目次

ロマーノ ・グアルディーニ、『最期のこと。臨終、死後のきよめ、復活、審判、永遠のいのちについて』(A・ボナツィ訳注解)


Romano Guardini, Die Letzten Dinge: Die christliche Lehre vom Tode, der Läuterung nach dem Tode, Auferstehung, Gericht und Ewigkeit. Matthias-Grünewald, Mainz, 1940.

The Last Things: Concerning Death, Purification After Death, Resurrection, Judgment, and Eternity, University of Notre Dame Press, 1954.



目次


臨終

---------

キリスト教的観点から

自然的現象としての死

死ととが

死とあがない

クリスチャンにとっての死の意味


死後のきよめ

---------

教会の教え

志し

することとであること

苦しみときよめ


復活

---------

聖書における復活

福音と人間

霊的からだ

教義神学における身体


審判

-------

歴史とは何か

この世は裁かれる

聖書における最後の審判


永遠のいのち

-------

時間と永遠

聖書における永遠

時間から永遠へ

ヨブ記3

こどもは好奇心の塊で、赤ちゃんのころから、何でも触ったり、口に入れて確かめたりします。おもちゃでも、それで遊ぶだけでなく、すぐに口に入れてしまいますから、注意が必要ですね。ところで、こどもは小さい時は、「あれは何?、これは何?」という質問をします。何でも知りたいという欲求があるのですね。そういう欲求によって知識を増やしていくのですが、やがて、「何?」という質問が、「どうして?」「なぜ?」に変っていきます。人は成長するにつれて、ものごとの本質について深く考えるようになるのです。そして、「なぜ?」という疑問をつきつめていくことによって、知識だけでなく、知恵を得るようになるのです。
 おとなになると、「どうして?」「なぜ?」という疑問は、人生に起こるさまざまなことに向けられていきます。ものごとが順調な時は、「なぜ?」という疑問を持つことは少ないかもしれませんが、苦しみに遭うと、かならずと言ってよいほど、私たちの心に、「どうして?」「なぜ?」という疑問が起こってきます。英語では、大変な目に遭った時、はじめに口にすることばが "Why me?" ですが、苦しみの時に「なぜ」という思いを持つのは、どこの国の人にも共通しています。ヨブも、家族と財産を一瞬にして失い、彼自身も、全身に腫(は)れ物ができて醜い姿になるという大きな災いに遭った時、やはり「なぜ」と叫んでいます。ヨブ記第三章だけでも、「8回も「なぜ」と言っています。
 どんなことにおいても「なぜ」と問わなければ、ものごとの本質が見えてきません。「なぜ」という疑問なしに、答えは得られません。それは、人生についても同じで、人は苦しみの時に「なぜ」という疑問を持ち、その疑問によって人生を深く考え、今まで見失っていた大切なものを見出すことができるようになります。順調な時には気付かなかった多くの貴重な真理を学ぶのです。ヨブ記のテーマは「人はなぜ苦しむのか」「苦しみにはどんな意義があるのか」ということですが、苦しみは、私たちに、自分の人生を再発見させるという意義があるのです。ヨブの質問に対する究極の答えは、キリストの十字直ですが、その意義を理解するために、ヨブのような行き詰まりを体験しなければならないかもしれない。

列王記上

列王記上17・7-16
今度はシドンに行きなさい、と命じられます。ひとりのやもめに養われること自体、馬鹿げています。なぜなら、やもめは福祉制度がある今日と異なり、こじきより多少ましかなっという程度の貧しい存在だからです。
 そして、もっとすごいのは、シドンという国です。まさに、イゼベルがでてきたところ、異邦人の地です。先ほどの烏といい、異邦人の地といい、主はエリヤを、イスラエルやユダヤ人の枠組みから離れたところに連れて行かれようとします。
 けれども、これは旧約聖書と新約聖書の中で、貫かれている原理です。イスラエルが悪くなったとき、そこではなく異邦人の世界の中で主が、ご自分の器を用いられます。兄たちに奴隷として売り払われたヨセフは、エジプト人のところに行きました。イスラエル人に嫌われたモーセは、ミデヤン人のところでお嫁さんをもらいました。ダビデもそうですね、サウルが神にさからって、ダビデを殺そうとしたために、彼はイスラエルとユダの地にいるのが困難になり、それでペリシテ人のところにとどまったりしています。
 そして、イエスさまご自身が、ユダヤ人の中で拒まれたために、その名は主に異邦人の中でほめたたえられるようになっていきます。主がナザレで受けいれられなかったとき、こう言われました。「わたしが言うのは真実のことです。エリヤの時代に、三年六か月の間天が閉じて、全国に大ききんが起こったとき、イスラエルにもやもめは多くいたが、エリヤはだれのところにも遣わされず、シドンのサレプタにいたやもめ女にだけ遣わされたのです。(ルカ4:25-26)」今、私たちが読んでいる出来事です。私たちの間でも、主が喜ばれないことが起こっていて、主にあって改善することがなければ、主はここにはおられなくなって、違うところでご自分の働きをされます。

