そして、ステファノは取り囲まれ、石を次々と投げつけられて殺されます。その時、ステファノは、「神よ、この人たちに罪を負わせないでください」と言いながら死んでゆきます。
これは、ルカの福音書だけが収めているイエスの死における言葉が重ね合わされています。「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」(ルカ23:34)という言葉と同じ思いが、ここでのステファノの言葉に表されています。
ということは、著者であるルカは、このステファノの姿の中にイエスが宿っているように読めるようここを書いている上に、イエスの心を受け継ぐというのは、「自分の敵を愛すること。自分を傷つけ迫害する者のために祈ること」にその神髄があるのだ、と述べていることになります。
迫害にあって殺されていった初代の教会の人々は、このステファノのように、イエスにならって敵を赦し、敵への愛を祈りによって表しながら死んでいったんですね。その死に様の模範として、ステファノの死は描かれています。
そして、サウロはこのステファノの死に様を見ていた。これがサウロにとっての、最初の本格的なイエスを信じる者との出会いになった、そして、それは同時にイエス自身との出会いになったということです。
十字架のイエスは、石打ちにされたステファノに重なり合って、そこに存在していた、と。ステファノにおいて現れていたイエスを、サウロは、その時そうは気づかなかったかもしれませんが、確かに出会っていた。そしてそれが使徒パウロと呼ばれることになる、このサウロの出発点だったのだ、とルカは主張しているわけです。
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5 Lent (2)
四旬節 第五火曜日
ヨハネ8・21-30
「わたしはある」
「わたしはある」という言葉に関して、今日はもう少し掘り下げていきたいと思います。
ヨハネ福音書においては、モーセは実に重要な人物であり、イエス様は第二のモーセという形で登場していると言ってもよいほどです。そして、「わたしはある」という言葉は、神とモーセがシナイ山の麓で出会い、神様がイスラエルを解放する為にモーセをエジプトに遣わす場面に出てくる言葉です。その時、モーセは、そんな大それた仕事を自分が出来るわけがないと拒む。しかし、神はこう言われました。
「わたしは必ずあなたと共にいる。このことこそ、わたしがあなたを遣わすしるしである。あなたが民をエジプトから導き出したとき、あなたたちはこの山で神に仕える。」
モーセは言います。
「わたしは、今、イスラエルの人々のところへ参ります。彼らに、『あなたたちの先祖の神が、わたしをここに遣わされたのです』と言えば、彼らは、『その名は一体何か』と問うにちがいありません。彼らに何と答えるべきでしょうか。」
神様はこう答えられる。「わたしはある。わたしはあるという者だ」
「イスラエルの人々にこう言うがよい。『わたしはある』という方がわたしをあなたたちに遣わされたのだと。」
アウグスティヌスという人は、「神には現在形しかない」と言いました。過去にはいたけれど今はいないとか、今はいないけれど将来はいる。そういう方ではない。永遠に「今」存在しておられる方なのだ、と。私たちは、毎週の礼拝の中で必ず讃詠を歌います。「昔、今いまし、永久にいます主をたたえん」と。「わたしはある」とは、第一にそういう意味でしょう。しかし、永遠に存在していると言っても、どこにいるのか?それが問題です。宇宙の彼方に存在していても、私たちにとっては、それはあまり関係のないことです。
神は、言われます。「わたしは必ずあなたと共にいる。」
神様は、必ずモーセと共にいてくださる。それが神様の約束です。どこか遠くに、永遠に存在されるのではない。モーセと共におられるのです。モーセが、今後どれほど不平不満を言おうが、その都度、神様は彼を励まし、戒め、慰めつつ、必ず彼と共にいて下さいました。神様は、真実なお方です。決して、約束を破らない。その言葉は必ず出来事となる、実現する、成就するのです。
その出自や由来という意味では全く違いますが、モーセと同じように、神様から遣わされたイエス様はこうおっしゃっています。
「わたしをお遣わしになった方は、わたしと共にいてくださる。わたしをひとりにはしておかれない。わたしは、いつもこの方の御心に適うことを行うからである。」
ある意味では、イエス様は十字架に上げられた時、まさに神に見捨てられたのです。神に見捨てられて死ぬ、つまり、罪が裁かれて死ぬ、罪の内に死ぬという絶望を味わわれたのです。でも、そのことが神の御心に適うことであるが故に、その最も深い次元において、主イエスと神はやはり一つの交わりの中におられたのだし、十字架のイエス様にの中に神ご自身が現れている。罪人の罪を赦し、その罪人と共に永遠に生きてくださる神ご自身が現れているのです。問題は、この神を信じるか信じないかです。
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四旬節 第五水曜日
ヨハネ8・31-42
ヨハネ8・21-30
「わたしはある」
「わたしはある」という言葉に関して、今日はもう少し掘り下げていきたいと思います。
ヨハネ福音書においては、モーセは実に重要な人物であり、イエス様は第二のモーセという形で登場していると言ってもよいほどです。そして、「わたしはある」という言葉は、神とモーセがシナイ山の麓で出会い、神様がイスラエルを解放する為にモーセをエジプトに遣わす場面に出てくる言葉です。その時、モーセは、そんな大それた仕事を自分が出来るわけがないと拒む。しかし、神はこう言われました。
「わたしは必ずあなたと共にいる。このことこそ、わたしがあなたを遣わすしるしである。あなたが民をエジプトから導き出したとき、あなたたちはこの山で神に仕える。」
モーセは言います。
「わたしは、今、イスラエルの人々のところへ参ります。彼らに、『あなたたちの先祖の神が、わたしをここに遣わされたのです』と言えば、彼らは、『その名は一体何か』と問うにちがいありません。彼らに何と答えるべきでしょうか。」
神様はこう答えられる。「わたしはある。わたしはあるという者だ」
「イスラエルの人々にこう言うがよい。『わたしはある』という方がわたしをあなたたちに遣わされたのだと。」
アウグスティヌスという人は、「神には現在形しかない」と言いました。過去にはいたけれど今はいないとか、今はいないけれど将来はいる。そういう方ではない。永遠に「今」存在しておられる方なのだ、と。私たちは、毎週の礼拝の中で必ず讃詠を歌います。「昔、今いまし、永久にいます主をたたえん」と。「わたしはある」とは、第一にそういう意味でしょう。しかし、永遠に存在していると言っても、どこにいるのか?それが問題です。宇宙の彼方に存在していても、私たちにとっては、それはあまり関係のないことです。
神は、言われます。「わたしは必ずあなたと共にいる。」
神様は、必ずモーセと共にいてくださる。それが神様の約束です。どこか遠くに、永遠に存在されるのではない。モーセと共におられるのです。モーセが、今後どれほど不平不満を言おうが、その都度、神様は彼を励まし、戒め、慰めつつ、必ず彼と共にいて下さいました。神様は、真実なお方です。決して、約束を破らない。その言葉は必ず出来事となる、実現する、成就するのです。
その出自や由来という意味では全く違いますが、モーセと同じように、神様から遣わされたイエス様はこうおっしゃっています。
「わたしをお遣わしになった方は、わたしと共にいてくださる。わたしをひとりにはしておかれない。わたしは、いつもこの方の御心に適うことを行うからである。」
ある意味では、イエス様は十字架に上げられた時、まさに神に見捨てられたのです。神に見捨てられて死ぬ、つまり、罪が裁かれて死ぬ、罪の内に死ぬという絶望を味わわれたのです。でも、そのことが神の御心に適うことであるが故に、その最も深い次元において、主イエスと神はやはり一つの交わりの中におられたのだし、十字架のイエス様にの中に神ご自身が現れている。罪人の罪を赦し、その罪人と共に永遠に生きてくださる神ご自身が現れているのです。問題は、この神を信じるか信じないかです。
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四旬節 第五水曜日
