使徒言行録9・1-20

使徒言行録9章9節には、回心を体験した「サウロは三日間、目が見えず、食べも飲みもしなかった」とあります。「目が見えない」というのは、今まで当たり前のように見ていた世界が見えなくなるということ、当たり前のように理解してきた世界の意味が分からなくなるということでしょう。今まで、生きてきて、当然だと思っていたことが突然、当然でなくなるのです。それは、生きる基盤が揺らぐということです。大変な混乱です。だから、「サウロは三日間、目が見えず、食べも飲みもしなかった」のです。いや、「サウロは三日間、目が見えず、食べも飲みもできなかった」というのが、本当のところではないでしょうか。

このように、一人の人の生き方が変わるということは、とても大きな変化です。それこそ、「奇跡である」と表現しても良いかもしれません。生き方が変わったその人にとっても大変なことです。けれども、一人の人の生き方が変わるということは、周りにいる人たちの生き方も影響を受け変わるということを意味するのだと思うのです。サウロの生き方が大きく変わった時、アナニアの生き方も変わったのです。
私共は、このパウロのような劇的な体験はしていないかもしれません。確かに、これはパウロだけに与えられたものでしょう。しかし、このパウロの体験は、聖書を通して、代々の教会の財産となっていきました。何故なら、このパウロに働いて回心させ、召命を与えられた主イエスが、今も自分達の上に働いて、全てを導いて下さっていることを知らされてきたからです。パウロに働かれた生ける主が、パウロに対したのとは違うあり方で、しかし私共が同じ救いの中に生きる為に、今も働いて下さっているのです。まことにありがたいことです。このことを覚え、今、心から主をほめたたえたいと思うのです。

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