ルカ 11

ルカ  11

 「祈るときには、こう言いなさい。『父よ。御名があがめられますように。』」

 祈るときは、まず祈る相手がだれであるかを知らなければなりません。祈る相手は、「父」であります。つまり、私たちが神を父とするような親密で、個人的な関係がなければ、祈りをすることはできないということです。私たちはとかく、祈ること自体に重きを置いてしまいます。「私はクリスチャンなのだから、とにかく祈らなければいけない。」というように、儀式的に義務的になってしまいます。けれども、もし私たちが、神が父であることを知ったらどうでしょうか。自ずと祈りへと導かれるのではないでしょうか。その方と意志伝達をしたいと思うはずです。ですから、祈るときには、その相手がだれであるかを意識しなければいけません。

 「御国が来ますように。」

 祈る相手がわかったら、今度は、その方の考えておられること、願っておられること、計画されていることが実現するように願います。自分の願いや考えよりも、信頼する父が願っておられること、考えておられることが実現することほうが、もっと有益だからです。私たちが、父ご自身のなさることを自分の喜びとするとき、父は私たちにご自分の願いを置いてくださいます。そして、それを私たちが願うと、その願いはかなえられるのです。

 私たちの日ごとの程を毎日お与えください。

 今度は、実際の生活の場面で、父に生きて働いていただくようにします。日ごとに、毎日お与えくださいと、毎日願うことが強調されていますね。いつも、絶えず、父に自分の身をゆだねていかなければいけません。「ここの部分は自分でいろいろやるから、後で神さま、あの部分をやってください。」というようなものではないのです。糧とあるように、物質的なことに父が関心を持っておられることを認めます。

 私たちの罪をお赦しください。私たちも私たちに負い目のある者をみな赦します。

 今度は、実際の生活の場面でも、霊的なこと精神的なことについてです。つまり、神との関係と、人との関係について祈ります。クリスチャン生活にとって、例えば、病気になったとか、盗難にあったとか、そのような不幸は不幸に数えられません。苦しみは、しばしば神から与えられる賜物です。けれども、罪を犯すことは神との関係を崩します。すぐに関係の修復のために取り組まなければいけません。また、例えば夫婦が貧乏になっても、問題ではありません。けれども、けんかをしていれば問題です。ですから、神との関係、人間関係のために、父が働いてくださるように祈ります。

 私たちを試みに合わせないでください。

 最後に、御国の外にいる者から守られるように祈ります。使徒ヨハネは、「わたしたちは神からの者であり、全世界は、悪い者の支配下にあることを知っています。(1ヨハネ5:19)」 と言いました。私たちは、つねにこの世と接触しているので、受ける誘惑も大きいのです。ですから、私たちが誘惑に立ち向かうことができるように祈ることは大切です。


 



 

 
 


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