ヨハネ8・31-42
8:32 そして、あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。
国会図書館に刻まれたことばです。永田町の国会議事堂の隣に立つ国会図書館の二階、中央出納台の上に Η ΑΛΗΘΕΙΑ ΕΛΕΥΘΕΡΩΣΕI ΥΜΑΣ というギリシャ語が刻まれていますが、これはヨハネ8:32からとられたイエス・キリストのことば「真理はあなたがたを自由にします」なのです。聖書のことばが、日本の中枢ともいえるところに、ちゃんと刻まれているのすね。ギリシャ語のことばのとなりには、日本語で「真理が我らを自由にする」とあります。イエス・キリストのことばの「あなたがた」を「我ら」と変えてあるのは、1948年に制定された「国立国会図書館法」の前文の「真理が我らを自由にするという確信に立って、憲法の誓約する日本の民主化と世界平和とに寄与することを使命とする」という部分から取ったのでしょう。戦後の日本の復興に聖書の精神が盛り込まれていたことが良くわかります。
1946年に「国立国会図書館法」が審議された時、 森戸辰男議員は、この言葉を条文に入れることについて、次のように言っています。「民主主義は何よりもまず人間の理性、道理と真実に基礎をおく政治でなければならない。国会が真実を尊重し、真理に聴従するところとなり、衆愚の政治の府ではなく、 衆智の政治の府となり、かくて、新議会の品位を高め、新政治に科学性を加え、もって平和と文化と人道を目指す民主主義を樹立しなければならない。国会図書館はこうした民主主義を樹立し、文化国家を建設する為の極めて大切な基礎条件の一つである。何よりも真実をつかみ、真理をとらえようとする態度が大切であり、真の自由はそうした中から得られるものである。」なかなか格調の高い演説ですね。このような精神を保ち続けることができたら素晴らしいことと思いますが、なかなかですね。
こんな話があります。昔、あるところに、とても腕の良い鍛冶屋(かじや)がいました。この鍛冶屋は、何かのことで領主の怒りを買い、鎖につながれ、牢屋に入れられてしまいました。彼は、鍛冶屋だけあって、どんな鎖につながれても、その鎖の弱い部分を見つけてそれを壊す自信がありました。牢獄の錠前を開けることなど、朝飯前でした。それで彼は、自分をつないでいる鎖を調べはじめましたが、調べているうちに、顔がみるみる青ざめていきました。そしてこう言いました。「だめだ、この鎖は壊すことができない。この鎖は完全につくられている。これはわしの作った鎖だ。」罪を犯すものはこのように、自分の作った罪の鎖に縛られて、そこから逃れられなくなるのです。
しかし、イエス・キリストは私たちを罪から解放してくださいます。どのようにしてでしょうか。それは、「真理はあなたがたを自由にします。」と言われているように、私たちに真理を知らせ、真理に直面させることによってです。では、私たちが知らなければならない真理とは何でしょうか。それは第一に、私たちが罪の奴隷であるという事実です。自分が罪に縛られていて、そこから解放される必要があるという真理を受け入れない限り、私たちは自由になることはできません。病気の人が「自分は健康だ。」と言っている間は、決して良くならないのと同じです。自分の病気を認めることから、治療がはじまるように、自分が罪に縛られているということを認めることから、罪からの救いと解放がはじまるのです。
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http://www2.tbb.t-com.ne.jp/nakashibuya/yohane/j060080217.html
イエス様を信じたユダヤ人たちは、しかし、イエス様が何をおっしゃっているか、全く理解出来ません。
「わたしたちはアブラハムの子孫です。今までだれかの奴隷になったことはありません。『あなたたちは自由になる』とどうして言われるのですか。」
アブラハムに始まるイスラエルの民は、ご承知のようにエジプトの奴隷であったことがあるし、バビロンに捕囚されたこともあるし、それ以後、独立国家を持っているわけではなく、この時だってローマ帝国の支配下にいるのですから、彼らが一体どういう意味で、こんなことを言っているのかよく分かりません。ひょっとすると目に見える形では、奴隷であったとしても心においては神を信じる信仰を保っており、尊厳をもって生きているのだということであるかもしれません。しかし、少なくともバビロン捕囚の原因は、イスラエルの民が異教の神々に心を奪われてしまったことにあるのです。ですから、彼らが何をもってこんなことを言っているのか、実はよく分からない。ただ、はっきり分かることは、自分たちが「罪の奴隷」であることを彼らが全く自覚していないということです。
イエスは、御自分を信じたユダヤ人たちに言われた。
「私たちはユダヤ人ではないから、ここで詰問されているのは私たちではない」と呑気に聞いていてよい話ではありません。イエス様を「信じた」という意味では、ここにいる私たちと同じなのです。「私たちも「信仰の父はアブラハムだ」と思い、「自分は信仰に生きている」と思っていても、実は違うところに父を持っている、そしてその父に従っているのかもしれない、いや実際に従っているのではないか?!そういう厳しい問いの前に立たされているのです。
日本語で「信じた」と言う場合、それは過去のある時点に信じたことなのか、過去に信じたことがある程度持続したのか、現在まで持続しているのか、今ひとつよく分かりません。三〇節で「イエスを信じた」という場合は、過去のある時点で「イエスを信じた」ことを表します。そして、三一節の「御自分を信じたユダヤ人たち」
とは、その時点で信じているユダヤ人たちのことを表していますけれども、その信仰が未来永劫続くかどうかの保証はありません。明日、どうなっているのか分からないのです。よく結婚式の披露宴のケーキカットの場面などで、司会者が場を盛り上げようとして、「今二人は永遠の愛を誓いました」とか言ったりするのですが、私はそういう言葉を聞くと逆に盛り下がってしまうので披露宴とかに出るのは基本的に好きではありません。また「永遠」とか「愛を誓う」という言葉を簡単に使う人は信用できないと、私は思っています。人間と永遠なんて、最も似つかわしくない言葉だと思うのです。そして、愛とか信仰という言葉も、実は人間には似つかわしくはないと思います。罪の中に生きる人間に、永遠も愛も信仰もあり得ないからです。
「信じないならば、自分の罪のうちに死ぬことになる」という言葉からも分かりますように、イエス様にとっての「罪」とは、いわゆる悪事だとか犯罪だとか、そういうことではありません。イエス様を信じないこと。その不信仰が罪なのです。そして、その罪の中に生きている限り、そこに待っているのは罪の内に死ぬことだけ。だから、イエス様は「信じなさい」とおっしゃるのです。
「わたしの言葉にとどまるならば、あなたたちは本当にわたしの弟子である。あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする。」
本当の弟子、つまり本当のキリスト者とは、イエス様の言葉にとどまる者なのだ。そうおっしゃっている。弟子とは、師匠の身近にいて寝食を共にし、師匠の真似をしつつ、少しでも師匠の域 Waza に近づきたいと追い求め続ける者です。師匠がたいしたことのない人物で、数年で乗り越えることが出来る人物であれば、弟子であることは過去のことになって当然なのですが、偉大であればあるほど弟子であり続けるのだし、そうであることがその弟子の成長だし、そのこと自体が喜びであるはずです。
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四旬節 第五木曜日
「私はアブラハム以前からある」
ヨハネ8・51-59
「わたしの言葉を守るなら、その人は決して死なない」と主イエスはおっしゃいます。
神戸のプロテスタント教会はその言葉をほぼそのまま題として教会正面の看板にも掲げています。道行く人の中には、その看板を見ながら通り過ぎる人もいますし、たまに立ち止まってじっと見ている人もいるのですけれど、そういう人たちは、この言葉を見て一体どんなことを思うのだろうか?
