4 per annum dispari

年間第4月
マルコ5・1-20


この物語の聖書的な意味は、昔ヨシュアがヨルダン川を渡ってカナンの土地で主の聖戦を行なったように、イエスはガリラヤ湖を渡って異教の地に入り、ローマの一軍団ほどの悪霊を滅ぼすことによって、異邦人の救い主でもあられることを証しし、異邦人の地に神の国の福音を伝えたところにあります。http://www.asahi-net.or.jp/~de7m-tkhs/01_kawasakaki_church/01_01_mark/01_0104_mark_.html

悪霊から解放されて正気に戻った人は、イエスに従って一緒に行きたいと願ったが、イエスはこれを許されず、家に帰るように命じられた(一八~二〇節)。今まで社会から隔離され、まったく交わりのなかったこの人が、家や村の一員として受け入れられ、社会との交わりを回復されたことになる。これはたしかに神の救いの大切な結果である。しかし、このように疎外された人が社会に復帰することを、救いの業の目的と理解することは福音の質を見誤ることになる。よく伝道説教において、堕落して社会から疎外された人生を送っていた人が信仰によって更正し、社会で認められる立派な人物になったことが救いであるかのように語られるが、もしそうであれば、はじめから疎外されていない社会的に立派な人は神の救いは必要でなくなる。逆に福音を信じたために家や社会から追い出され孤立する場合もある。福音は社会に復帰させる力もあるが、社会から孤立させる結果を生む場合もある。福音が信じる者に与えようとするものは、罪の支配力から解放し、復活に至る神の生命に生きるようにすることである。このような質の生命に生きることが、社会に復帰させる力ともなり、社会から迫害される原因にもなるのである。
悪霊と戦うというようなことは、科学的に無知な時代のことであると考えるのは誤りである。現代でも神に敵対する霊が人を捉え狂わせることが多い。今世紀においても、ナチスや神格化された天皇制の下の日本の歴史を見ると、民族全体が悪霊に取りつかれ狂わされていたとしか言えないような悲劇があった。このような力と戦い正気に立ち帰るにはキリストの霊の力による他はない。「わたしたちの戦いは、血肉を相手にするものではなく、……
「天にいる悪の諸霊を相手にするものなのです」(エペソ六・一二新共同訳)。