列王記上18・20-39

くかたち
古代において行われた神判。『日本書紀』はこれを「盟神探湯」と記しているが,「くか」は,けが,けがれと同語であって,つみ (罪) というに等しく,「たち」は断 (裁) であって,決定の意であると考えられる。
罪の疑いを持たれた者に、神に潔白などを誓わせた後、釜で沸かした熱湯の中に手を入れさせ、小石や泥土(ひじ)を,当事者に素手で取り出させ、正しい者は火傷せず、罪のある者は大火傷を負うとされる。毒蛇を入れた壷に手を入れさせ、正しい者は無事である、という様式もある。あらかじめ結果を神に示した上で行為を行い、その結果によって判断するということで、うけいの一種である。
うけい(うけひ)は、古代日本で行われた占いである。宇気比、誓約、祈、誓(ちかい)などと書く。(アマテラスとスサノオの誓約)
実際に盟神探湯を実行した場合は、容疑者に恐怖感を与えて犯罪行為を自白させるための手段としての効果があったと考えられる。つまり盟神探湯の実効性を信じている者であれば、真犯人でなければ躊躇する事なく湯に手を入れようとし(その直前で制止すればよい。あるいは実際に手を入れて火傷をしてしまっても、犯人ではなかったとする)、真犯人であれば神への畏れもあり、湯に手を入れる前に自供するという事である  reign of Ahab (9th century BC),
-------
ここには、三つのグループがいます。主の預言者であるエリヤが一つ、バアルとアシェラの預言者が二つ目のグループ、そして一般のイスラエル人が三つ目のグループです。エリヤは一般のイスラエル人たちに、どちらかに従いなさい。なぜよろめいているのか、と聞いています。イスラエル人はヤハウェを完全に捨てたわけではなく、ヤハウェも礼拝しながら、なおかつバアルを拝んでいたからです。けれども、それは無理なことです。主は、「二人の主人に仕えることはできません」と言われました。またヤコブは手紙の中で、「二心の人たち。心を清めなさい。(4:8)」と言っています。
確かに、公に主を証ししているのはこのエリヤだけです。けれども、これが彼にとって後で致命傷になります。たった一人の女イゼベルの脅し文句で、彼の精神力は一気に崩れて、自殺願望まで出てくるほど落ち込みました。その時に言った彼の言葉が、「イスラエルの人々は、あなたの預言者たちを剣で殺し、ただ私だけが残りました。」です(1列王19:10参照)。けれども主はその答えとして、「わたしはイスラエルの中に七千人を残しておく。(19:18)」と言われています。オバデヤも、自分が百人の預言者をかくまっていることを話していました。
 確かに、たった一人でも主にあって、立ち向かうその勇気は必要です。けれども、「戦っているのは私だけだ。」という孤独感は実は禁物です。なぜなら、主は必ず残された人たちを、同じ思いを思っている人たちを置いておられて、ともに主にあって働くことを望まれているからです。自分だけが・・・と思ってはいけません。

列王記上18・41-46
 エリヤは、主のことばがあったのにも関わらず、祈りつづけました。いや、主のことばがあったからこそ、祈りました。私たちは、祈りについて二つの過ちを犯します。一つは、約束されているのだから、祈らなくても主が行なってくださるだろう、と考える過ちです。聖書のことは知っていますが、主が生きてその人には働いてくださいません。もう一つの過ちは、聖書に書かれている主のみこころをわきまえないで、ただやみくもに祈ることです。先ほど話した、空を拳で打つようなものです。
 けれどもエリヤは、主からことばをいただき、そして、一度ならず、七たびも祈りました。そして、もう一つ気づくことは、地中海のほうを見ていたであろう若者が、小さな雲だけしか見ていないのに、それをエリヤは大雨の前兆だと悟ったことです。私たちは、祈り待ち望んでいなければ、見えるものも見えなくなります。けれどもエリヤのように、祈り求めているときに、確かに約束がかなえられていることを、まだその徴候がわずかなときでも気づくことができるのです。