教会の正面には、お葬式がある時には、誰それの葬儀式場であるとの看板も立ちますから、教会に集う信者も死ぬことは明らかです。ですから、しばしばこの道を通る人は、教会というところは正常な人が集うところなのか?と疑問に思っても仕方がないとも思います。
一時はイエス様を「信じた」とされるユダヤ人も、この言葉を聞いて「あなたが悪霊に取りつかれていることが、今はっきりした」と言っていますが、これは余りにも当然の反応ではないかと思うのです。
アブラハムが地上に生きた時代は、イエス様の時代よりも少なくとも二千年も前のことなのですから、ユダヤ人にとっては、これもまた理解不能な現実をイエス様はお語りになっているということです。しかし、イエス様はここで再び「はっきり言っておく〈アーメン、アーメン、あなたがたに言う〉アブラハムが生まれる前から、『わたしはある』」とおっしゃいました。これは決定的な言葉です。イエス様はここで、ヨハネ福音書の冒頭の言葉、「はじめに言があった。言は神と共にあった。言は神であった」という現実が、ご自身の現実であることをお語りになっているからです。だから、イエス様はアブラハムを見たことがある。ある神学者は「イエスとアブラハムは同時代人なのである」とも言います。しかし、その「時代」を含む「歴史の中」にイエス様と比べる存在はいないのです。歴史の中で、アブラハムとモーセは比べることは出来ます。両者を並べて、それぞれの特色を語ることは出来ます。しかし、アブラハムとイエス様を比較することは出来ないし、モーセだってそれは同じです。アブラハムやモーセ、彼らは「歴史の中に」生きた存在であり、「歴史を越えた」存在ではありません。しかし、彼らは、その歴史の中に生きながら、それもイエス様が肉体をもって歴史の中に登場する前に既に死んでいるのに、イエス様の「日を見るのを楽しみにし」、また「それを見て、喜んだ」と言われる。これは一体、どういうことか。
アブラハムは「見るのを楽しみにしていた」し、「見て、喜んだのだ」とおっしゃっている。
アブラハムはその信仰を生きた人だ、とイエス様はおっしゃっている。それなのに、アブラハムを父とするあなたがたは、その信仰に生きていないではないか、とおっしゃっている。彼らは、神を信じるとはどういうことかを現実に知らないのです。神を信じるとは、無から有を生み出すことが出来る神を信じるということだし、その意味で、望み得ない時になお望みをもって生きることだし、まだ目にしてない約束の実現を、はるかに望み見て、既に喜びの声をあげつつ生きることなのです。私たちは、その信仰を今生きているでしょうか。
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四旬節 第五金曜日
ヨハネ10・31-42
及川 信 ヨハネによる福音書 10章31節~42節
古代社会では絶対的権力者は何らかの意味で神格化されました。王様は神の化身であったり、神の子であったり、神そのものであったのです。自らそう宣言し、人々をそのように信じ込ませることでその権力を保持していたのです。日本などは、つい最近まで「現人神」と神格化された絶対君主がいたわけですから、近代社会の中に古代の精神構造が色濃く残っていると言うべきなのもかもしれません。しかし、古代社会において、唯一の神と出会い、神の民として生きるべく選ばれたユダヤ人は、如何なる意味でも一人の人間を神格化することはありませんでした。王たちも当時の大帝国の王のような権力は持ち得ませんでしたし、神様の御心に背けば裁かれたのです。神は神であって人間ではなく、人間は人間であって如何なる意味でも神ではない。それは彼らユダヤ人(イスラエルの民)にとっては些かも揺るぐことの無い確信だったのです。
ユダヤ人の困惑
私は前々から考えたことがあります。神学の言葉で言うと、父・子・聖霊なる三つの神はしかし一体であり、神の独り子であるキリストは真に神であると同時に真の人である(キリストの両性)というキリスト教信仰の根幹的な事柄を、ヨハネ福音書は真正面から、しかし、極めて象徴的、暗示的に書いている、いや証言しているのだ。そう思うのです。
しかし、そのことを当時のユダヤ人が理解出来ないこともまた当然です。しかし、理解は信じることによって得ることが出来るのであって、理解したから信じるのではありません。これは当時に限らず、いつの世でも同じことです。
しかし、その信仰は「鰯の頭も信心から」という類のものではないわけで、事実の証言として書かれ、語られた言葉を信じることです。
そこで問題になるのは、34節以下のイエス様の弁明です。イエス様はここで神を冒涜した罪人としてご自分を裁こうとしているユダヤ人に対して弁明をしています。少なくとも一見するとそう見えます。しかし、実際はどうなのか?
