に築かれ、使徒伝承の教会であることを願います。
彼らの生き方、生涯をとおしてキリスト、真理にいのちをささげた二人に祈りながら、今の教会を託して祈ってはいかがですか。両使徒は、私たち一人ひとりに何を呼びかけているでしょうか。
第2朗読は、使命を生き抜いた使徒の心が伝わってきます。パウロの手紙を読み直しながら、彼を動かした霊に動かされるようでありたいと思います。
私たちは人生の最後にどういう言葉がほとばしり出るのでしょうか。今日は一日使徒と共に祈りたいと思います。
「人々は、人の子のことを何者だと言っているか」、多くの日本人は外国の神様、西洋の……というかもしれません。そして、「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか」という問いに今日のあなたはなんと答えますか。ペトロと共に答える者でありたいとは思われませんか。(Laudate)
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イエスのことを「あなたはメシア、生ける神の子です」と信仰を表したペトロ。それを表したのは人間ではなく「わたしの天の父なのだ」とイエスは言われます。真実を見抜く恵み、信仰を率直に力強く表す恵みは天の御父からのもの。現代を生きる私達にも御父は聖霊を常に注ぎこの恵みを与えてくださっています。しかし信仰を表しその道を歩もうとする時、他からの迫害、孤立、又自分の内にある罪との対立に苦しむことがあります。
主よ私を強めてください。ペトロのように力強く信仰の道を歩み、 私の内にあなたの教会を築くことができますように。



2006年6月30日 パウロ家族の保護者使徒聖パウロの祭日(パウロ家族固有)
(女子パウロ会園田修道院チャペル)

マタイ10:

【使徒聖パウロ】
 聖パウロは、福者アルベリオーネ神父にとって「イエス・キリストの全体を捉え、イエス・キリストの全体を生きた」偉大なる模範でした。またアルベリオーネは聖パウロのうちに、あらゆるものを駆使してキリストを与え続ける、使徒の姿を見いだしました。彼は、パウロのように深くキリストを生き、キリストを与える、しかも時代に即した手段をもってその使命を遂行することこそ、パウロ家族の模範だと確信したのでした。アルベリオーネは、時代がつぎつぎと生み出す「最も迅速で時代に即した手段」が、世界に福音を告げるための有効な手段となることを確信しました。彼は印刷機、マイク、スクリーン、テレビを、パウロ家族の「説教壇」と呼び、印刷工場、制作室を「聖堂」と表現し、現代的諸手段を使徒的使命の遂行のために積極的に活用したのでした。アルベリオーネは、「現代の人々により効果的な手段を用いて、イエスの全体を与える」精神性を、聖パウロから学んだのでした。そのためには、アルベリオーネは、すべてにおいてイエス・キリストを生き、世界に与え続けた聖パウロこそ、パウロ家族の模範であると確信したのです。

「聖パウロの精神を味わおうとする人は、聖パウロのイエス・キリストの御心との親密な一致を、熱烈な愛を目指さなければなりません。こうしてのみ、使徒の教えの崇高さを汲み取り、深さを図ることができるようになります。」 (アルベリオーネ)

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