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年間第4火
マルコ5・21-43


「娘が死にそうだ、近頃評判の霊能者、ナザレのイエスにお願いしよう」。ユダヤ教会堂(シナゴーグ)の管理責任者ヤイロは、恥も外聞(がいぶん)もかなぐり捨てて、巡回聖(ひじり)イエスの前にひれ伏し、懇願しました。12歳の少女は、成長盛りの若木です。それが突然に枯れ死(じに)してしまうという不条理な現実が人生に起こります。死の壁を打ち破ることは誰にも出来ない。娘が生きているうちに何とかしてイエスをお連れしようと焦るヤイロの心を知らないかのようにイエスは群衆に押されながら歩を進めました。そして途中で難病に悩む女を癒したり、言葉を交わしたりして手間どってしまいました。そのうちにヤイロの家から使いの者が来て、「娘さんは亡くなりました。もう先生に来てもらう必要はなくなりました」と告げました。イエスはその言葉を聞き流し、信頼を持続するようにヤイロを励ましました。ヤイロの家に着いて見ると、葬儀の準備中で、笛吹きが葬送曲を奏(かな)で、泣き女が嘆きの声を張り上げていました。「君たちは何を泣き騒いでいるのか? 子供は死んだのではない。眠っているのだ」とイエスは言いました。彼は死の事実を直っ向から否定しました。「死は眠りである。眠っているなら、起こせばよいではないか」。すべての人間が冷酷な死の壁の前で無力を嘆き悲しんでいる時に、イエスは神の眼をもって、死の向こうに復活を見ています。イエスにとっても死は現実でしたが、復活はそれ以上に確かな現実でした。イエスは子供の両親と3人の弟子達をつれて子供の部屋に入り、少女の手を取って、「タリタ・クーム」と言うと、彼女は目を覚まし、起き上がって歩き始めました。人々はびっくり仰天しました。
 マルコの記事をマタイは改作しました。「私の娘がただ今死にました。しかしおいでになって、御手をその子の上に置いてやって下さい。そうすればあの子は生き返ります」(9・18)。マタイの描くヤイロは最初から「イエスは死人を甦らせる権威あるお方である」と信じていました。マタイは、病気の癒しのみを求めて、イエスの能力(ちから)に限界をおいているマルコの描くヤイロに不満でした。弱さと限界を持たない力強い神の子キリスト。これがマタイの神学でした。そのため「タリタ・クーム」という、恐らくイエスが語ったそのままの言葉をマタイは省きました。魔術的と思われる言葉の力を借りる必要は全くなく、ただ手を取りさえすれば子供は復活するのです。また「誰にも知らせるな」という禁止命令も省きました。マルコのイエスは「お忍びのメシア」でしたから秘密が必要だったのですが、マタイのイエスは正々堂々たる神の子キリストでしたから秘密は不要でした。しかしマルコとマタイが共通して語っていることは、肉の体が甦って以前と同じ地上の生に戻ることが大切なのではなく、イエスとの生きた交わりを通して、全く新しい生命に活かされ、神の平安の中に入れられることにありました。
 新約聖書にある復活観は多重的です。「正しい者も正しくない者もやがて復活するという希望」(行伝24・5)。終末の日に神はすべての人間を甦らせるというのは、パリサイ人と民衆とが共通してもっていた希望でした。その希望に証明を与えたのが、「イエス自身に起こった死人の復活」(行伝4・2)だったというのが使徒達の論法でした。しかしこれは復活の教義を受け入れるというだけで、本当の生きた信仰ではありません。「"わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神"。神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神である」(マルコ12・27)。今も生き、信じる者に生命を与え給う神の信仰のみが、復活の確信へと人々を導くのです。兄弟ラザロの死に会って、「終わりの日の復活を信じます」と言って悲しむマルタに対してイエスは、「わたしが復活であり、生命であるのだ。わたしを信じる者は死ぬとも生きる(復活)。生きてわたしを信じる者は決して死なない(生命)。あなたはこれを信じるか?」(ヨハネ11・25)と言われました。遠い未来に復活を求めるのではなく、今、目の前に出会っているイエスの中に私たちの復活も永遠の生命も実存しているのです。使徒パウロはその真理を得ていましたから、彼はキリストを信じる者の復活のみを語っているのです(コリント第一書15・21~23)。
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同じ死という現実を見ている。生まれながらの生命に生きている者の目には、死はその生命の絶対的な否定であって、執着して泣き叫ぶか、諦めて静かに受け入れる以外にどうしようもない。けれども、イエスの中に到来している終末的な生命から見れば、死は再び目覚めるまでのしばらくの間の眠りである(ヨハネ福音書一一・一一も参照)。神からの新しい生命は死によって無に帰するのではなく、しばらくの眠りの後、再び復活の形をとって目覚めるのである。イエスの復活後、主イエス・キリストを信じた者たちはこのことを理解し、亡くなった人たちのことを「眠った者たち」とか「眠っている人々」と呼んだ(コリントI一五章、テサロニケI四章)。この表現は、伝えらたこの時のイエスの言葉から来ていると推測してよいであろう。この時イエスが使われたアラム語「タリタ、クーム」がそのまま伝えられているのは、この時目撃した出来事がペテロたちにとって生涯忘れることができない強烈な印象を与えたからであろう。彼らはこの時のイエスの言葉を、その耳で聞いたまま、その心に鳴り響いている形のまま、伝えないではおれなかったのである。
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 この状況を見ていたヤイロは、どのような心境だったでしょうか。彼は、彼女が話す一部始終を聞いていました。群衆でイエスがさえぎられていたのに、さらに拍車をかけるようにさえぎられています。イエスに自分の娘のいやしを願ったのに、他の女をいやされています。こんなことがあって良いものだろうか、と思ったに違いありません。私たちにも、このことはよく起こりますね。祈ったのに聞かれない。他の人は早々と聞かれているのに、自分だけは聞かれない。そうしたとき、私たちの信仰はためされます。
イエスが、まだ話しておられるときに、会堂管里者の者の家から人がやって来て言った。「あなたのお嬢さんはなくなりました。なぜ、このうえ先生を煩わすことがありましょう。」 
一番聞きたくない知らせを受けました。何と、他の女をおいやしになって、その者と話をされているうちに、自分の娘が死んでしまいました。人間的に考えたら、最悪の状況です。そこですかさず、イエスは言葉をかけられています。
イエスは、その話のことばをそばで聞いて、会堂管理者に言われた。「恐れないで、ただ信じていなさい。」 
   このみことばがなければ、ヤイロはその場で倒れていたかもしれません。しかしイエスは、あなたは娘に御手が置かれたら治ると信じていたのですが、それを信じ続けなさい、と言われています。
少女は生き返りました。もし、あの長血をわずらう女がイエスにふれなかったら、おそらく驚くようなみわざを見ることはなかったでしょう。病はいやされたけれども、究極の病である死がいやされることを見ることはありませんでした。ですから、時が遅れたことはよかったのです。時が遅れたのは、さらにすばらしい神のみわざを見るためだったのです。ここに、私たちが、神のみわざを待つことの重要性を見ることができます。主が預言者ハバククに言われました。「もしおそくなっても、それを待て。それは必ず来る。遅れることはない。見よ。心のまっすぐでない者は心高ぶる。しかし、正しい人はその信仰によって生きる。(ハバクク2:3-4)」 そして、被女が12才であったことに注目してください。同じ数字が先ほど出てきました。先ほどの女は、12年前に長血をわずらい始めたのです。ちょうどその時には、ヤイロの家に新しい命が誕生していました。その幸福の生活が始まったときに、女は不幸の道を歩み始めたのです。けれども、それらはみな、神の摂理の中にありました。ヤイロの家に信仰が与えられるために、また、この女に信仰が与えられるために、ほぼ同時に、ご自分の計画を実行し始められたのです。神のなさることは、時にかなって美しく、ご自分の計画にしたがって、すべてのことを益として働かせてくださるのです。


