使徒言行録 17章22−34 アテネのアレオパゴスでのパウロの説教

使徒言行録 17章22−34 アテネのアレオパゴスでのパウロの説教


パウロは、そうした人々に神の確かさとそれがイエス・キリストの十字架と復活によって見出されることを語る必要性と困難を感じたのです。「神を知らない人々」と直面したのです。

まず、方法論としても、ここには当時のアテネの人々が行い、また信じていたものを否定するようなものは何もありません。それどころか、彼らの現状を最初に認め、さらにその奥にある真実なものを指し示そうとするのです。こうしたことは、ギリシャ哲学風な論議の開始の仕方でもありましたが、それだけではなく、今日でも、キリスト教信仰の告白とその在り方の重要な要素だろうと思います。
アテネの人々は偶像崇拝者ではあったが、少なくとも彼らは求めていた、たとえ彼らの礼拝の対象が間違っていたとしても、礼拝したいという心は正しい。
パウロのアテネでの宣教活動は失敗したと言いますが、
「人は、哲学(学問)を少しかじると無神論に傾くが、哲学(学問)を極めると宗教に行きつく」という16−17世紀のイギリスの哲学者F.ベーコンの言葉がありますが、まさに、アテネの人々の状態がそういう状態だったと言えるかもしれません。『コリントの信徒への手紙1』1章18−25節では、そうしたことをパウロ自身、「異邦人には愚かに見えるが、神の愚かさは人よりも賢い」と語ります。
そこで、パウロはアテネを離れ、西のコリントへと向かいます。この時、パウロ自身によれば、アテネでの失敗が直接の原因かどうかはわかりませんが、かなり心身ともに疲れ、衰弱していたようです。『コリントの信徒への手紙1』2章3節によれば、「そちらに行ったとき、わたしは衰弱していて、恐れに取りつかれ、ひどく不安でした」とさえ語っています。そして、そこからの立ち直りを、「わたしは十字架につけられたキリスト以外には何も知るまいと心に決めた」と語っています。

パウロは徹底してキリストにだけ目を向け続けようとします。それは言葉を変えて言えば、「キリストの十字架と復活の福音によってもたらされる自分の救いの確かさ」に目を向け続けたということです。こういうパウロの信仰者としての姿は、わたしたちが心に留めておいてもいいことでしょう。

「すべての人に対して全てのものになりました。何とかして何人かでも救うためです」1コリ9。いわゆる、宣教師だましいを学ぶことができます。
ただ、福音宣教は、利き手の賛同を勝ち取ったということだけで、判断されるべきではない。神のことばが忠実に宣教されるところには、信じる者と同時に、またあざける者もいるのです。パウロの優れた説教の技術でさえ、福音のつまづきを避けることは出来なかった。
これは、私にとって慰めとなります。


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