今日の箇所では、ユダヤ人たちがイエス様を冒涜罪で裁こうとしています。石打の刑で殺そうとしているのです。イエス様が自分を神としたからです。しかし、イエス様にしてみれば「人間なのに、自分を神としている」のではなく、「神なのに父から聖なる者として遣わされて」父の業を行いつつ神を示しているのです。そのことを通して神の裁きを実現しているのです。どちらが裁いているのか? 裁いているのはイエス様。
皆さんは私のような伝道者ではないのですから、口を開けば、「イエス様は神の子です。信じなさい」などと言う必要はないし、伝道のためにもそんなことは言わない方がよいでしょう。しかし、私たちがイエス様の御業を信じて生活をするという時、そこには自ずと信じていなかった時とは違う香り、今風の言葉で言えばオーラが出てくるはずです。イエス様を信じる者は世の光、地の塩なのですから。信じなければ、闇に飲み込まれ、味を失った塩として意味をなさなくなりますが、信じて生きていれば、そこには喜びがあり、必ず罪の赦しと新しい命を与えてくださるイエス・キリストを証しする場面は出てくるのです。愛する家族、知人、友人、同僚、その誰か一人にでもキリストを伝えたいという思いが与えられますし、そのための祈りが与えられますし、必ず証しをする機会も与えられるのです。そして、信じていれば、何時か必ず、生きておられるキリストご自身がその業を示してくださいます。
http://www2.tbb.t-com.ne.jp/nakashibuya/yohane/j060080217.html
イエス様を信じたユダヤ人たちは、しかし、イエス様が何をおっしゃっているか、全く理解出来ません。
「わたしたちはアブラハムの子孫です。今までだれかの奴隷になったことはありません。『あなたたちは自由になる』とどうして言われるのですか。」
アブラハムに始まるイスラエルの民は、ご承知のようにエジプトの奴隷であったことがあるし、バビロンに捕囚されたこともあるし、それ以後、独立国家を持っているわけではなく、この時だってローマ帝国の支配下にいるのですから、彼らが一体どういう意味で、こんなことを言っているのかよく分かりません。ひょっとすると目に見える形では、奴隷であったとしても心においては神を信じる信仰を保っており、尊厳をもって生きているのだということであるかもしれません。しかし、少なくともバビロン捕囚の原因は、イスラエルの民が異教の神々に心を奪われてしまったことにあるのです。ですから、彼らが何をもってこんなことを言っているのか、実はよく分からない。ただ、はっきり分かることは、自分たちが「罪の奴隷」であることを彼らが全く自覚していないということです。
イエスは、御自分を信じたユダヤ人たちに言われた。
「私たちはユダヤ人ではないから、ここで詰問されているのは私たちではない」と呑気に聞いていてよい話ではありません。イエス様を「信じた」という意味では、ここにいる私たちと同じなのです。「私たちも「信仰の父はアブラハムだ」と思い、「自分は信仰に生きている」と思っていても、実は違うところに父を持っている、そしてその父に従っているのかもしれない、いや実際に従っているのではないか?!そういう厳しい問いの前に立たされているのです。
日本語で「信じた」と言う場合、それは過去のある時点に信じたことなのか、過去に信じたことがある程度持続したのか、現在まで持続しているのか、今ひとつよく分かりません。三〇節で「イエスを信じた」という場合は、過去のある時点で「イエスを信じた」ことを表します。そして、三一節の「御自分を信じたユダヤ人たち」
とは、その時点で信じているユダヤ人たちのことを表していますけれども、その信仰が未来永劫続くかどうかの保証はありません。明日、どうなっているのか分からないのです。よく結婚式の披露宴のケーキカットの場面などで、司会者が場を盛り上げようとして、「今二人は永遠の愛を誓いました」とか言ったりするのですが、私はそういう言葉を聞くと逆に盛り下がってしまうので披露宴とかに出るのは基本的に好きではありません。また「永遠」とか「愛を誓う」という言葉を簡単に使う人は信用できないと、私は思っています。人間と永遠なんて、最も似つかわしくない言葉だと思うのです。そして、愛とか信仰という言葉も、実は人間には似つかわしくはないと思います。罪の中に生きる人間に、永遠も愛も信仰もあり得ないからです。
「信じないならば、自分の罪のうちに死ぬことになる」という言葉からも分かりますように、イエス様にとっての「罪」とは、いわゆる悪事だとか犯罪だとか、そういうことではありません。イエス様を信じないこと。その不信仰が罪なのです。そして、その罪の中に生きている限り、そこに待っているのは罪の内に死ぬことだけ。だから、イエス様は「信じなさい」とおっしゃるのです。
「わたしの言葉にとどまるならば、あなたたちは本当にわたしの弟子である。あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする。」
本当の弟子、つまり本当のキリスト者とは、イエス様の言葉にとどまる者なのだ。そうおっしゃっている。弟子とは、師匠の身近にいて寝食を共にし、師匠の真似をしつつ、少しでも師匠の域 Waza に近づきたいと追い求め続ける者です。師匠がたいしたことのない人物で、数年で乗り越えることが出来る人物であれば、弟子であることは過去のことになって当然なのですが、偉大であればあるほど弟子であり続けるのだし、そうであることがその弟子の成長だし、そのこと自体が喜びであるはずです。
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四旬節 第五木曜日
「私はアブラハム以前からある」
ヨハネ8・51-59
「わたしの言葉を守るなら、その人は決して死なない」と主イエスはおっしゃいます。
神戸のプロテスタント教会はその言葉をほぼそのまま題として教会正面の看板にも掲げています。道行く人の中には、その看板を見ながら通り過ぎる人もいますし、たまに立ち止まってじっと見ている人もいるのですけれど、そういう人たちは、この言葉を見て一体どんなことを思うのだろうか?