年間第4水
マルコ6・1-6


私たちは誰でも、他人(ひと)から誤解されると苦しみ、悩み、傷つきます。そして何とかして正しく理解されたいと努めます。しかし福音書を見ると、イエスほど人々によって誤解された人はいないのではないか、と思うほどです。イエスの生涯は悲劇的です。ローマの支配者からも、エルサレムの権力者からも、ガリラヤの民衆からも、故郷のナザレの人々からも、愛する家族からも、そして親しい弟子たちからも、誤解されていて、その誤解が解かれないまま、イエスは十字架上で死ぬのです。そして現在も、イエスは世間の人々からばかりでなく、キリスト信者や聖職者からも、誤解されているのです。(ですから教会のシンボルである十字架は、イエスに対する人間の誤解、盲目を表わしていると言えます。)
誤解の原因はどこにあったといういと、それは先入観でした。虚心になってイエスの語る言葉に耳を傾けるのではなく、自分達がイエスのすべてを知っていると過信している点にありました。故郷の人々の驚きから考えると、イエスは決して神童(しんどう)、天才児の誉が高かったわけではなく、平凡で静かな人間として彼らの間で30歳位まで生きていました。イエスが急に変わったのはやはり、洗礼からでしょう。その時に神の呼び声を聞き、召命を受け、聖霊の力に満たされて福音を語りはじめ、奇跡の業を行なうようになりました。故郷の人々は当然その変化の原因を知りませんでした。そこに問題があります。
私たちは世間の常識(コモンセンス)に従って物事を判断するのですが、それを絶対化しないで、10パーセント位は、神様が介入されて御業を行なって下さると考える余地を残しておかないと同じ過ちになります。それは信仰の知恵です。これは親子の関係、夫婦の関係、友人の関係、共同体にとって大切なことです。ナザレの人々の場合、イエスに変化が起きたのは、もしかすると神の御業ではないか、と考える余地があったら、イエスを預言者として受け入れることができたでしょう。彼らがつまずいたのは、イエスの語る言葉よりも、イエスとの肉の関係にこだわったからでした。 
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主よ、今、私が出会っている人に素直な心で向き合うことができますように。過去の出来事や人々の思いに振り回されず、憶測、推測で判断することなく、今をありのままに見る知恵と勇気を与えてください。あなたに耳を傾け、良い気づきをいただきながら成長することができますように。sese07