 エリヤは確かに、すごい人です。車に乗っているアハブと同じぐらい早く、足で走りました。こうしてアハブに対する、ヤハウェなる神の証しを立てましたが、次の章を見ると、彼はマザー・コンプレックスならず、ワイフ・コンプレックスにかかっているようで、ただ妻のイゼベルに、起こった事をすべて告げるだけでした。

列王記上19・9-16
ホレブは、モーセが燃える柴の中から語りかけられる神様と出会った所であり、エジプトを脱出したイスラエルの民が神様と契約を結び、十戒を授けられたシナイ山の別名です。
エリヤは自分が主に召されたところに留まらないで、自分の好きなところに来てしまったのです。けれども主は優しい方です。このような我がままになっているエリヤに、優しく、彼が悟ることのできる形で付き合ってくださっています。これは実に面白い移行です。主は、火や風、また地震などの大きな目に見える業によって、エリヤを通して働いてくださっていました。エリヤはこれらの目覚しい主の働きをずっと見ていました。
このような働きが目によって、自分の体に入ってきて、それが刺激となって自分の内に溜まっていました。主が大きく働いてくださると、そこで見える徴を見ると、それは魂を喜ばせると同時に、その刺激が強すぎて魂を疲れさせていきます。
 けれども、主はいつまでもエリヤにそのように関わるのではありません。ここに「静かにささやく声、かすかな細い声」とあります。主がエリヤに対して、これまでのようには劇的な奇蹟によって働きだけでなく、かすかな細い声に聞き従うことによってエリヤを用いられようとしておられるのです。
主は失意のエリヤに新しい使命を与えられた。失意の中にある人を励ますのは、彼に為すべき使命が、為すべき業が与えられる時だ。
私たちが、閉じこもっている自分の心の洞穴から出て、神様のみ顔の前に立つことができるのは、何か大きな出来事、あるいは恐ろしい出来事を体験することによってではありません。私たちの心の扉の外で、どんな大風が吹いても、大地震が起っても、燃え盛る火があっても、それで私たちが心を開いて神様の前に立つことはないのです。しかし神様は、そういう仕方によってではなくて、静かな、ささやくようなみ声によって、私たちに語りかけて下さいます。静かなささやくような声ですから、私たちはなかなかそれに気付かないし、聞き流してしまうことも多いのです。しかしある時ふと、その静かなささやくようなみ声に気付き、自分も心静めてそのみ声に聞き入るようになる、そこにおいて、私たちと神様との出会いが与えられていき、そのみ声に導かれて、自分の心の扉を開いて、神様のみ前に出ることができるようになるのです。それが、ここに語られていることの第二の意味であると思います。

史料としての『新約聖書』

史料としての『新約聖書』

 

歴史書

いつ書かれた

最古の写本

ギャップ

写本数

 

 

 

 

 

 

ヘロドトス

(歴史の父)

紀元前485年頃 紀元前420

紀元後900

1300

8

トゥキディデス『戦史』

紀元前460年頃~ 紀元前395

紀元後900

1300

8

タキトゥス『年代記』『同時代史』

紀元後100

1100

1000

20

『ガリア戦記』

紀元前5850

紀元後900

950

9-10

ティトゥス・リウィウス『ローマ建国史』

紀元前59年~紀元後17

紀元後900

900

20

新約聖書

40100

130年(完全な写本350年)

30310

希語5000冊以上+

羅語1万冊+

その他9300

古事記

紀元後712

伊勢本1371-2年

650

2冊

日本書紀

紀元後720

佐佐木本 9世紀写

100

4冊

般若心経

紀元後1世紀

8世紀後半(法隆寺所蔵)

700

(仏陀入滅紀元前383?

1

法華経

紀元前後

紀元後286年(漢訳)

200

数冊


 For if one subscribes to the notion that the Gospels are essentially unhistorical, he is confronted with numerous insurmountable obstacles, not the least of which is an explanation for how this sudden micro-burst of the most extraordinary literary output the world has ever known occurred from some anonymous source –or, even more problematic, sources– containing the most uplifting and influential spiritual content ever written, in a brevity both beautiful and baffling, and in four editions, one of which is markedly distinct in its own right. In other words it truly would be a greater "miracle" for man/men to have produced the evangelium in a flash of "inspiration", than it to be, quite literally, true!






Evernote helps you remember everything and get organized effortlessly. Download Evernote.