教会の正面には、お葬式がある時には、誰それの葬儀式場であるとの看板も立ちますから、教会に集う信者も死ぬことは明らかです。ですから、しばしばこの道を通る人は、教会というところは正常な人が集うところなのか?と疑問に思っても仕方がないとも思います。
一時はイエス様を「信じた」とされるユダヤ人も、この言葉を聞いて「あなたが悪霊に取りつかれていることが、今はっきりした」と言っていますが、これは余りにも当然の反応ではないかと思うのです。
アブラハムが地上に生きた時代は、イエス様の時代よりも少なくとも二千年も前のことなのですから、ユダヤ人にとっては、これもまた理解不能な現実をイエス様はお語りになっているということです。しかし、イエス様はここで再び「はっきり言っておく〈アーメン、アーメン、あなたがたに言う〉アブラハムが生まれる前から、『わたしはある』」とおっしゃいました。これは決定的な言葉です。イエス様はここで、ヨハネ福音書の冒頭の言葉、「はじめに言があった。言は神と共にあった。言は神であった」という現実が、ご自身の現実であることをお語りになっているからです。だから、イエス様はアブラハムを見たことがある。ある神学者は「イエスとアブラハムは同時代人なのである」とも言います。しかし、その「時代」を含む「歴史の中」にイエス様と比べる存在はいないのです。歴史の中で、アブラハムとモーセは比べることは出来ます。両者を並べて、それぞれの特色を語ることは出来ます。しかし、アブラハムとイエス様を比較することは出来ないし、モーセだってそれは同じです。アブラハムやモーセ、彼らは「歴史の中に」生きた存在であり、「歴史を越えた」存在ではありません。しかし、彼らは、その歴史の中に生きながら、それもイエス様が肉体をもって歴史の中に登場する前に既に死んでいるのに、イエス様の「日を見るのを楽しみにし」、また「それを見て、喜んだ」と言われる。これは一体、どういうことか。
アブラハムは「見るのを楽しみにしていた」し、「見て、喜んだのだ」とおっしゃっている。
アブラハムはその信仰を生きた人だ、とイエス様はおっしゃっている。それなのに、アブラハムを父とするあなたがたは、その信仰に生きていないではないか、とおっしゃっている。彼らは、神を信じるとはどういうことかを現実に知らないのです。神を信じるとは、無から有を生み出すことが出来る神を信じるということだし、その意味で、望み得ない時になお望みをもって生きることだし、まだ目にしてない約束の実現を、はるかに望み見て、既に喜びの声をあげつつ生きることなのです。私たちは、その信仰を今生きているでしょうか。
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四旬節 第五金曜日
ヨハネ10・31-42
及川 信 ヨハネによる福音書 10章31節~42節
古代社会では絶対的権力者は何らかの意味で神格化されました。王様は神の化身であったり、神の子であったり、神そのものであったのです。自らそう宣言し、人々をそのように信じ込ませることでその権力を保持していたのです。日本などは、つい最近まで「現人神」と神格化された絶対君主がいたわけですから、近代社会の中に古代の精神構造が色濃く残っていると言うべきなのもかもしれません。しかし、古代社会において、唯一の神と出会い、神の民として生きるべく選ばれたユダヤ人は、如何なる意味でも一人の人間を神格化することはありませんでした。王たちも当時の大帝国の王のような権力は持ち得ませんでしたし、神様の御心に背けば裁かれたのです。神は神であって人間ではなく、人間は人間であって如何なる意味でも神ではない。それは彼らユダヤ人(イスラエルの民)にとっては些かも揺るぐことの無い確信だったのです。
ユダヤ人の困惑
私は前々から考えたことがあります。神学の言葉で言うと、父・子・聖霊なる三つの神はしかし一体であり、神の独り子であるキリストは真に神であると同時に真の人である(キリストの両性)というキリスト教信仰の根幹的な事柄を、ヨハネ福音書は真正面から、しかし、極めて象徴的、暗示的に書いている、いや証言しているのだ。そう思うのです。
しかし、そのことを当時のユダヤ人が理解出来ないこともまた当然です。しかし、理解は信じることによって得ることが出来るのであって、理解したから信じるのではありません。これは当時に限らず、いつの世でも同じことです。
しかし、その信仰は「鰯の頭も信心から」という類のものではないわけで、事実の証言として書かれ、語られた言葉を信じることです。
そこで問題になるのは、34節以下のイエス様の弁明です。イエス様はここで神を冒涜した罪人としてご自分を裁こうとしているユダヤ人に対して弁明をしています。少なくとも一見するとそう見えます。しかし、実際はどうなのか?
今日の箇所では、ユダヤ人たちがイエス様を冒涜罪で裁こうとしています。石打の刑で殺そうとしているのです。イエス様が自分を神としたからです。しかし、イエス様にしてみれば「人間なのに、自分を神としている」のではなく、「神なのに父から聖なる者として遣わされて」父の業を行いつつ神を示しているのです。そのことを通して神の裁きを実現しているのです。どちらが裁いているのか? 裁いているのはイエス様。
皆さんは私のような伝道者ではないのですから、口を開けば、「イエス様は神の子です。信じなさい」などと言う必要はないし、伝道のためにもそんなことは言わない方がよいでしょう。しかし、私たちがイエス様の御業を信じて生活をするという時、そこには自ずと信じていなかった時とは違う香り、今風の言葉で言えばオーラが出てくるはずです。イエス様を信じる者は世の光、地の塩なのですから。信じなければ、闇に飲み込まれ、味を失った塩として意味をなさなくなりますが、信じて生きていれば、そこには喜びがあり、必ず罪の赦しと新しい命を与えてくださるイエス・キリストを証しする場面は出てくるのです。愛する家族、知人、友人、同僚、その誰か一人にでもキリストを伝えたいという思いが与えられますし、そのための祈りが与えられますし、必ず証しをする機会も与えられるのです。そして、信じていれば、何時か必ず、生きておられるキリストご自身がその業を示してくださいます。
病者の塗油
病者の塗油
1.聖書的由来と発展
(1)聖書的由来
病者の塗油の秘跡は、マルコ福音書6章13節の「油を塗って多くの病人を癒した」という言葉や、ヤコブ書5章の「オリーブの油を塗り、祈ってもらいなさい」という言葉に由来しています。ヤコブ書からは、癒しのために共同体が共に祈り合うことの大切さが分かります。
(2)発展
このような形での病者に対する塗油の習慣は、死ぬ間際の人に食事を与えるというローマの文化から影響を受けた臨終の聖体拝領の儀式と結びつき、しだいに死ぬ間際の病人に対して司祭から1回だけ行われる塗油の儀式へと発展していきました。そのため、第二バチカン公会議以前には「終油の秘跡」とも呼ばれていました。
(3)現代における実践
現代では、病のために危険な状態にある人、医師から重態だと判断された人だけでなく、危険な手術を受ける前の人、老衰のために死が近づいていると思われる人も司祭から病者の塗油を受けることができます。回数も、1回だけには限定されておらず、必要があれば何回でも受けることができます。
2.恵み
病者の塗油によって、次のような恵みが与えられます。
