ヨブ記19:25-27は、ヨブ記の中でも特に注目される箇所で、ヨブが神に対する深い信仰と希望を表明する場面です。この節では、ヨブが…

ヨブ記19:25-27は、ヨブ記の中でも特に注目される箇所で、ヨブが神に対する深い信仰と希望を表明する場面です。この節では、ヨブが彼の苦難の中でも、神に対する揺るぎない信頼と最終的な救いへの確信を語っています。以下にこの節の意味について詳しくコメントします。

### ヨブ記19:25-27(新改訳2017
> **25** しかし私は知っている。私を贖う方は生きておられ、後の日に、塵の上に立たれることを。
> **26** この皮膚が滅ぼされても、この身をもって私は神を見る。
> **27** この方を、私は自分自身で見る。私の目で見るのであって、他の者ではない。私の心はこの思いに耐えられない。

### 1. ヨブの希望と信仰
ヨブは、極度の苦しみの中にあっても、「贖う方(ヘブル語で *go'el*)」が「生きておられる」と確信しています。この「贖う方」は、古代イスラエルの法や慣習において家族や一族を保護する義務を負った親族のことを指し、ヨブにとって神がその役割を果たしてくれると信じていることを示しています。

この箇所は、ただ単にこの世での苦しみが解決されることを超え、最終的には神が全てを正し、救いをもたらしてくれるという信仰を示しています。

### 2. 死後の神の出現
ヨブは、自分の皮膚が滅びた後でも、神を見ることができると語っています。この表現は、多くの学者によって死後の復活や神との再会を示唆していると解釈されています。ヨブは、現世での解決がなくても、最終的な救いと神の前に立つことへの希望を持っているのです。

### 3. 復活の信仰?
一部の解釈では、この箇所は死者の復活に関する初期の概念を含んでいるとされています。ヨブは、自分の肉体が滅びても、彼自身が神を目で見ると言っているため、彼が肉体的に復活するという希望を抱いているかのように読めます。ただし、ヨブ記は旧約聖書の中で死後の復活について明確に教えているわけではないため、ここで言及されているのはヨブの神への信頼と、最終的に神が正義を行うことへの確信と捉えることができます。

### 4. 神との個人的な関係
この節でヨブは、彼自身の目で神を見ると語っています。ここには、彼がただ観念的に神を見るのではなく、非常に個人的で直接的な体験として神を認識するという強い希望が表現されています。これは、彼の苦しみの中での孤独感や神からの隔絶感と対照的であり、最終的には神との深い交わりが回復されることを望んでいます。

### 5. 神学的な意味
ヨブ記全体のテーマは、無実の人間がなぜ苦しむのかという問題です。この箇所でヨブは、神の正義を信じ、神が最終的には自分を救うと信じていますが、それが具体的にどのように実現するかはわかりません。それでも、神への信頼と、現世の苦しみを超えた希望を持ち続ける姿が描かれています。

この箇所は、神の救済の計画が必ずしもすぐに理解されるわけではないことを示唆しながらも、最終的には神が正義を行い、すべてを正しくするという強い信仰の証言とされています。

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『ヨブ記』3章でヨブが自分の生まれた日を呪う場面は、非常に感情的で苦しみが色濃く描かれています。ヨブは、極度の苦難の中で、自分の存在…

『ヨブ記』3章でヨブが自分の生まれた日を呪う場面は、非常に感情的で苦しみが色濃く描かれています。ヨブは、極度の苦難の中で、自分の存在そのものを呪い、「生まれた日がなければよかった」と嘆きます。これは、人間の苦悩と深い悲しみを象徴する強烈な箇所です。

では、なぜこのような箇所がミサで朗読されるのかという点ですが、いくつかの理由があります:

1. **人間の苦しみに対する神の理解**: 聖書は、現実の人間の経験を隠さず描写します。『ヨブ記』3章は、人が神に対して抱く苦しみや絶望を表しており、信仰者が感じることもある「なぜ?」という問いかけに対する神の理解を示しています。これによって、信徒たちは自分の苦悩が聖書の中でも正当な経験であることを知り、神がその苦しみを理解しておられると感じることができるのです。

2. **キリストの苦しみとの関連**: ヨブの苦しみは、キリスト教においてしばしばイエス・キリストの受難と関連付けられます。ヨブの苦悩は、無実の人が苦しみを受けるというテーマを強調しており、それがイエスの十字架の苦しみを予示していると解釈されることもあります。ミサでヨブの嘆きが朗読されることで、信徒たちはキリストの苦しみを思い起こすことができます。

3. **信仰と希望のテーマ**: 『ヨブ記』全体のメッセージは、最終的には神の正義と信仰の重要性に焦点を当てています。ヨブは、絶望の中でさえも、最終的に神に忠実であり続けます。このような苦しみの中での信仰の模範は、ミサに集う信徒たちに、どんな試練や絶望の中でも神への信頼を保つことを呼びかけるものです。

したがって、ヨブの絶望の声は単なる悲嘆ではなく、信仰者にとって、苦しみの中にあっても神の存在を探求する姿勢を促すものであり、そのためミサの中で重要な朗読箇所として取り上げられているのです。

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