そして、ステファノは取り囲まれ、石を次々と投げつけられて殺されます。その時、ステファノは、「神よ、こ

 そして、ステファノは取り囲まれ、石を次々と投げつけられて殺されます。その時、ステファノは、「神よ、この人たちに罪を負わせないでください」と言いながら死んでゆきます。
 これは、ルカの福音書だけが収めているイエスの死における言葉が重ね合わされています。「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」(ルカ23:34)という言葉と同じ思いが、ここでのステファノの言葉に表されています。
 ということは、著者であるルカは、このステファノの姿の中にイエスが宿っているように読めるようここを書いている上に、イエスの心を受け継ぐというのは、「自分の敵を愛すること。自分を傷つけ迫害する者のために祈ること」にその神髄があるのだ、と述べていることになります。
 迫害にあって殺されていった初代の教会の人々は、このステファノのように、イエスにならって敵を赦し、敵への愛を祈りによって表しながら死んでいったんですね。その死に様の模範として、ステファノの死は描かれています。
 そして、サウロはこのステファノの死に様を見ていた。これがサウロにとっての、最初の本格的なイエスを信じる者との出会いになった、そして、それは同時にイエス自身との出会いになったということです。
 十字架のイエスは、石打ちにされたステファノに重なり合って、そこに存在していた、と。ステファノにおいて現れていたイエスを、サウロは、その時そうは気づかなかったかもしれませんが、確かに出会っていた。そしてそれが使徒パウロと呼ばれることになる、このサウロの出発点だったのだ、とルカは主張しているわけです。


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