(1)聖霊による救霊のための恵み…その人の魂の救いのために、聖霊から与えられる恵みです。
(2)悪霊の誘惑や死の恐怖への抵抗力…病の床にある人は、自分が神様から愛されていないのでは ないかとか、神様が存在しないのではないかという疑問に襲われたり、死への恐怖にさいなま れたりすることがあります。病者の塗油は、そのような誘惑や恐怖と戦う力を与えてくれます 。
(3)病苦と戦う力…病気は多くの場合に苦しみを伴いますが、その苦しみと戦う力が病者の塗油に よって与えられます。
(4)救霊のために必要であれば、肉体の回復…もしその人の魂の救いのために肉体の回復が必要で あれば、肉体が病から回復する恵みが与えられます。どんな場合でも必ず肉体の回復の恵みが 与えられるわけではありません。
(5)罪のゆるし…ゆるしの秘跡を同時に受けることができない場合には、塗油によってその人の犯 したすべての罪がゆるされます。
3.病苦の意味
病の床にある人を苦しめる最も大きな疑問の一つは、「なぜわたしがこんな目に合わなければならないのか」ということでしょう。この疑問は、自分の人生の意味への疑いや、神様の愛への疑いを生む深刻な疑問です。この疑問に対して、わたしたちはどう答えることができるのでしょうか。
この問いに対するキリスト者の答えは、コロサイ書1章24節のパウロの言葉「キリストの苦しみの欠けたところを、身をもって充たす」に凝縮されています。この言葉を参照しながら、第2バチカン公会議の教会憲章は、病で苦しんでいる人たちに対して「すすんで自分をキリストの受難と死に合わせ、神の民の善に寄与する」(11)ように勧めています。教皇ヨハネ・パウロ2世も使徒的書簡『サルヴィフィチ・ドローリス』の中で、人間は病苦などによって苦しむとき、神秘的な形でイエスの十字架上での苦しみに結ばれると述べています。
イエスの苦しみはそれ自体として十分なものでしたが、その苦しみをイエスだけに苦しませておくのはよくありませんね。病苦を通してイエスと苦しみを共にするときに、わたしたちはイエスの受難により深く結ばれるのでしょう。イエスの受難に深く結ばれることによって、わたしたちはイエスの救いの業に協力することができ、さらにはイエスの復活にも固く結びつけられるのだと思います。
病者の塗油は、病で苦しむ人たちに、彼らが今十字架上のイエスと共にその苦しみを苦しんでいるのだということを思い起こさせ、病苦は決して無意味なものではないと彼らに告げる秘跡だと言えるかもしれません。
《参考文献》
・『カトリック教会のカテキズム』、カトリック中央協議会、2002年。
・『第2バチカン公会議公文書全集』、サンパウロ、1986年。
・『カトリック儀式書 ゆるしの秘跡』、カトリック中央協議会、1978年。
・『カトリック儀式書 病者の塗油』、カトリック中央協議会、1980年。
・『使徒的書簡 サルヴィフィチ・ドローリス』、サンパウロ、1988年。
http://www.rokko-catholic.jp/Training/tuesdayclass/tuesdayclass-rejime-11-18.htm
1.聖書的由来と発展
(1)聖書的由来
病者の塗油の秘跡は、マルコ福音書6章13節の「油を塗って多くの病人を癒した」という言葉や、ヤコブ書5章の「オリーブの油を塗り、祈ってもらいなさい」という言葉に由来しています。ヤコブ書からは、癒しのために共同体が共に祈り合うことの大切さが分かります。
(2)発展
このような形での病者に対する塗油の習慣は、死ぬ間際の人に食事を与えるというローマの文化から影響を受けた臨終の聖体拝領の儀式と結びつき、しだいに死ぬ間際の病人に対して司祭から1回だけ行われる塗油の儀式へと発展していきました。そのため、第二バチカン公会議以前には「終油の秘跡」とも呼ばれていました。
(3)現代における実践
現代では、病のために危険な状態にある人、医師から重態だと判断された人だけでなく、危険な手術を受ける前の人、老衰のために死が近づいていると思われる人も司祭から病者の塗油を受けることができます。回数も、1回だけには限定されておらず、必要があれば何回でも受けることができます。
2.恵み
病者の塗油によって、次のような恵みが与えられます。
(1)聖霊による救霊のための恵み…その人の魂の救いのために、聖霊から与えられる恵みです。
(2)悪霊の誘惑や死の恐怖への抵抗力…病の床にある人は、自分が神様から愛されていないのでは ないかとか、神様が存在しないのではないかという疑問に襲われたり、死への恐怖にさいなま れたりすることがあります。病者の塗油は、そのような誘惑や恐怖と戦う力を与えてくれます 。
(3)病苦と戦う力…病気は多くの場合に苦しみを伴いますが、その苦しみと戦う力が病者の塗油に よって与えられます。
(4)救霊のために必要であれば、肉体の回復…もしその人の魂の救いのために肉体の回復が必要で あれば、肉体が病から回復する恵みが与えられます。どんな場合でも必ず肉体の回復の恵みが 与えられるわけではありません。
(5)罪のゆるし…ゆるしの秘跡を同時に受けることができない場合には、塗油によってその人の犯 したすべての罪がゆるされます。
3.病苦の意味
病の床にある人を苦しめる最も大きな疑問の一つは、「なぜわたしがこんな目に合わなければならないのか」ということでしょう。この疑問は、自分の人生の意味への疑いや、神様の愛への疑いを生む深刻な疑問です。この疑問に対して、わたしたちはどう答えることができるのでしょうか。
この問いに対するキリスト者の答えは、コロサイ書1章24節のパウロの言葉「キリストの苦しみの欠けたところを、身をもって充たす」に凝縮されています。この言葉を参照しながら、第2バチカン公会議の教会憲章は、病で苦しんでいる人たちに対して「すすんで自分をキリストの受難と死に合わせ、神の民の善に寄与する」(11)ように勧めています。教皇ヨハネ・パウロ2世も使徒的書簡『サルヴィフィチ・ドローリス』の中で、人間は病苦などによって苦しむとき、神秘的な形でイエスの十字架上での苦しみに結ばれると述べています。
イエスの苦しみはそれ自体として十分なものでしたが、その苦しみをイエスだけに苦しませておくのはよくありませんね。病苦を通してイエスと苦しみを共にするときに、わたしたちはイエスの受難により深く結ばれるのでしょう。イエスの受難に深く結ばれることによって、わたしたちはイエスの救いの業に協力することができ、さらにはイエスの復活にも固く結びつけられるのだと思います。
病者の塗油は、病で苦しむ人たちに、彼らが今十字架上のイエスと共にその苦しみを苦しんでいるのだということを思い起こさせ、病苦は決して無意味なものではないと彼らに告げる秘跡だと言えるかもしれません。
《参考文献》
・『カトリック教会のカテキズム』、カトリック中央協議会、2002年。
・『第2バチカン公会議公文書全集』、サンパウロ、1986年。
・『カトリック儀式書 ゆるしの秘跡』、カトリック中央協議会、1978年。
・『カトリック儀式書 病者の塗油』、カトリック中央協議会、1980年。
・『使徒的書簡 サルヴィフィチ・ドローリス』、サンパウロ、1988年。
http://www.rokko-catholic.jp/Training/tuesdayclass/tuesdayclass-rejime-11-18.htm