年間第4木
マルコ6・7-13


イエスは弟子たちの持ち物を厳しく制限しました。食べ物、着物、袋、お金、一切の余分な所有を禁じました。ただ野獣から身を守るための杖と、蛇やさそりから足を守るためのサンダルの着用を許しました。イエスは彼に従う者たちに、天の父なる神の御配慮を信頼して、「空の鳥」や「野の花」のように生きることを求めました(マタイ6・25以下)。「空の鳥を見よ、蒔かず刈らず倉に収めず、しかるに汝らの父は、これを養いたもう」。もちろんイエスの時代と現代とは実情が違いますから、文字通りこれを実行することはできません。当時ユダヤ教徒の町ではどこでも、旅人のために食べ物や衣服の世話をする人がいました。同様にキリスト教の巡回伝道者は、どこの教会に行っても、衣・食・住の提供を受けられたはずです。社会的、文化的、宗教的相違を無視して、これをそのまま実行することはできません。しかし基本は変わりません。無所有が信仰者のあるべき姿です。「何を食べ、何を飲み、何を着ようかと明日のことを思い煩う」ことは、神を知らない人の取り越し苦労です。天の父はそれら一切のものを私たちが必要としていることを御存知なのだから、それを天の父の御配慮にゆだねて、まず何よりも神の支配と神との正しい関係を求めて、日々を平安(シャローム)のうちに過ごしなさい、とイエスは告げられます。イエスの弟子たちは、イエス御自身のように自由に生きることを求められているのです。
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下着は二枚着てはならないとある。「二枚持っていってはならない」ではない。わたしたちは下着を二枚重ねてきることがあるだろうか。おそらくこれは野宿に対する備えであろうと思われる。野宿での寒さをしのぐために、下着を二枚重ねて着る。それほど厳しい状況の中に送り出される弟子たちだったのだが、下着を二枚着るなと言われている。それはすなわち、下着を重ねて暖かくして野宿しようと考えるよりは、だれかの家に泊めてもらうことを考えなさいということであったと思う。

イエスは宣教に出かける弟子たちに汚れた霊に対する権能を授け、何も持たないように命じて派遣します。弟子たちに優先させたことはイエスの教えを伝えに行くことだけでした。日常生活のさまざまな選択肢の中で、私たちも問われています。今、最優先されなければならないことは何か。本当に必要なことは、心が囚われるようなものを「持たない」ことでしょう。
どんな時も支えてくださる神よ、このときの弟子たちのようにあなたを全く信頼できますように。日々の生活の中で見過ごしている人々の支え、配慮に感謝することができますように。sese07