使徒言行録14・19-28

ところで、パウロは死んだようになってしまいました。しかし、弟子たちがパウロを取り囲んでいると、彼は立ち上がって町にはいって行った。その翌日、彼はバルナバとともにデルベに向かった。

 これはすごいことですね。けれども、クリスチャンは、この復活の力を日々、経験して生活するのです。パウロは言いました。「私たちは、四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。途方にくれていますが、行きづまることはありません。迫害されていますが、見捨てられることはありません。倒されますが、滅びません。いつでもイエスの死をこの身に帯びていますが、それは、イエスのいのちが私たちの身において明らかに示されるためです。(コリント第二4:8-10)」コリント人への第二の手紙は、この出来事の14年後に書かれたものと考えられています。12章で、パウロは、自分がパラダイスに行った経験を語っています。「私はキリストにあるひとりの人を知っています。この人は十四年前に・・肉体のままであったか、私は知りません。肉体を離れてであったか、それも知りません。神はご存じです。・・第三の天にまで引き上げられました。私はこの人が、・・それが肉体のままであったか、肉体を離れてであったかは知りません。神はご存じです。・・パラダイスに引き上げられて、人間には語ることを許されていない、口に出すことのできないことばを聞いたことを知っています。(コリント第二12:2-4)」したがって、パウロは石に打たれたとき、実は、第三の天に引き上げられたという可能性があります。このように、神は、石打ちで殺されるような目にあっても、パウロを守ってくださり、そればかりかすばらしい啓示を与えてくださったことが分かります。私たちも同じです。人生のなかで、キリストにあって苦しまなければいけないときがあっても、それにまさる神の慰めをいただくことができます。

使徒言行録13

使徒言行録13章1~12節「世界宣教へ」祈祷会
 今日から使徒言行録は、後半にはいります。12章から13章は山で例えれば分水嶺にあたります。1章から12章では、エルサレムが中心でしたが、これからはアンティオキアが中心となります。またペトロが中心的人物でしたが、これからはパウロが中心となって展開されます。そしてユダヤ人への宣教が中心であったことから、異邦人宣教が中心となっていきます。異邦人に宣教することは、今まではエルサレムにいたキリスト者がローマの迫害によって、エルサレムから離散して世界各地に行った先きで証しするというものでした。しかしこれからは、拠点となるアンティオキア教会を中心にして世界宣教がなされていきます。
 しかしこれは人間の考えから生まれたものではありません。なぜなら、2節に、アンティオキアの教会が主を礼拝し、断食していると、聖霊が告げたとあります。神が発せられた宣教命令なのです。「さあ、バルナバとサウロをわたしのために選び出しなさい。わたしが前もって二人に決めておいた仕事に当たらせるために。」今日から「神を体験する」というテキストを用いてのクラスがスタートしました。神を体験することを通して、神の御心を知って行う者に変えられることが中心的なことです。自分が神様のために何かをするというのではなく、神が既に私にもっておられるご計画を知って生きる者とされることを目指すものです。主権は神にあります。世界宣教も、神が発せられた宣教命令です。ご聖霊が告げる言葉に従うのです。
今日の御言葉には、三の主人公のことが出てきます。一つは派遣する側のアンティオキアの人々、二つ目に遣わされるバルナバとサウロ、そして三つ目に、聖霊。

使徒言行録11・9-26

ところで、アンティオキアというのは、当時の世界の三大都市の一つでした。もっとも大きかったのは、もちろんローマです。その次に、エジプトにあるアレキサンドリアが大きい町でした。そして三番目に大きかったのがアンテオケです。人口が80万にも達していたとされるアンティオキア。この町は、日本で言えば新宿の歌舞伎町のようなものと考えればよろしいでしょう。汚れと不品行にまみれた町でした。そこに主を信じるものがたくさん起こされたのです。コリント人への第一の手紙には、「また、この世の取るに足りない者や見下されている者を、神は選ばれました。すなわち、有るものをない者のようにするため、無に等しいものを選ばれたのです。(1:28)」とありますが、これは町のレベルでもそうだったのでしょう。ここでは、イエスさまを信じる人はまず起こされない、と私たちが思っているようなところで、主は、多くの人を救われます。
恵みとは、受けるに値しないものを受けることです。
  4つの段階た。語りかけること、宣べ伝えること、勧めること、そして教えることです。その結果どうなったかが、次に書かれています。
弟子たちは、アンテオケで初めて、キリスト者と呼ばれるようになった。
ですから、彼らは、神から遠く離れていた異邦人であったのが、悔い改めて、キリストのように変えられたのです。これが、教会の最終的な目的であり、クリスチャンがキリストのようになっていき、神の栄光が現われることが最終的な目的です。
 こうして、一部のユダヤ人やバルナバが、ギリシヤ人に愛をもって接し、奉仕をしたことによって、ユダヤ人と異邦人がキリストにあって一つになっていきました。