ソロモンの知恵
ソロモンの知恵
知恵は、民族、人種、性別を超える普遍性を有し、同時に信仰を現実体験と結びつける。現実は多様性に富むゆえに、知恵もまた多様な姿となる。宗教とは、互いに矛盾対立する霊的体験の諸現象から成り立つものであって、理念や教義の集大成ではない。知恵がソロモン王国において大きな役割をはたしたのは、知恵の教え諭す教育性とその非民族性にある。知恵の御霊の働きは、信仰の律法化や祭儀化を克服するのである。
この意味で、ソロモン時代の知恵は、ほとんどヨーロッパ中世の神学に等しい。「主を畏れることは知恵の初め」という箴言(1・7)の言葉は、世俗の処世術から人々を主に向かわせると同時に、ヤハウェ宗教を多様な現実へと結びつける二重の働きを意味していたのである。ソロモン王国の知恵は百科辞典的な広さに及んでいる(列王記上5・9〜14)。だからそれが目指していたのは、当時のカナン文化圏全体をヤハウェの御霊によって管理すること、すなわち「カナン文化のヤハウェ化」そのものにあった。
ソロモンの知恵の黄金時代以降、王国はふたつに分裂し、預言者たちによる弾劾が厳しさを増す。やがて捕囚体験を経て帰還したユダヤ民族が、再びかつての王権を確立することはなかった。しかし、ソロモン時代の知恵は、それ以降も受け継がれ、箴言、ヨブ記、コヘレトの言葉、知恵の書、シラ書、ダニエル書、ソロモンの詩編などの知恵文学を産み、これがイエスの時代へと受け継がれることになる。
一方、ソロモンの箴言、ソロモンの雅歌、ソロモンの○○と、ソロモンの名を冠にした箴言・雅歌・コヘレトの言葉(伝道の書)などは、自由で多彩な批判的精神あふれる知恵文学の隠れ蓑として、ソロモン王の権威が巧みに利用されています。硬直した律法主義的申命記的信仰を、多義的で重層的な陰影の深い宗教に変えています。いわばルネッサンス的役割を果たしています。
ここが旧約聖書の面白いところです。わずか80年にも満たないダビデ・ソロモン時代が、出エジプト時代のモーセの伝承と共に旧約聖書の核心となるからです。
iPadから送信
知恵は、民族、人種、性別を超える普遍性を有し、同時に信仰を現実体験と結びつける。現実は多様性に富むゆえに、知恵もまた多様な姿となる。宗教とは、互いに矛盾対立する霊的体験の諸現象から成り立つものであって、理念や教義の集大成ではない。知恵がソロモン王国において大きな役割をはたしたのは、知恵の教え諭す教育性とその非民族性にある。知恵の御霊の働きは、信仰の律法化や祭儀化を克服するのである。
この意味で、ソロモン時代の知恵は、ほとんどヨーロッパ中世の神学に等しい。「主を畏れることは知恵の初め」という箴言(1・7)の言葉は、世俗の処世術から人々を主に向かわせると同時に、ヤハウェ宗教を多様な現実へと結びつける二重の働きを意味していたのである。ソロモン王国の知恵は百科辞典的な広さに及んでいる(列王記上5・9〜14)。だからそれが目指していたのは、当時のカナン文化圏全体をヤハウェの御霊によって管理すること、すなわち「カナン文化のヤハウェ化」そのものにあった。
ソロモンの知恵の黄金時代以降、王国はふたつに分裂し、預言者たちによる弾劾が厳しさを増す。やがて捕囚体験を経て帰還したユダヤ民族が、再びかつての王権を確立することはなかった。しかし、ソロモン時代の知恵は、それ以降も受け継がれ、箴言、ヨブ記、コヘレトの言葉、知恵の書、シラ書、ダニエル書、ソロモンの詩編などの知恵文学を産み、これがイエスの時代へと受け継がれることになる。
一方、ソロモンの箴言、ソロモンの雅歌、ソロモンの○○と、ソロモンの名を冠にした箴言・雅歌・コヘレトの言葉(伝道の書)などは、自由で多彩な批判的精神あふれる知恵文学の隠れ蓑として、ソロモン王の権威が巧みに利用されています。硬直した律法主義的申命記的信仰を、多義的で重層的な陰影の深い宗教に変えています。いわばルネッサンス的役割を果たしています。
ここが旧約聖書の面白いところです。わずか80年にも満たないダビデ・ソロモン時代が、出エジプト時代のモーセの伝承と共に旧約聖書の核心となるからです。
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パウロの回心と情報理論
パウロの回心を情報理論の観点から捉えてみたい。
情報とは何か。情報にはいくつかの特徴があります。何かを情報といえるためには新しさがなければならない。明日の新聞には今日の新聞と同じ情報であれば、誰も読まないでしょう。価値がない。
また、情報は同時に「冗長性」(じょうちょうせい redundancy)がなければならいといわれます。規則だたしさといったら分かりやすいかもしれない。繰り返される部分がなければならない。ですから、明日の朝日新聞はいきなり韓国語になったら、ついていけない人は多いでしょう。
あるいは、ニュートンの法則、F=ma 力は質量にかける加速度に等しいと言われても、慣れていないひとはちょっと待ってよ、というでしょう。その人にとって新しすぎる情報となります。
遺伝子にはたくさんの情報が詰まっています。遺伝子は体の形を伝えています。毎日体の細胞は遺伝子の情報に従って変わっていきます。変わらない細胞は死んでしまいます。毎日変わらない生き物は死んでしまいます。だから、毎日体は新しくなりますが、ここにも冗長性、繰り返される部分がなければならない。ネズミの実験で、鼻をつくる遺伝子を操作(そうさ)して、足に鼻を作らせた実験があります。やはり、体は唐突的に変わるものではない、少しずつ変わるが、突然全部新しくならない。
「あいうえおかきくけこ」50音表、あるいはabcdefgアルファベットには、決まった順序があって、いつも変わらない冗長性、繰り返される部分、規則正しさがある。けれども、アルファベットを繰り返すだけで情報を伝えることはすくない。やはり、順序を崩して、様々な言葉を作ります。文字を並べ替えて言葉と《話を作ります。
パウロは若い時から、ガマリエルという先生から聖書のことを熱心に学んだ。聖書のことをアルファベットのように、ひらがなのようによく知っていたからこそ、そこにイエス・キリストのようなメシアが入る余地がなかった。だから、初代教会を迫害した。パウロにとっては、「あいうえおかきくけこ」でないとおかしい。
パウロの回心は唐突、ドラマティックに描かれていますが、パウロの持っていた情報は全部ひっくり返されたわけでないでしょう。イエス・キリストの復活という新しい情報を入れて、聖書全体について少し新しい情報が加えられた。情報を並べ替えたというふうにもとることができます。凝り固まっていた認識が柔らかくなった。
アルベリオネ神父は、パウロのよう突然な回心を体験していないかもしれない。けれども、彼は教区司祭として、決まったレールに乗って、司牧活動をするのではなく、アルファベットを繰り返すのではなく、並々ならぬ活動を選んだ。新しいメディアで規則正しさのある信仰という情報を伝える。
メディアが新しくても、メディアを使うパウロ家族は古いまま、凝り固まった認識のまま、新しい情報は伝わらない。
「回心」と言われると、四旬節のときのように、まさに自分が嫌がる嫌なことをしなければならないという反応を起こすことは多いではないでしょうか。あるいは、罪悪感を持たせるだけで、あとはなにも変わらない。
