『三日目に』

福音書には、「イエスは三日目に復活する」という言葉があります。これは日数(にっすう)を数えることではない。三日目とは、わりあい短い期間という意味です。どんなにひどい苦しみであっても、わりあい短い期間のあとに、すばらしい喜びがやってくることを伝えるために「三日目」を用いているのです。
そのすばらしい喜びは、その前のひどい苦しみと比べようもないほど大きいのですと。ひどい苦しみを忘れてしまうほどの喜びなのです。話すことも、書くこともできないほどの喜びを表現するために、「二日の後」とか、「三日目」というのです。
「三日目に死者の中から復活する」というのは、次のような意味になります。あの十字架での恐ろしい苦しみと痛み、弟子たちが離れて行ってしまった悲しみ「、父なる神からさえも見捨てられてしまったほどの、見ていられないような痛々しい苦痛と死。それほどの苦しみと比べようもない、言葉にも表せない「大きな喜び」であり、すべての人々を救う神の勝利を示す「復活の栄光」を、どうにかして伝えようとして「三日目」を用いているのです。
私たちは、毎日の生活の中で、苦しいことやいやなことがあります。けがをしたり、病気になって苦しむこともあります。いやなことを言われるとか、人と喧嘩をするとか、いじめられたりして悩むこともあるでしょう。仕事が思うどおりにうまくいかないで、がっかりすることもあります。
そのようなとき、ただその苦しみ、悲しみ、悩みなどでがっかりしているだけでは、キリストを信じる者の新しい生き方とはいえないでしょう。
苦しければ苦しいほど、そのあとにやってくる神様の癒しのすばらしさに希望を持たなければならない。神様の助けを祈り求めながら、苦しみにぶつかり、苦しみに打ち勝った時、本当の喜びが与えられるのです。
苦しみや悲しみにあっても、いつも、それとはくらべられないほどの喜びがあることを知って、毎日の生活を希望を持って明るく生きるならば、それが、新しい生き方なのです。それが自分のためだけにするのではなく、苦しんでいる人、悲しんでいる人に勇気を与え、生きる力をあたえるものです。

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