現代日本における霊性 スピリチュアリティ

現代日本における霊性 スピリチュアリティ

脱宗教化の時代と言われるが、しかし人々は霊性を持ちたい。スピリチュアルでありたい、スピリチュアリティを持ちたい。個人化し現世的な仕方で霊的なものを求めている。
20世紀後半から、社会変動が加速し、高度情報社会となってからは、世界観が急速に変化し、もはや親子の間でさえ共有することが難しい時代となった。安定した価値観、大きな枠組みを実感することのない世界になってきた。価値観と幸福感が個人化するということは、個人の自由な領域を拡大すると同時に、人は孤独化、孤立していくことでもある。自分で判断し、自分で体験しなければならなず、それが正しいかどうかの判断も自分でするしかないとしたら、人々は不安を抱くことになる。そんな多くの人々が、その都度安心を与え、不安を和らげてくれる何かを求め、個人的霊性として「癒し」を求めるのは当然であろう。
しかし、その癒しは、大きな枠組みの中に受け入れること、つまり回心によるのではなく、あくまで、現状を維持し向上させることができるようになるための癒しだ。不安と危機の中で弱まっている自分を癒し、自分への信頼と自身を取り戻させてくれる霊性をもとめている。社会的にうまくやっていけるようになること、自分に自信を取り戻すこと、学校、仕事、家庭などの共同体でのかんけいをうまく維持し成功へとむすびつけること。それらが霊性の目的だ。こうした霊性の特徴は、霊性が個人の内部で完結するものとみなされていることだと思われる。ただ、そのような霊性は、人の生涯ぜんたいを導くものではないため、人々に究極の目的地を指し示して巡礼へと旅立たせることはない。
現代日本社会において一般に霊性とみなされているのは、こうした個人の内的再生であり、一時的回復であり、元気を取り戻すための癒しだ。これは人間性の変革ではなく現状回復であり、新たに生まれ変わるといった意味での霊性とはだいぶ異なっている。人々を寄留の民へと変化させるのではなく、この世の定住者として生きるためのサポートを提供することが、今日一般社会で人々が霊性に求めていることだ。

(越川弘英編、『宣教ってなんだ』、キリスト教新聞社、2012年、42-43)


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