親鸞の有名な言葉である「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をば」(善人尚且つ往生を遂ぐ、況んや悪人をや)は、浄土真宗の根本的な教え…

親鸞の有名な言葉である「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をば」(善人尚且つ往生を遂ぐ、況んや悪人をや)は、浄土真宗の根本的な教えを端的に表現したものです。この言葉は、阿弥陀仏の救済の普遍性を強調しています。親鸞はこの教えを通して、善人も往生(極楽浄土に生まれ変わること)できるのだから、悪人こそが阿弥陀仏の救いの対象となることを説きました。

この教えの背景には、次のような浄土真宗の独自の理解があります。

1. **阿弥陀仏の誓願(本願)**
阿弥陀仏はすべての人々、特に罪深い者や無力な者を救うために四十八の誓願を立てました。浄土真宗では、この阿弥陀仏の力によってこそ、人は救われると考えます。善行や修行によって自力で浄土に行くことは難しいため、むしろ自らの罪深さや無力さを深く自覚し、阿弥陀仏に完全に依存することが救いの道だとされます。

2. **善人と悪人の相対性**
親鸞は、人間の行う「善行」ですら本質的には不完全であり、真の意味での善人はいないと考えました。つまり、自分を「善人」と考えている者であっても、その善行は自己中心的であり、完全に純粋なものではないという認識です。逆に、自分を「悪人」と自覚している者こそ、自分の力では救われないことを認め、阿弥陀仏に救いを求めることができるのです。

3. **悪人正機説**
「悪人正機」とは、阿弥陀仏の本願は特に罪深い者、すなわち「悪人」に対して向けられているという教えです。善人でさえも阿弥陀仏の本願によって救われるのだから、悪人こそがより一層、阿弥陀仏の慈悲に包まれて救われるべきだという考えです。この逆説的な教えは、当時の厳しい仏教的な修行や戒律に頼る救いの道に対して、親鸞が新たに提唱したものです。

したがって、この言葉は「善人でも阿弥陀仏の力によって救われるのだから、悪人はもっと容易に救われる」という意味であり、阿弥陀仏の慈悲がすべての人に及ぶことを強調しています。この教えは、人間の限界を認めつつ、阿弥陀仏の慈悲に全てを委ねることを説く浄土真宗の中心的な思想です。

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