年間第4金
マルコ6・14-29


サロメが出て来てダンスをして宴席を大いに盛り上げた。宴会の客の前で踊ったのは、ヘロディアの連れ子サロメであった。宴席の一場の余興(よきょう)の褒美(ほうび)に、神の人の血塗られた首が提供されたのである。想像するだけでも吐き気をもよおす光景である。これは、権力の維持のためには人間の生命や尊厳を塵のように軽んじる権力者の冷酷、自分の虚栄を傷つける者に対する女の憎悪や情念、道理を焼き尽くす恋愛(情)の炎、そして何よりも自分の思いを貫くために神を憎み退ける人間の高慢、こうした人間性に巣くうあらゆる罪が凝集して現われた光景である。ヨハネの死はイエスの死を予表する出来事として、イエスの生涯の時期を画する出来事として、ここに置かれているのである。
まことに、イエスがヨハネについて言われたように、「エリヤは来たが、彼について聖書に書いてあるように、人々は彼を好きなようにあしらったのである」(マルコ九・一三)。この世は神を恐れることなく、自分の本性にしたがって、自分の思いのままに、神から遣わされた先駆者を扱ったのである。そうであれば、この世は彼の後に現われる「人の子」にも同じようにするであろう。ヨハネの処刑をイエスご自身はどのように受けとめられたのかについては、福音書は沈黙している。けれども、ヨハネをご自分の先駆者として認めておられたイエスが、彼の処刑をご自分の受けるべき杯としておられたことは、その後の言動から十分推察することができる。いずれにせよ、ヨハネの死はイエスの死を予表する出来事として、イエスの生涯の時期を画する出来事として、ここに置かれているのである。http://ha3.seikyou.ne.jp/home/tenryo/mark_033.htm#top

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今日の福音は、イエスについて様々な憶測が飛び交う中、ヘロデ王がイエスをヨハネの生き返りと思ったことから始まります。どうしてでしょうか。はっきりした理由は語られません。ヘロデ王は、自分が正義を行わず、洗礼者ヨハネを殺したことの不安に悩まされていたのです。ヘロデ王は、自分の兄弟、ヘロデ・フィリポから、その妻ヘロディアを横領し、ヨハネがそのことを激しく非難したので、ヨハネを捕らえました。しかし、ヨハネからの叱責で、自分の過ちを悟ったようです。ヘロデは自分の体面を取り繕うためにヨハネを犠牲にしましたが、それでは解決になりませんでした。聖書は、このような王の姿を通して、弟子たちが悔い改めを宣べ伝える世の中とそこに生きる人の姿も描いているのです。イエスの福音を受け入れない大きな原因は、見栄や自分を守るエゴに根があるとこの福音は伝えています。


年間第4土
マルコ6・30-34


「飼う者のない羊」という象徴は、牧畜の生活を身近に見ていた当時の人々には分かりやすいもでのであったろう。しかしそれだけでなく、この表現はただちに預言者エゼキエルの預言を思い起こさせる。エゼキエルはバビロン捕囚の苦難の時、主の民イスラエルが約束の地から追われて諸国に散らされたのは、群の牧者たる者が自分の利益のために民を食い物にし、牧者の使命を果たさなかったからだと、指導階級の人たちを痛烈に批判した。そして、終りの日には主ご自身が自分の群を捜し出し、世話をされること、具体的には「僕ダビデ」を民の牧者としてお立てになることを予言した(エゼキエル書三四章)。
 イエスは現在の主の民イスラエルの状況がエゼキエルの時代と同じであることを見て、やがてあのバビロン捕囚以上の苦難に直面しなければならない民に対して深い憐れみを持たれるのである。イエスの憐れみは、たんに彼らが病気や苦労の多い日々の生活に疲れ果てていることに対するだけのものではなく、真の牧者がいないために神の民としての真理の道に歩むことができず、祝福を失い、神の裁きの下に散らされていく者たちへの憐れみであろう。
 現在、神の民の牧者をもって任じている議員や学者たちは、民に背負いきれない重荷を負わせるだけで、民の前に「神の国」の門を閉ざしている。その上、終りの日に神がその民に遣わされたまことの牧者を殺そうとしている。やがてこの民が神の裁きのもとに打ちすえられ、追われ散らされていくことは避けられないであろう。このような状況の中で、イエスの主の民に対する憐れみは、そのお心の内に熱く燃えるのである。
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