情報とは何か。情報にはいくつかの特徴があります。何かを情報といえるためには新しさがなければならない。明日の新聞には今日の新聞と同じ情報であれば、誰も読まないでしょう。価値がない。
また、情報は同時に「冗長性」(じょうちょうせい redundancy)がなければならいといわれます。規則だたしさといったら分かりやすいかもしれない。繰り返される部分がなければならない。ですから、明日の朝日新聞はいきなり韓国語になったら、ついていけない人は多いでしょう。
あるいは、ニュートンの法則、F=ma 力は質量にかける加速度に等しいと言われても、慣れていないひとはちょっと待ってよ、というでしょう。その人にとって新しすぎる情報となります。
遺伝子にはたくさんの情報が詰まっています。遺伝子は体の形を伝えています。毎日体の細胞は遺伝子の情報に従って変わっていきます。変わらない細胞は死んでしまいます。毎日変わらない生き物は死んでしまいます。だから、毎日体は新しくなりますが、ここにも冗長性、繰り返される部分がなければならない。ネズミの実験で、鼻をつくる遺伝子を操作(そうさ)して、足に鼻を作らせた実験があります。やはり、体は唐突的に変わるものではない、少しずつ変わるが、突然全部新しくならない。
「あいうえおかきくけこ」50音表、あるいはabcdefgアルファベットには、決まった順序があって、いつも変わらない冗長性、繰り返される部分、規則正しさがある。けれども、アルファベットを繰り返すだけで情報を伝えることはすくない。やはり、順序を崩して、様々な言葉を作ります。文字を並べ替えて言葉と《話を作ります。
パウロは若い時から、ガマリエルという先生から聖書のことを熱心に学んだ。聖書のことをアルファベットのように、ひらがなのようによく知っていたからこそ、そこにイエス・キリストのようなメシアが入る余地がなかった。だから、初代教会を迫害した。パウロにとっては、「あいうえおかきくけこ」でないとおかしい。
パウロの回心は唐突、ドラマティックに描かれていますが、パウロの持っていた情報は全部ひっくり返されたわけでないでしょう。イエス・キリストの復活という新しい情報を入れて、聖書全体について少し新しい情報が加えられた。情報を並べ替えたというふうにもとることができます。凝り固まっていた認識が柔らかくなった。
アルベリオネ神父は、パウロのよう突然な回心を体験していないかもしれない。けれども、彼は教区司祭として、決まったレールに乗って、司牧活動をするのではなく、アルファベットを繰り返すのではなく、並々ならぬ活動を選んだ。新しいメディアで規則正しさのある信仰という情報を伝える。
メディアが新しくても、メディアを使うパウロ家族は古いまま、凝り固まった認識のまま、新しい情報は伝わらない。
「回心」と言われると、四旬節のときのように、まさに自分が嫌がる嫌なことをしなければならないという反応を起こすことは多いではないでしょうか。あるいは、罪悪感を持たせるだけで、あとはなにも変わらない。
il presentimento di Cristo nel mondo pagano
il presentimento di Cristo nel mondo pagano
月の影の模様が兎に見えることから、「月には兎がいる」というのは昔から語られている伝承だが、これにまつわる話として、以下の伝説が語られている。
猿、狐、兎の3匹が、山の中で力尽きて倒れているみすぼらしい老人に出逢った。3匹は老人を助けようと考えた。猿は木の実を集め、狐は川から魚を捕り、それぞれ老人に食料として与えた。しかし兎だけは、どんなに苦労しても何も採ってくることができなかった。自分の非力さを嘆いた兎は、何とか老人を助けたいと考えた挙句、猿と狐に頼んで火を焚いてもらい、自らの身を食料として捧げるべく、火の中へ飛び込んだ。その姿を見た老人は、帝釈天としての正体を現し、兎の捨て身の慈悲行を後世まで伝えるため、兎を月へと昇らせた。月に見える兎の姿の周囲に煙状の影が見えるのは、兎が自らの身を焼いた際の煙だという。
この伝説は、仏教説話『ジャータカ』を発端とし、『今昔物語集』などを始めとして多く語られている。
良寛、月の兎 参照
Giuseppe Lazzati, il presentimento di Cristo nel mondo pagano
菩薩の化身である兎が、我が身を焼いて、旅のバラモンに食わせようとした話や、餓えた虎の母仔を救うために我が身を食わせた王子の話は有名です。
The Jatakas were originally amongst the earliest Buddhist literature, with metrical analysis methods dating their average contents to around the 4th century BCE
Buddha bramino si concesse in pasto ad una tigre affamata che si stava astenendo dal divorare i suoi tigrotti;
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月の影の模様が兎に見えることから、「月には兎がいる」というのは昔から語られている伝承だが、これにまつわる話として、以下の伝説が語られている。
猿、狐、兎の3匹が、山の中で力尽きて倒れているみすぼらしい老人に出逢った。3匹は老人を助けようと考えた。猿は木の実を集め、狐は川から魚を捕り、それぞれ老人に食料として与えた。しかし兎だけは、どんなに苦労しても何も採ってくることができなかった。自分の非力さを嘆いた兎は、何とか老人を助けたいと考えた挙句、猿と狐に頼んで火を焚いてもらい、自らの身を食料として捧げるべく、火の中へ飛び込んだ。その姿を見た老人は、帝釈天としての正体を現し、兎の捨て身の慈悲行を後世まで伝えるため、兎を月へと昇らせた。月に見える兎の姿の周囲に煙状の影が見えるのは、兎が自らの身を焼いた際の煙だという。
この伝説は、仏教説話『ジャータカ』を発端とし、『今昔物語集』などを始めとして多く語られている。
良寛、月の兎 参照
Giuseppe Lazzati, il presentimento di Cristo nel mondo pagano
菩薩の化身である兎が、我が身を焼いて、旅のバラモンに食わせようとした話や、餓えた虎の母仔を救うために我が身を食わせた王子の話は有名です。
The Jatakas were originally amongst the earliest Buddhist literature, with metrical analysis methods dating their average contents to around the 4th century BCE
Buddha bramino si concesse in pasto ad una tigre affamata che si stava astenendo dal divorare i suoi tigrotti;
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